途中までの没作
「あの子よりかわいくなりたいの!」
『確かにあいつかわいいね。自然な愛らしさがある。』
「どれだけ甘えてもか弱く見せても勝てない!どの男の子もみんな私そっちのけであの子見るのよ?」
『ぶりっ子してかわいいを作るやつより自然な振る舞いで天然物のかわいいを持ってるやつの方がそりゃ強いだろ。』
「これ以上ないくらいあざとくしたのに全然効かない!もうどうしたらいいの…どうしたらかわいくなれるの…」
『うん、いいね。可愛くなりたい、愛されたい〜!って悩んでひんひん泣いてる君が1番かわいい。』
「は!?」
『かわいい、正直すごく唆られるよ。』
「変わった癖をお持ちで……気持ち悪っ」
『あーあ、これから男とどう付き合っていくのがいいか教えてやろうと思ったのに。そんなこと言うやつには教えないぞ。』
「ねぇごめん〜!お願い!教えてください…!」
『君が本当に持ってる良さを出したいなら、君のことをいじめて泣かす最低なやつと付き合え。幸せになりたいなら、君のことを1ミリも分かってない紳士な良いやつと付き合え。どっちも願うなら、俺と付き合え。』
「僕が本当に必要なのか分からない…いなくても成り立つんじゃないかって。」
『で、どうすればいいかって?』
「どうすればいいかも自分がどうしたいのかも分からないんだ。本当に情けないことだけど。」
『俺はそういうとき、信頼されたい、必要とされたいって思うよ。』
「じゃあ、お前ならどうするの?」
『俺は、一度飛び出してみるよ。そうして心配の連絡も取りたくなるまで見ないことにする。』
「そんなことしたら、迷惑なんじゃ…」
『うん、迷惑だよ。大迷惑。けど、試したいんだ。俺を見つけたとき、俺が生きているとわかったとき、心配したと泣いて抱き締めてくれるのか、責任問題になるから面倒を起こすなと言われるのか。』
「試すってことは、お前はみんなを信頼してないことになるんじゃないの…?」
『当たり前じゃん。向こうは信頼を俺に分かりやすく示していない。なら俺も信頼を全面に出す必要はない。』
「ええ…そういうもの?」
『少なくとも俺はそう考えてるよ。そもそもそういうこと考えさせる向こうが悪いと思うし。ちょっと脱走して迷惑か心配かけるくらい、とんとんだよ。』
「ならさ、僕に足りないものはなんだかわかる?」
『んー、決定的に足りてないのは迷惑をかける勇気じゃない?』
「迷惑って勇気出してかけるものなの?」
『君なんだから、勇気いるでしょ。』
「そう。」
『なら俺に足りてないのはなんだと思う?』
「お前は…全部足りてる気がするけど。」
『はは、ならいっか。』
先駆者、今の流行りを2,30年前に既に取り入れていた人がすごいと持て囃される様を見るのが好きではないのだと今日わかった。
「今こんな流行ってて主流みたいになってるけど当時はなにこれ!?ってなってたんだよ〜」
当時新しかったからすごいわけではなく、新しいやり方を切り開き、それが現在流行っているからすごいと言われるのだということはわかってる。それでも、なんだか今その流行りの質を高めて取り入れている人が少し下に見られている感覚がして不快に思ってしまうのはなぜだろうか。
「今これで有名な人いるけど、この人らがいなかったらこんな人気になってないよ。」
というような微かな蔑みのようなものが見えるからだろうか。もっと直接的に言うなら
「今人気の人はこの人らの猿真似に過ぎない」
こんな感じか。
どうしても、その先駆者本人でもないのにどの立場からマウントを取っているのか理解できないし、当時先駆者をリアルタイムで追えて陶酔していたことが先駆者程価値のある人になれる条件でもないのになと思った。
先駆者は自分の功績をすごいだろ!と主張することは少ないのではないか、周りの信奉者やその功績から出る利益を目的とした団体、得た知識を駆使して良さを知ってもらいたいその道の専門家などが代わりに主張することで広く知れ渡っていくのだろうなと考えた。
その中でも良く言えば影響力がある、悪く言えば声が大きいのは信奉者だろう。専門家や団体よりも圧倒的に信奉者の声が大きく感じるのはなぜだろうか。
この温度が夢ならば君の手は現実だ。
わかったなら私に触らないで。
もしも未来を見れるなら、そこで生きてる自分を見つけたくないな