こんな夢を見た。
不思議なものが見えるようになる夢だった。
いわゆる幽霊とか、化け物とか、日常生活で目にすることはないであろう代物だ。それらはただそこにいて、特段こちらに何かをしてくることはなかった。視線が合うこともないし、もちろん害をなすこともない。私も「あぁ、いるな」と思うだけだった。
数日が経った。その日私は外に出かけていた。歩みを進める私の目の端に、一人の少年が映った。なんとなく「自分とは違うものだ」と感じる少年だった。それならばとそのまま足を動かした。
「見える人でしょう。」
通り過ぎざま、声をかけられた。思わず足を止めた私に、彼は「見える理由、知りたい?」と問うてきた。なんとなくうなづいてしまった。
「見える人っていうのはね、人間の死を見たことがある人なんだ。
「ただ遺体を見たことがある人じゃないよ。消える瞬間を目にして、そこに強い感情を抱いた人が見えるようになるんだ。
「抱くのはどんな感情でもいい。自覚があってもなくてもいい。
「とにかく強烈な感情を抱いた人だけ。
なめらかに説明された。人が死ぬ瞬間か。一度だけ見たことがある。あのとき私は一体どんな感情を抱いたのだろうか。哀しみか、怒りか、驚きか、それとも安心か。分からない。あの瞬間はやけに鮮明に思い出せるのに、そのときの私の感情も、消えた人間が誰なのかも思い出せなかった。
モヤモヤした。でも不思議とそのモヤモヤはすぐに消え失せた。鮮明な記憶の中であの人が消えた瞬間みたいに、スッと消えた。
「教えてくれてありがとう。」
それだけ言って、また私は歩みを進めた。
そこで目が覚めた。
不思議な夢だった。
『こんな夢を見た』
タイムマシーンなんかいらない。
「タイムマシーンがあったら、過去か未来かどちらに行きたい?」友人との会話で出てきたこの話題について、私の考えは今言ったとおりだ。
いや、「なんかいらない」というより、「別になくてもいい」だろうか。
やりなおしたいことだとか、こうなっててほしいことだとかはもちろんあるけど。でも、タイムマシーンを使った私は「過去に行った、過去を変えた「今」の私」もしくは「未来に行った、未来を変えた「今」の私」で、なんだか結局過去も未来も関係ないと思うのだ。
そう思ったからといって私の考えが「どうにもならないから」という諦観だとか、「どうにかなるから」という楽観的なものに偏るわけでもない。どこを切り取っても結局は「今」ならば、過去だ未来だとごちゃごちゃ考えずに、私は目の前にある「今」のこの瞬間を逃さないようにしたい。「今」を1つ1つ受け入れたい。刻みつけたい。
だからタイムマシーンは別になくてもいい。
『タイムマシーン』
毎週水曜日には特別な夜が待っている。
週半ばのこの日、平日の疲れが1番溜まる。栄養面を考えて休日に作り置きするなど自炊を頑張っているけれど、水曜日だけは特別。夕飯にコンビニ弁当を解禁するのだ。弁当だけじゃない。レジ前のホットスナックに心惹かれれば買うことを許しているし、普段はあまり買わないちょっとお高めなアイスクリームを買っても良い。
ただし、気にせず買っていいのはその日に食べ切れる分と、翌日の弁当に入り切る分だけ。それだけは守っている。水曜日の特別を守るためだ。
今週もその日が訪れた。お楽しみはちょっとお高いアイスクリームの季節限定味。冷凍庫から出して、カチカチなのを少し溶かす。そうだ、大きめのスプーンも用意して。ちょっとソワソワしながら食べごろを待つ。この時間も楽しい。頃合いを見計らって蓋を開け、大きめに一口。風呂から出たてのポカポカの身体に、舌の上の甘さと冷たさが染み渡る。美味しい。くふふっと小さな幸せを噛み締めた。これで明日も頑張れる。
『特別な夜』
目を開けたら水の底だった。
青く美しい水の中に日の光が差し込んで、ゆらゆらと揺れて、大層美しい空間だった。
優しくて穏やかで気持ちが良くて、手足を伸ばして揺蕩った。
しかし上を見つめる目の端に映るのは、枠のようなもの。ちょうど、そう、学校のプールの底から空を見ているような。フレームのような。
なんだ、私の世界ってこの規模か。口元からポコと1つ泡が立った。
『海の底』
日記を読み返していた。書き始めは中学1年生。あまり物事を継続的に行うことができない性格なもので、三日坊主もいいところ、2日目にはめんどくさい気持ちが勝ってしまうタイプだった。
ところが日記に関しては違ったらしく、日付が途切れることなく続いていた。新しい友達ができた、部活の先輩が怖い、生活指導の教員がうるさいなど、他愛もない日常が綴られていて、懐かしさで胸がいっぱいになった。こんなことを考えて過ごしていたのね。
ふと、ページを捲る手が止まった。あれだけ毎日しっかり書いていたのに、日付がごっそり抜けている期間があったのだ。中学3年生の終わりから高校1年生の終わりくらいまで。それ以降は大学の卒業まで日付が続いている。
何だろう、遅めの厨二病でもきて、後で恥ずかしくなって捨ててしまったのだろうか。考えてみても思い
出せない。…やっぱり思い出せない。この期間の私がいったい何を考えて過ごしていたのか、分からない。
社会人になると同時に忙殺され、日々を綴る余裕も無くなってしまい、日記の習慣は消えてしまった。それから何十年も経つ。遠い昔の話だ。
遠い昔の私、どうして書かなかったの。あるいはどうして消してしまったの。今の私の記憶にはもう残っていないみたいなの。日記がなくちゃ思い出せないじゃない。ああ、昔の私を知る手段、閉ざされてしまったわ。
『閉ざされた日記』