海月 時

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7/28/2024, 2:25:44 PM

『大丈夫だよ。』
そう言い、私の手を引く彼の手は、とても冷たかった。

「嫌だよ。死なないで。」
私が小学校に入る前、道路で死んでいる狐を見た。その姿が痛ましくて、気づいた時には泣いていた。その後、親に内緒で狐を庭まで運び、小さなお墓を作った。
「痛いの痛いの飛んでいけ。」
来世では辛くないように、幸せになれるよう願った。

あれから数年経った夏。私は地元の神社で毎年行われる、夏祭りに来ていた。人混みに嫌気が差し、少し離れた所に行こうとした時だった。周りの風景が一気に変わった。そこは何も無い暗闇だ。怖い。そんな感情よりも、懐かしいと思った。私は一度ここに来た事がある。

あれは確か、私が小学校低学年の頃だ。夏祭りに来ていた私は、一緒に居た兄とはぐれてしまい一人になった。そして今のような状況になった。暗くて、怖くて、蹲っていた私。そんな時、声がした。
『大丈夫だよ。僕についてきて。』
その声の主は、狐のお面をしている男の子だった。私は藁にすがる思いで、彼について行った。彼は私の手を強く握ってくれた。しかし、その手は冷たく、生きた人間だとは思えなかった。兄のもとに辿り着いた時には、彼の姿はなかった。

そんな思い出に老けていると、足元に何かあたった。私はその衝動のまま、地面に倒れ込んでしまった。
『大丈夫だよ。今回もちゃんと送り届けるから。』
あの頃と変わらぬ声がした。見てみると、そこには彼が居た。狐のお面していて、表情は分からないが、私を心配しているように見えた。
『怪我してるの?痛いの痛いの飛んでいけ。』
彼は優しいおまじないをかけてくれた。私は気付いた。
「もしかして、あの時の狐さん?」
『うん。僕の最後に君がくれた優しさを返しに来たよ。』
涙が溢れた。彼はずっと私を見守ってくれていたんだ。なんて優しさが溢れているのだろう。
「貴方に会いに来てもいいですか?」
私の言葉に彼は少し戸惑っているようだった。
「ここは生と死の境。生きてる者が来たら駄目だ。』
「じゃあもう会えないの?」
『年に一度。夏祭りの日に僕が会いに行くよ。』
私は笑った。まるで織姫と彦星だ。私が笑うと、君は小さく笑ったように見えた。

夏祭りで私は恋をした。そして、その恋は叶わない。それでも、願う。彼との時間が一分でも一秒でも続く事を。

7/27/2024, 3:46:32 PM

「何故そこまでするんだ?」
もう分かんないよ。

『私の命令に従いなさい。』
ある時、神様が舞い降りて、こう言った。当時はどういう事か分からなかった。しかし、段々と分かるようになってきた。僕は神様のために存在しているのだと。

この国では、昔からあらゆる所に神様が存在していた。それはきっと、人間の心の中にもだ。僕はそんな人間の心に住み着く神様の言葉を信じ、実現してきた。それが悪い事でも、神様の命令は絶対なのだ。

ある夏の日、神様が舞い降りて、こう言った。
『人間を一人、殺しなさい。』
僕は頷き、ナイフを持って出かけた。向かう場所は、僕のたった一人の友達の家だ。
「急にどうしたんだ?」
彼は僕の突然の訪問に戸惑いながらも、笑顔で出迎えてくれた。僕はそんな彼を、直視できなかった。
「お願いだから、僕に殺されてくれ。」
僕の狂った言葉に、彼は動じなかった。彼は僕に小さく、理由を聞いてきた。
「僕の神様がそれを望んだから。なんて言ったら笑う?」
彼は頭を振った。その顔は微笑んでいた。
「得体のしれない神なんかに、何故そこまでするんだ?」
「分からない。でも、生きる理由が欲しかったのかも。」
僕は泣いていた。酷く愚かな事をしている気がした。そんな僕を見て彼は、少し同情しているようだった。
「可哀想だから、殺されてあげるよ。」
僕は震える手でナイフを握り、彼に向けた。彼は全てを受け入れるように、笑っていた。

彼を殺したあとも、体が震えていた。もう僕は戻れないんだ。僕が泣いていると、神様が舞い降りて、こう言った。
『私を殺して。』
神様の殺し方なんて知らない。でも、この神様は僕の心に住み着いている。それならば、殺し方は一つしかない。僕は持っていたナイフで、自分の腹を割いた。

7/26/2024, 3:55:35 PM

「何故俺なんかに。」
そういう彼の目は、助けを求めるようだった。

「大丈夫ですか?体調でも悪いんじゃ。」
僕と彼が出会った日は、土砂降りだった。道も分からず途方に暮れている僕に、彼は傘を差し出してくれた。自分よりも見知らぬ者を優先してしまう彼。そんな彼は天使のようであり、愚かでもあった。

『やぁ。久しぶりだね。この前はありがとう。』
僕が会いに行くと、彼は驚いた顔をした。
「どうやってここまで?外からは無理ですよね。」
彼が驚くのも無理はない。なんせここはマンションの二十階。そして、彼の部屋のベランダなのだから。
『僕には翼があるから。』
僕は背中についた白い翼を動かしてみせた。
「天使みたい。」
そう、僕は天使。人間を助けるために、地上に舞い降りた神の使いなのだ。
『君を助けに来たよ。』

「天使様は何故、俺のもとに?」
『君があの日、僕にくれた優しさを返しにだよ。』
「俺は優しくないですよ。全てに劣っているから、少しでも周りからの印象を良くしたいだけですから。」
『僕も、天使の劣化版だよ。自分が無価値なのが怖くて、誰かを助けて価値を見出そうとしてるだけだよ。』
「俺達、似てるのかもですね。」

今日で彼はこの街を去る。少し寂しいけど、それ以上に僕は彼が心配だった。
『君は自分をもっと大事にして。でないと近い未来、君は壊れてしまう。僕は君に生きていて欲しい。』
「何故俺なんかに?」
『自分よりも誰かを優先する君は、尊くもあり愚かでもある。でも、そんな人間こそ、この世で最も大切なんだ。』
「じゃあ何故、俺に自分を優先しろって言うんですか?」
『君はいつだって泣きそうだったからだよ。』
彼は静かに泣いていた。その涙を拭うと、更に涙が溢れてきた。とても温かくて優しい涙だった。

僕は今日も願う。彼が誰かのためになるならばと、自らの命を犠牲にしないように。自分のために命を消費できるように。そしてその時は、また二人で笑えるように。

7/25/2024, 3:20:00 PM

「うるせぇ!」
そう言って彼女は、僕の手を引いた。

「可哀想な子。貴方には暗闇がお似合いよ。」
母はそう言って、僕を何も無い部屋に閉じ込めた。人目も日の光も当たらぬ、小さな部屋。僕はここでずっと育ってきた。何故なら、僕は呪われているから。

僕が十五歳になった日、神様は僕に呪いをかけた。不老不死になる呪いを。何故僕が呪われたのか。理由は分からない。でもきっと、娯楽が欲しかったのだろう。
「死ねないなんて惨めね。恥ずかしわね。」
母はそう言って、僕を見向きもしなかった。初めはすごく悲しかった。でも、次第に慣れてきた。暗くて、不自由な部屋。僕を閉じ込める鳥かご。それだけが墨の世界だった。しかし何十年も経って、母が死んだ。泣く事はなかった。一人で居る内に、僕の感情は消えてしまったのだ。

母の死から何十年が過ぎても、僕はずっと一人で居た。また誰かに拒絶されるのが、怖いのだ。それなのに。
「僕が気味悪くないの?」
目の前に居る彼女は、僕の話を聞いても僕の横に来る。そんなのって、おかしい。僕は異常なのに。
「気味悪くないよ。だってお前は普通の人間だ。」
「笑えない冗談は辞めてよ。」
これ以上、僕を惨めにしないでよ。
「私の目には、お前は普通の人間に映るよ。」
彼女が言うと、全てが正しく聞こえてしまう。
「違うよ。僕は嫌われるのが怖い、弱虫だ。」
「うるせぇ!それを普通の人間って言うんだよ!」
彼女は僕の手を引いて、抱きしめた。
「何で、こんな僕に構うの?」
「お前が、今にも泣きそうな顔をしてたからだよ。」
僕にとって彼女は、一瞬の時を生きる普通の人間だ。でもその一瞬は、僕が普通の人間として生きれる時だった。

あれから数十年後。彼女は眠りについた。彼女が僕の中の鳥かごを壊した日を、彼女と過ごした日々を、僕は忘れない。そう誓い、僕は彼女の墓に桔梗の花を贈った。涙は暫く枯れそうにないや。

7/24/2024, 3:21:27 PM

「まさか、お前が死ぬなんてな。」
彼の墓石に向かって言った言葉は、虚しく宙を舞った。

俺と彼は幼馴染で、幼稚園からずっと一緒だった。そのせいか、俺の横に彼が居るのが当たり前になっていた。
「ずっと親友だよ。」
そう笑顔で言う彼は、もう俺の記憶の中にしかいない。

「俺さ、お前が嫌いだよ。」
今更何を言っても、無意味なのに。それでも、何となく言いたくなった。
「天才なお前に付いていこうと、必死に頑張った。でも、お前はどんどん先に行ってさ。」
勉強・運動・人間関係、どれに置いても俺は彼には勝てなかった。それが腹立たしくって、うざったくて、大嫌いだった。それなのに、いつも俺に差し伸べてくれる手が温かくて、嫌いになれかった。どうせ俺は中途半端な野郎だよ。でも、それはお前もだろ。俺を惨めにするだけで、見捨てなかった。いっその事、見捨ててくれたら楽だったのかな。
「俺はまだ、お前に勝ってないのに。逃げやがって。」
涙が溢れた。悔しい、寂しい、色んな感情が頭で回った。
「ずっと親友なら、ずっと傍に居てくれよ。」

あれから一時間ほど、彼の墓石の前で泣き続けた。そのせいで、目が痛い。俺は持っていた、ライラックの花を乱暴に彼の前に置いた。
「いつか絶対、お前に勝ってやるからな。」
俺はそう吐き捨て、その場を去った。

俺達の間あるものは、友情か劣情か。今の俺には分からない。しかし、きっとこの得体のしれないものを、人は絆と呼ぶのだろう。

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