小絲さなこ

Open App
1/15/2025, 7:42:40 AM


「今どきそんなベタなことしない」


彼女が髪をかき上げた。
ふぅ、と息を吐いて、俺の耳に唇を近づけてくる。

あぁ、早くしてくれ。

そして、彼女はそっと囁く──


「こ・た・つ」


「って、おおおおい!」

俺は彼女から距離を取った。

「え、ダメだった?」
「今どき、漫才でもそんなベタなこと言わねーぞ!」
「じゃあ『ゆたんぽ』?」
「暖房用品の名称だろうが!」

『あたたかい言葉をかけてくれ』と、こいつにお願いした俺がバカだった。
くそぅ。耳が熱い。
まだ耳たぶが彼女の吐息を覚えてる。



────そっと

1/14/2025, 9:59:02 AM

「季節を巡る」

子供の頃、父に連れられて行った場所は、季節を感じる場所ばかりだった。

春の訪れを告げる福寿草から始まって、梅、あんず、カタクリ、木蓮、桜、桃の花、菜の花、水芭蕉、紫陽花、蓮の花、向日葵、コスモス、ダリア、彼岸花。そして紅葉狩り、飛来した白鳥……

絵を描くことが好きな私のために、父はいろいろな景色を見せてくれたのだ。
そのひとつひとつが、私の世界を作っていった。


そして今、人生の伴侶となった人と、季節を感じる景色を求めて各地を巡っている。
あの頃見た景色は変わらないはずなのに、隣にいる人が違うだけで、感じ方が変わるものなのか。

たぶんまた、来年、再来年、十年、二十年──月日を重ねたら、また別の印象を受けるのだろう。



────まだ見ぬ景色

1/13/2025, 8:33:03 AM

「未練があるのは私だけ」


もう二度と会えないあの子と会えるのは、夢の中だけ。
その回数も、ここ数年はめっきり減ってしまった。
このままでは、顔も声も忘れてしまう気がする。

夢の中の彼女は、私の心の中に住んでいるのだから、本人ではない。そんなことわかっている。
たとえ別人でも構わない。
他に方法が無いのだから。

未練があるのは私だけなのかもしれない。

あの頃言えなかったこと。出来なかったこと。
まだたくさんあるのに。


────あの夢のつづきを

1/12/2025, 8:22:39 AM


「ついに魔の手に堕ちてしまった」


「ついに、買ってしまった……」
「はぁあ〜」
彼が息を吐く。

同棲生活も半年を過ぎ、季節はふたつ巡って、冬。
部屋の真ん中に鎮座しているのは、悪魔の暖房器具だ。

「やばいこれ……」
「人をダメにする暖房器具だこれ」

一度入ったが最後、出られなくなる。危険極まりない。

「タイマーセットして、時間になったら出るって決める?」
「そんなことで、こいつの魔の手から逃れられるとでも?」
「思わない」
「あー、今、これを買ってしまったことを後悔してる」
「じゃあ転売する?」
「するわけねーだろ」


────あたたかいね

1/11/2025, 8:35:18 AM

「未来を知りたいかと聞かれたら」


何かに導かれるように入っていった路地の奥。
小汚い雑貨屋の店先。木の箱の上に並べてある古い鍵が気になった。

「あら少年。その鍵が気になるの?」

肌の露出多めの服を着た年齢不詳の女性が微笑んでいる。

「あ、いや……」
「その鍵であの扉を開くと、未来を見ることが出来るのよ」

そう言って女性は店の奥を手で示した。

「……はぁ」
「信じてないわね」

いや、どう考えても怪しいだろこれ。

そういえば、前に兄貴がこの辺で変な体験したって言ってたな。
古本屋に色っぺーおねーちゃんがいて「それは未来がわかる本よ」とか言われたとか……

「未来っすか。そんなん知ったら面白くなくね?」
「あら、少年はそういう考えの持ち主なのね。残念」

ちっとも残念そうな表情をしていない女性に疑問を抱く。

なんか、嫌だな……

ぺこりとお辞儀をし、女性に背を向ける。

本能的な恐怖と嫌悪感が全身を駆け巡っているためか、自然と早足になった。


「残念だわ……」


女性の声に思わず振り返る。

あったはずの怪しげな店も女性の姿も、そこにはなかった。




────未来への鍵

Next