「進みが遅い季節は別れが近づいていることを実感させない」
厚い雲が所々途切れ、その雲の隙間から太陽の光が街を照らしている。
だから、外に居ないと気が付かないのだ。
音もなく地面が濡れていることに。
「まだ紅葉見頃じゃないなんて」
この時期まだ暖かいインナーを着ていないなんて初めて、と彼女は呟いた。
「初雪もまだみたいね」
そう言う私も、いつもなら薄手のコートを羽織っている頃だ。
季節の進みが遅いと、勘違いしそうになってしまう。
それぞれ別の道へ進む、その日があと何日なのか。
あと何回、ふたりでこの住宅地を、このいつもの道を歩けるのか。
「じゃあ、おやすみー」
「うん、おやすみー」
まだ太陽が出ていても「おやすみ」と言って別れる。
私たちは何の疑問も抱いていなかったけど、東京では夕方別れるときに「おやすみ」なんて言わないのだと上京した兄が言っていた。
そして、都会ではお天気雨が珍しいということも。
あと何回、私たちはこの街ならではの風景を一緒に味わえるのだろう。
カレンダーは残り二枚。
────柔らかい雨
「彼の輝きを」
私を救い出してくれた彼に触れることなど許されない。
だけど、一目でいいからその姿を見たい。
バイトを掛け持ちして節約もして、指折り数える。
人の多さに圧倒されつつ、姿を現した彼に涙が溢れた。
明日が来るなんて信じられなかった日々。
闇が延々と続くと思っていた。
真っ暗でも目を開けていれば段々と慣れていき、やがて微かな光を見つけることが出来る。
彼が教えてくれたことを、私はきっとこの命が尽きるまで忘れない。
私を見て──なんて、言うつもりはないし、私のことなど一生認識しなくていい。
もしもその輝きが衰える日が来たとしても、私はきっと彼の輝きを見失わないだろうから。
──── 一筋の光
「晩秋の帰り道」
少しずつ、少しずつ、色が変わっていくのを実感している。
街も行き交う人の装いも鮮やかさが抜けていき、渋く落ち着いていく。
そろそろ冬の足音が聞こえてくるだろう。
「来年の今ごろ、私たちはどこで何をしているんだろう」
呟き、立ち止まる彼女が空を見上げた。
鱗雲が傾いた陽を帯びている。
信号待ちの十字路。
点滅していた信号が赤に変わった。
前を横切る車の音が、沈黙の気まずさを救っている。
どう返していいか考えようとしても、頭の中がぐるぐる回ってうまくまとまらない。
このままでいられたらいいのに。
ずっと隣にいると言えたらいいのに。
果たせる自信のない約束をするのは不誠実だ。
「お互い、合格するように頑張ろう」
歩き出してから、月並みな言葉を返す。
まずはそこから。
これをクリアしてからでないと、彼女にこの気持ちを伝えることが出来ない。
まだ覚悟を決められずにいる俺には。
────哀愁を誘う
「面影を探して」
鏡に映る自分を見つめる。
両親のことは、顔も覚えていない。
だから、自分が親に似ているかどうかさえわからない。
これまであまり考えてこなかったこと──いや、考えないようにしていたのかもしれない。
自分の親が、どういう人だったのかが、気になるようになった。
これが、大人になるということなのだろうか。
俺はどうやら、母親よりも父親に似ているらしい。
母は歌が上手かったという。
情報は情報を連れてくる。
母の生まれた町がどこなのかも、つい先日知ったことだった。
人から聞いた話を、頭の中でパズルのピースのように並べていく。
「行ってみるか……」
そこで何か新しい情報を得られるなんて、期待はしていない。
ただ、見てみたいと純粋に思っただけだ。
どんな景色を見て、どんな生活をしていたのか。
自分の目と足で、確かめてみたい。
そうすれば、自分の中にある遺伝子が母のことを教えてくれるような気がした。
────鏡の中の自分
「ファイト」
今日の出来事を、ひとつひとつ紡いでいく。
ぱたんと閉じた日記を引き出しに仕舞った。
通信端末の画面が光る。
これから仕事だという、彼からのスタンプがひとつ。
そうだ、今日は夜勤だと言っていた。
カーテンを開ける。
今夜は、月が見えない。
職場に以前から私に言い寄ってくる男がいる。
あまりにもしつこいので彼氏がいると言ったら、どんなヤツかとうるさい。
そこに通りがかった同僚が、私の彼のことをポロッと話してしまった。
「そんな付き合い、うまくいかないよ」
「絶対、浮気してるって」
嫌いだ。あの男も同僚も。
あぁ、もやもやする。彼に言ってしまいたい。
だけど、彼に伝えたところで、どうもできないだろう。
それぞれの夢を叶えるために、彼と私は遠距離恋愛を選択したのだ。
「ファイト!」と応援している猫のスタンプを彼に送る。
彼がこれを見るのは、たぶん明け方。
────眠りにつく前に