「約束だよ。」
アイツの優しさで、俺の心は溶けていく。
「兄を見習いなさい。」「双子のくせに。」
小さい頃から散々言われてきた。双子の兄は優秀で、弟の俺は劣等。兄は人気者だけど、俺は苛められっ子。そんな正反対の双子が俺たちだった。当然、両親は兄を可愛がった。そして俺には、いつだって呆れた眼差しを向けた。いつまで、続くんだろう。きっとこれからも変わらない。漠然とそう思っていたが終わりは近かったらしい。
兄が交通事故に遭い、亡くなった。
兄が亡くなってからは、両親は喋らなくなった。それもそうだ。愛息子がもう還らないのだ。俺としては、幸いだけども。だって、文句を言われなくなったのだから。
「やっとお前の呪縛から解放されたよ。」
ふと兄の部屋に入っては、そんな憎まれ口を吐いた。誰も聞いてはいない、そう思っていたのに、返事が来た。
『僕の呪縛って、まだ厨二病治ってないの?』
懐かしい声だった。俺と同じ生意気な言葉だった。振り返ると兄がベットに腰掛けていた。
『お父さん達は元気?』
「…死体みたいだよ。毎日毎日。」
『元気そうで良かったよ。』
「用件はそれだけ?なら今すぐあの世に還れ。」
『もう一つだけある。…君は僕の事を恨んでいるかな?』
「当たり前だろ。お前のせいで俺はどれだけ惨めだったか。知らないだろ?人生勝ち組のお兄様はよ。」
『僕はね、君が弟で良かったよ。僕が素で話せるのは君だけだもん。』
何だよそれ。俺の中の憎悪が消えていく。雪解けのように跡形もなく。あれ、何で俺はこんなにコイツが嫌いなんだっけ?別にコイツから嫌な事された事はないのに。
「俺だって、お前が兄貴で良かったよ…。」
不意に口についた言葉。その言葉を聞いた兄は、心底嬉しそうに笑った。
『約束だよ。毎年冬は一緒に過ごそう。』
「何で冬限定なんだよ。」
『だって、冬は僕達の誕生日があるでしょ。それに毎日会ってたら、感動も何もないよ。僕達には、この距離感が丁度良いと思うんだ。』
「分かった。冬だけは、お前に構ってやるよ。」
「もう駄目かもな〜。」
そう言葉にした時、目眩が私を襲った。
「貴方なら出来るわ。頑張って。」
母は、期待に満ちた眼を私に向けた。出来るって、決めつけないでよ。そんな文句を飲み込んだ。
「うん。頑張るよ。」
笑顔を貼り付けて、我慢する自分。気持ち悪い。
「常に一番でいなさい。」
父は、全てを知っているかのように言った。順位なんていう、他人の評価を押し付けないでよ。そんな泣き言を心の奥に閉まった。
「分かってるよ。任せて。」
身ぶり手ぶりで戯ける自分。吐きそうだ。
「糞っ垂れが。」
誰も居ない錆びた公園。その上にある展望台。ここは滅多に人が来ないので、愚痴るのに最適だ。
「自分が出来ない事を、自分のガキに押し付けるなよ。」
空の青さに目を瞑る。
「もう駄目かもな〜。」
視界がグラつく。ご飯を食べた後に激しい運動をするような、臓器が全部上下するような吐き気。風邪を拗らせたような怠さ。もう、疲れた。
他人に心配されるまでは、頑張れ。昔から父が言っていた言葉だ。私はこの言葉が嫌いだ。だって、誰しも心配してくれるような人が居るとは限らないし。隠すのが上手い人だって居る。きっと、自分だけなんだ。自分を心配できるのも、自分を理解できるのも。
「世知辛いな〜。」
寝床でそう思い耽った。
『ようこそ、故人図書館へ。何をお探しで?』
「特に何も。只、お話を聞いて欲しくて。」
『左様でございましたか。』
「聞いてくれる?」
『ええ、もちろんですとも。貴方様の悩みが消えるのであれば、いくらでも。』
「ありがとう。この前、親友と喧嘩しちゃって。」
『それはそれは。』
「どうやったら、仲直りできるかなって。」
『何故仲直りをするのですか?放っておけば、よろしいのでは?』
「何でって、仲悪いままだと気まずいでしょ。」
『そうですか。人間とは面倒な生き物ですね。』
「ホントにね。」
『私の独り言ですが、人間の心を通じ合わせるのは不可能だと思います。ならばいっそ、自ら縁を断ち切るのも一つの賢い生き方ではないでしょうか。』
「でもね、人って誰かが居ないと死んでしまうから。きっと世界で一番、弱い生き物だから。」
『そうでしたね。』
「だから、愛せるのかもね。」
『私には、そのような感情は芽生えませんが。』
「そういう人も居るよね。」
『出会った時よりも、顔色が良くなりましたね。』
「司書さんと話していて、心が軽くなったんだよ。」
『それは僥倖でございます。』
「親友とは何となく仲直りするよ。」
『貴方様の決断に、悔いが残らぬ事を祈っております。』
「ありがとう。じゃあ、またね。」
『またのご来館、お待ちしております。』
『他者との心と心を結ぶ事は、人生においての最難関なのかもしれませんね。』
『本日は、これにて閉館いたします。貴方様の人生というなの物語、心よりお待ちしております。』
『ようこそ、生人図書館へ。何をお求めかい?』
「私は、死んだらどうなるのでしょうか。」
『知らねーよ。宗教に興味ねーし。」
「貴方の話は、噂で聞きました。未来が記された本を守護する者、ですよね?」
『そう、だったら?』
「私の、死後は分かりませんか?」
『分からねーよ。未来ってもんはな、不確かなんだよ。ペラペラと無責任に話せるもんじゃない。』
「意外と真面目なんですね。…それなら、少しばかり私の話を聞いてくださいませんか?」
『仕方ねーな。話せよ。』
「私には、仲の良い友達が二人居たんです。二人とも、優秀な人でした。私はそれが、妬ましかったんです。だから、突き放したんです。彼女達を、電車が通る瞬間に。」
『人間誰しも、他者の幸福を怖がらない奴は居ない。』
「醜いですね、人間って。」
『…お前は、確実に地獄に堕ちる。』
「今更、何の恐怖も無いです。ですが、醜いまま死ぬのは嫌なんです。」
『じゃあ、仲間を作れ。』
「友達に劣等感を抱くような私が?」
『仲間と友達を別物だ。友達は心からの絆で結ばれている。でもな、仲間は利用の関係にある。』
「というと?」
『真人間になるために、仲間を利用しろって事だよ。』
「それもそうですね。」
『あぁ、そうだ。誰も真っ当な奴が、人殺しだと思わねーしな。』
「何だか、楽になった気がします。」
『そうかい。それは良かった。』
「また、来てもいいですか?」
『きっと、そん時はお前が死んだ時だろうよ。』
『お前には、仲間は居るか?その仲間とは、どんな利害でつるんでる?短い人生だ。時間は有限に使おうや。』
「…朝か。」
いつからだろうか。朝起きるのが、辛くなったのは。
『またこの夢か。』
一面に広がる彩り取りの花。その周りを飛ぶ鳥や虫。空はどこまでも青く、どこまでも澄んでいた。そんな現実味のない世界を見て、俺は言葉を落とした。
眩しい太陽に起こされると、目の前にはいつもの世界があった。質素でありふれた部屋。俺は溜息を零した。
「ここが現実か。」
眠たい身体を起こすために、洗面台へ向かった。洗面台に着くなり、鏡には自分の姿が写った。生気も幸も感じられない男の姿。目尻は少し濡れていた。俺は、冷たい水で顔を洗い、洗面台を後にした。
昔から、同じ夢を見てきた。あの楽園のような世界に俺が立っている夢。そしてその夢から覚めると、毎回泣いている自分が居た。何故泣いているのか、少しだけ分かる気がする。
俺はこの世界から、逃げ出したいと願っているのだ。
初めの頃は、あの綺麗な世界に感動して泣いているのだと思っていた。でも、きっと違う。俺は、あの夢を見る度に心の奥で、『ここにずっと居たい。』と願っていたのだ。何故現実から逃げたいのかは、よく分からない。何もないからこそ、なのかもしれない。分からなくても、逃げたいという気持ちは嘘ではない。
人間は朝方に死ぬ事が多いらしい。それはきっと、幸せな死に方だと思う。夢を見ながら現実を断つのは、俺にとって理想の死に方だ。俺もいつか、夢と現実の境で死んでみたいものだ。