「記憶の修復」
ずっと昔、一度だけ見た風景が忘れられない。
だけど、肝心の場所を覚えていない。
連れて行ってくれた両親は早くに亡くなってしまったから、記憶だけが頼り。
どうにか社会人になり、旅行ができるくらいの余裕ができたので、その思い出の場所を探し始めた。
あっさりと見つかったのは、記憶していた風景が鮮明だったのと、名所として有名な場所だったからだろう。
東京から新幹線で向かい、臨時便のバスに乗る。
長閑な風景に、記憶の糸が解れていく。
バスから降りて、人の流れについていくように歩いていると、丘の上に屋台が並んでいるのが見えた。
駆け上がりたい気持ちを抑えて、ゆっくりと丘を登る。
木々の向こうに、あの風景があるはずだ。
川に向かう傾斜に咲く黄色い可憐な春の花。
雪をほんの少し残した山。
春の空は少し霞んでいる。
やっと、やっと来ることができた。
数少ない、両親との記憶。
近くにいる、あの頃の自分と両親のような親子を見つめる。
そして、自分の記憶に近づけていく。
もう顔も声も朧げで、だけど忘れてしまったら、二度と取り戻せない。
また来年も、その次の年も、ここに来よう。
両親の記憶を修復するために。
────花畑
「運命の雨」
「雷は怒りだと言われているけど、雨が空の涙なら雷は嗚咽なのではないだろうか」
そう言った彼に反論したことがある。
怒りで涙が出ることもあるのだと。
稲光とビリビリとくる感覚は、嗚咽ではなく怒りだと。
夏になると思い出す。
彼との会話は、どこまでも続いた。
興味ある分野が、ほんの少し被っていて、それが世界を広げる間口になっていたのだ。
図書館へ向かう坂道を降る。
向こうから彼が歩いてくるような気がして、首を振る。
居るはずない。
彼が東京へ出てから、連絡も取っていないし、今さらどんな顔をして会えるというのだろう。
別れは最悪だった。
やり直したくないくらいに。
ぽつり、ぽつりと足元が濡れる。
駆け込んだ先で、運命の輪が再び廻り出すなんて、この時はまだ思いもしなかった。
────空が泣く
「スタンプだけの理由」
「俺、彼女にウザがられてるかもしれない」
ずっと密かに悩んでいることを、親友に打ち明けた。
「理由は?」
「これを見てくれ」
「いいのか?」
俺はスマホの画面を彼らに見せる。
「どう思う?」
「お前、文章長すぎ!
「つーか、日記じゃねーか、これ」
「いや、俺の書いた文はどうでもいいんだよ!」
「返信が、いつもスタンプだけだな。どんな長文にもスタンプだけ」
「そうなんだよー。やっぱ、ウザがられてるよなぁ」
「うん。ウザいっていうか、よくこんな長文書けるなぁと思われてそう」
「うう……やっぱウザがられてるか」
「読むのダルいと思うぞ」
「隣に住んでて毎日学校でも会ってるんだから、直接話せばいいだろ」
「……あー、うん、そうだよな」
アドバイスに従い、俺は彼女にその日あった出来事やなんやかんやをLINEで送るのをやめることにした。
そして数日後。
「ねぇ、最近LINEが業務連絡みたいになってるけど、なんかあった?」
彼女が心配そうな表情で俺を見つめる。
「あー、いや、なんか……俺、毎日毎日、長文送り付けてたから、ウザかったかなぁと思って……」
「そんなことないけど」
「えっ……でも、返信スタンプだけだし」
「あ、それは……」
彼女の話をまとめると、返信がスタンプだけなのは、俺の書く文章のファンなので、トーク画面を俺の書いたもので埋め尽くしたいだけなのだという。なんだそれ。やっぱり俺の彼女おもしれーな。
────君からのLINE
「本丸を落とすために」
君は、きっと気付いてない。
細々と、着実に、君の外堀を埋めていることに。
子供の頃から、ゆっくりと、確実に。
「おおきくなったら、けっこんしようね」
あの頃言ったこと、俺は本気なんだけど、君はまったく覚えてないんだよなぁ……
まぁでも君の両親は既に俺が懐柔してるので、二十歳になっても状況に変化がなければ、最悪そちらから攻めていけばいいかと思っている。
「お前、そんなことしてんのか……」
この話を親友にしたところ、ドン引きされた。
いや、死ぬまで愛し続けると誓った女に対しての攻略方法としては普通だろ。
「……普通かどうかはともかく、執念というか、執着がすごいっていうか……うん、やっぱちょっと普通じゃねーよ」
「いや、そもそも恋愛においての『普通』ってなんだろう」
「たしかに……」
まぁ、こんなこと、死ぬまで君には言うつもり無いがな。
色々とドン引きされそうだということは、わかっているつもりだ。
それに、君はまだ自分自身の気持ちにも気がついていない。
今、俺が君に告白したとしても、君はきっと戸惑って俺のことを避けてしまうだろう。
さて、本丸を落とすためには、どうしたものか……
────命が燃え尽きるまで
「夜に溶けていく文字」
この時間に調子が良いのは、夜中に生まれたからだと思ってる。
BGMは、外から聞こえてくる音。
遠くから聞こえる救急車のサイレン。
ちょっとヤンチャなバイクの音。
控えめな虫の鳴き声。
繋げたままのチャットルームは、私ひとり。
ふらりと入室して、たまに寝落ちするあの人は、今夜はたぶん来ない。昨日「明日は飲み会」と言ってたから。来てほしいけど。
カタカタとキーボードを鳴らす。
ああ、またタイマーをセットするのを忘れてしまった。
延々と作業し続けてしまうのは良くないからと、あの人が勧めてくれた、ポモドーロタイマー方式を取り入れようとしているのに。
データを保存し、画面はそのままにして、ベッドに寝転んだ。
無造作に置いている資料をパラパラとめくる。
まだ寝るつもりはない。
会いたくて、会えなくて、次の約束さえも不安定。
いや、不安定なのは自分の生活か。
あの人は、ちょっと夜更かしなだけのマトモな人だもの。
午前二時半。
あと一時間くらい頑張るか。
今度こそ、タイマーをセットして、キーボードに触れる。
この時間が、たぶん一番私らしくいられる。
────夜明け前