「もう駄目かもな〜。」
そう言葉にした時、目眩が私を襲った。
「貴方なら出来るわ。頑張って。」
母は、期待に満ちた眼を私に向けた。出来るって、決めつけないでよ。そんな文句を飲み込んだ。
「うん。頑張るよ。」
笑顔を貼り付けて、我慢する自分。気持ち悪い。
「常に一番でいなさい。」
父は、全てを知っているかのように言った。順位なんていう、他人の評価を押し付けないでよ。そんな泣き言を心の奥に閉まった。
「分かってるよ。任せて。」
身ぶり手ぶりで戯ける自分。吐きそうだ。
「糞っ垂れが。」
誰も居ない錆びた公園。その上にある展望台。ここは滅多に人が来ないので、愚痴るのに最適だ。
「自分が出来ない事を、自分のガキに押し付けるなよ。」
空の青さに目を瞑る。
「もう駄目かもな〜。」
視界がグラつく。ご飯を食べた後に激しい運動をするような、臓器が全部上下するような吐き気。風邪を拗らせたような怠さ。もう、疲れた。
他人に心配されるまでは、頑張れ。昔から父が言っていた言葉だ。私はこの言葉が嫌いだ。だって、誰しも心配してくれるような人が居るとは限らないし。隠すのが上手い人だって居る。きっと、自分だけなんだ。自分を心配できるのも、自分を理解できるのも。
「世知辛いな〜。」
寝床でそう思い耽った。
『ようこそ、故人図書館へ。何をお探しで?』
「特に何も。只、お話を聞いて欲しくて。」
『左様でございましたか。』
「聞いてくれる?」
『ええ、もちろんですとも。貴方様の悩みが消えるのであれば、いくらでも。』
「ありがとう。この前、親友と喧嘩しちゃって。」
『それはそれは。』
「どうやったら、仲直りできるかなって。」
『何故仲直りをするのですか?放っておけば、よろしいのでは?』
「何でって、仲悪いままだと気まずいでしょ。」
『そうですか。人間とは面倒な生き物ですね。』
「ホントにね。」
『私の独り言ですが、人間の心を通じ合わせるのは不可能だと思います。ならばいっそ、自ら縁を断ち切るのも一つの賢い生き方ではないでしょうか。』
「でもね、人って誰かが居ないと死んでしまうから。きっと世界で一番、弱い生き物だから。」
『そうでしたね。』
「だから、愛せるのかもね。」
『私には、そのような感情は芽生えませんが。』
「そういう人も居るよね。」
『出会った時よりも、顔色が良くなりましたね。』
「司書さんと話していて、心が軽くなったんだよ。」
『それは僥倖でございます。』
「親友とは何となく仲直りするよ。」
『貴方様の決断に、悔いが残らぬ事を祈っております。』
「ありがとう。じゃあ、またね。」
『またのご来館、お待ちしております。』
『他者との心と心を結ぶ事は、人生においての最難関なのかもしれませんね。』
『本日は、これにて閉館いたします。貴方様の人生というなの物語、心よりお待ちしております。』
『ようこそ、生人図書館へ。何をお求めかい?』
「私は、死んだらどうなるのでしょうか。」
『知らねーよ。宗教に興味ねーし。」
「貴方の話は、噂で聞きました。未来が記された本を守護する者、ですよね?」
『そう、だったら?』
「私の、死後は分かりませんか?」
『分からねーよ。未来ってもんはな、不確かなんだよ。ペラペラと無責任に話せるもんじゃない。』
「意外と真面目なんですね。…それなら、少しばかり私の話を聞いてくださいませんか?」
『仕方ねーな。話せよ。』
「私には、仲の良い友達が二人居たんです。二人とも、優秀な人でした。私はそれが、妬ましかったんです。だから、突き放したんです。彼女達を、電車が通る瞬間に。」
『人間誰しも、他者の幸福を怖がらない奴は居ない。』
「醜いですね、人間って。」
『…お前は、確実に地獄に堕ちる。』
「今更、何の恐怖も無いです。ですが、醜いまま死ぬのは嫌なんです。」
『じゃあ、仲間を作れ。』
「友達に劣等感を抱くような私が?」
『仲間と友達を別物だ。友達は心からの絆で結ばれている。でもな、仲間は利用の関係にある。』
「というと?」
『真人間になるために、仲間を利用しろって事だよ。』
「それもそうですね。」
『あぁ、そうだ。誰も真っ当な奴が、人殺しだと思わねーしな。』
「何だか、楽になった気がします。」
『そうかい。それは良かった。』
「また、来てもいいですか?」
『きっと、そん時はお前が死んだ時だろうよ。』
『お前には、仲間は居るか?その仲間とは、どんな利害でつるんでる?短い人生だ。時間は有限に使おうや。』
「…朝か。」
いつからだろうか。朝起きるのが、辛くなったのは。
『またこの夢か。』
一面に広がる彩り取りの花。その周りを飛ぶ鳥や虫。空はどこまでも青く、どこまでも澄んでいた。そんな現実味のない世界を見て、俺は言葉を落とした。
眩しい太陽に起こされると、目の前にはいつもの世界があった。質素でありふれた部屋。俺は溜息を零した。
「ここが現実か。」
眠たい身体を起こすために、洗面台へ向かった。洗面台に着くなり、鏡には自分の姿が写った。生気も幸も感じられない男の姿。目尻は少し濡れていた。俺は、冷たい水で顔を洗い、洗面台を後にした。
昔から、同じ夢を見てきた。あの楽園のような世界に俺が立っている夢。そしてその夢から覚めると、毎回泣いている自分が居た。何故泣いているのか、少しだけ分かる気がする。
俺はこの世界から、逃げ出したいと願っているのだ。
初めの頃は、あの綺麗な世界に感動して泣いているのだと思っていた。でも、きっと違う。俺は、あの夢を見る度に心の奥で、『ここにずっと居たい。』と願っていたのだ。何故現実から逃げたいのかは、よく分からない。何もないからこそ、なのかもしれない。分からなくても、逃げたいという気持ちは嘘ではない。
人間は朝方に死ぬ事が多いらしい。それはきっと、幸せな死に方だと思う。夢を見ながら現実を断つのは、俺にとって理想の死に方だ。俺もいつか、夢と現実の境で死んでみたいものだ。
「一緒に逃げよう!」
彼は、僕を闇の中から救ってくれたんだ。
『ここは…?』
目が覚めると僕は、天国に居た。眩い光、鮮やかな花、空飛ぶ天使。絵に描いたような楽園だった。
『どうして、ここに?』
次第に戻って来る記憶。僕が死ぬ直前、横に居た幼馴染。僕は思い出した。何故僕が、ここに居るのかを。
生前の僕は、死に急いでいた。両親からの暴力から、逃げるために。そんな僕は、よく幼馴染の彼に愚痴っていた。そして、気持ちが溢れすぎてしまった時、彼は
「一緒に逃げるよう!」
そう言って、一緒に死んでくれたんだ。あの瞬間、僕は僕を殺そうとする世界から逃れた。彼は僕の英雄になった。
それなのに、僕の横には誰も居ない。何故?彼はどこに行ってしまったのか。理由は、少ししてから分かった。彼は今、地獄で裁判を受けているようだ。
『貴様は、友人を死へと誘った。これは、許されぬ事だ。よって、貴様は悪魔として永遠を過ごす事を命じる。』
僕が裁判所に辿り着いた頃には、彼は生前とは懸け離れた姿をしていた。僕の英雄は、悪魔へと変わってしまった。彼は、僕を見つけるなり、涙を流した。
『ごめん。俺のエゴのせいで、お前は死んじまった。』
彼は何度も謝った。僕はその姿を見て、自分の中にある憎悪を知った。
『謝るなよ。僕だよ。君を殺したのは僕なんだよ!』
僕は、彼を抱きしめた。そして、泣いた。僕らの背中に生えていた羽は、白と黒が混ざり、灰色になっていった。
結局、僕らは天国にも地獄にも居場所をなくした。そんな僕らに、神様が住処をくれた。天国と地獄の狭間。朝も夜も訪れない場所。どこまでも不完全な僕らには丁度良い場所だ。
僕らは、光と闇の狭間で、また笑い合った。