「君の表情が見えなくても」
太陽が沈みかけて濃い紺色の空。
雲の隙間から漏れる光。
山の上に建つ電波塔のシルエット。
まるで異世界のような風景を見たくて、車で山道を昇る。
日本で一番標高の高い場所にある道の駅。
駐車場に着く頃には、だいぶ陽が傾いていた。
「結構、人が多いね」
標高二千メートルからの夜景でも見るためなのか、満天の星空を見るためなのか、若い男女が多い気がする。
異世界めいた画像を撮りたいからと言う彼女みたいな人は少数派かもしれない、などと思いながら木道を歩く。
どんどん暗くなっていき、そろそろ携帯ライトを用意しておいた方がいいだろうかと思い始めた頃、ふと顔を上げてみると、そこには『壮観』という言葉が相応しい風景が広がっていた。
「これこれ。この風景よ」
彼女はそう言ってカメラを取り出している。
互いの表情は、もう見えないはずだ。
それなのに、彼女がどんな表情をしているのか、わかる。
夢中でシャッターを切る彼女にカメラを向けた。
────たそがれ
「カーテンから漏れる光のなかで」
ふと目が覚めて、彼女が隣にいることを確認していたら、すっかり目が冴えてしまった。
アラームが鳴るまで二十三分。
今、二度寝したら寝坊してしまうだろうから、丁度いい。
つい数日前までは、ひとりで眠っていた部屋に彼女がいる。
そして、これからもずっと。
子供の頃は当たり前だったことが、当たり前ではなくなって、そのことによって自分の気持ちに気がついた。
だから、あの日々は意味があったのだと今なら言える。
それでも当時はそんなこと思えなかったし、泣かしたことも、泣きそうなほど辛かったこともあった。
カーテンの隙間から漏れる光。
少しずつ明るくなっていく部屋。
身動ぎする彼女を抱きしめる。
「これからは、ずっと一緒だ」
そう呟いて彼女の額に唇を寄せた。
たぶん、明日も明後日も、この喜びを噛み締めるのだろう。
────きっと明日も
「真夜中のチャットルーム」
小さな頃から苦手だった。
夜、家族が寝ている時間に、ふと目が覚めること。
カチカチカチカチという時計の秒針が、何か悪い者、恐ろしい者が近づいてくる足音に聞こえたのだ。
今でも、時計の秒針の音は苦手。
体中をカチカチカチカチという音が巡って、侵食されていくようで。何処か別の世界に連れて行かれそうで。
だから、自分の部屋を割り当てられた時、デジタルの電波時計を部屋に置いた。
それでも、静かすぎる夜に、ふと目が覚めてしまうのは苦手なまま。
あんなこと言うんじゃなかった、とか。
あの時あの人に言い返しておけば良かった、とか。
後悔ばかりを連れてくるから。
枕元に置いているスマートフォンに手を伸ばす。
寝返りを打って、アプリを起動し、ログイン。
「またこんな時間に居る……」
毎晩のように、夜中チャットルームにいる彼女。
一体どんな生活をしているのやら。
『夜中に目が覚めて、時計の音が怖いっていうの、わかるなぁ』
以前、彼女に言われたことを思い出す。
彼女もまた、皆が寝静まっている夜が苦手なのだろうか。なんとなく、そんな気がする。
だからだろうか。
今夜も、一番わかってくれる彼女に、洗いざらい話してしまう。
肩書きや、実年齢も知らない、画面の向こうの彼女に。
────静寂に包まれた部屋
「一緒の帰り道」
家が近くだからって、陽が落ちてくると危ないからって、幾つも理由をつけて、君と一緒の帰り道。
たぶん周囲にはバレているのに、君にはバレていないとか、鈍すぎやしないか。
ついゆっくり歩いてしまいそうになる。
あぁ、もうすぐ別れ道。
名残惜しくて、こっそりと見つめてしまう。
この気持ちを伝えても、君は戸惑うだけだろうな。
小さく手を振る君。
頷いて、歩き出して、振り返る。
ドアを開ける君を見届けて、歩き出す。
またひとつ、季節が進む。
ひんやりとした風。
卒業まで、あと一年と数ヶ月。
進路のことは、考えないように、話題にしないようにしている。
きっといつか、次に会える日がいつなのか、わからなくなる時が来るかもしれない。
『それぞれの道』ってやつ。
それを思うだけで、息が詰まりそうになるのに、まだ時間があるからと、今日も伝えられないまま。
たったひとこと。
幼い頃は、何も考えずに言っていた。
どうして今、これだけは言えないのだろう。
その理由ばかりを探し、君の鈍さのせいにしている自分に嫌気がさす、ひとりの帰り道。
────別れ際に
「それだけの関係」
あっという間に空が暗くなって、ぽつり、ぽつり数滴の雨が地面を濡らし始めたら、そのまま一気に本降りになった。
傘を開く間も無く、濡れていく。
石の階段は既にびしょ濡れ。
山門に駆け込んだ途端、遠くから雷の音が聞こえ、雨もさらに激しくなった。
とりあえずここで雨宿りさせてもらおう。
一息つき、ふと気配がした方を見ると、今一番会いたくなかった人がそこに居た。
「久しぶりだね。元気だった?」
和かに私に声をかける彼。
あぁ。他人に向ける笑顔だ。
どう応えていいものか一瞬迷い、軽く頷く。
「すごい雨だね。さっきまで、あんなに晴れていたのに」
「そうですね」
彼の方を見ずに応える。
どうして会いたい時に会えなくて、会いたくない時に限って会ってしまうのだろう。
息を吐く。
天気アプリで雨雲レーダーを確認。
三十分もしないうちに雨は止むはずだ。
彼の探るような視線を感じるが、私はそのまま前を見続ける。
私を突き放したのは彼。
今さら、話すことなど無い。
もう他人なのだ。
たまたま雨宿りをした所に居合わせた二人。
今の私たちは、それだけの関係。
だから、これ以上、私を見ないで。
話しかけたりしないで。
────通り雨