「あこがれのひと」
「雨音って、好きなの」
彼女はそう言って髪をかきあげた。
その言葉も、その仕草も、見るだけで蕩けてしまいそうで──
※
降水確率は二十パーセント。
朝も晴れていたし、まさか雨が降るなんて思わないだろう。
気象アプリで雨雲レーダーをチェックすると、やはり通り雨のようだ。
昇降口にひとり。
大粒の雨を降らせる雨雲を睨みつける。
「バス、一本見送るしかないか」
図書室へ向かおうとしたそのとき、視界の端に彼女を捉えた。
「……あ、」
声をかけようとしたが、出来ない。
彼女の隣に立つ男子生徒の距離が妙に近いからだ。
そのまま二人を見ていると、男子生徒は鞄から折り畳み傘を出し、彼女に差し出した。
そうだよね……
あんなに素敵な人、モテないわけがない。
それこそ男なんて選びたい放題では?
胸の奥に広がるこの不快感にも似たものを、認めたくなくて、彼女たちに背を向けた。
そのまま、速度を上げて廊下を進む。
ただの憧れではないのかもしれない。
友情ではないのかもしれない。
だけど、恋ではない──ないはずなのに。
私が、彼女に向けているこの気持ちは、何?
いつの間にか、立ち止まっていた。
渡り廊下の両脇は土砂降り。
────雨に佇む
「うれしいこと三つ」
寝る前、ベッドに寝転んで手帳を開く。
毎年買っている手帳は、一日一ページ。
予定は壁掛けのカレンダーとデジタルカレンダーで管理しているから、この手帳は日記帳として使っている。
カチカチとボールペンを鳴らす。
小学生の頃から日記をつけているが、文字の大きさだけでなく、内容もだいぶ変化している。
「今日あった、うれしいことを三つ書いてごらん」
何を書いたらいいのかわからないと言った私に父はそうアドバイスしてくれた。
その「うれしいこと三つ」の内容も、年によって変化している。
いつの頃からか、感情を書き残しておくことが恥ずかしくなった。
ここ数年は、ただあったことだけ、事実のみを箇条書きしている。
それでも、書いていいのか迷うことがある。
誰にも見せることはないのに、日記帳にすら本当のことを知られてしまうのは、やはり恥ずかしいのかもしれない。
「日記とは別のノートに書いた方がいいのかなぁ」
ぱたん。
日記帳を閉じ、ベッドサイドテーブルに置いて呟く。
彼に対するこの感情や、あの子に感じる不快感とか、あの人に対する嫌悪感……
思ったことを、つらつらと書き綴って、自分の心を整理した方がいいのかもしれない。
記録として残すための文章ではなくて、言葉を吐き出すためのノート……
「一冊にまとめられれば、それが一番良いんだけど」
秋の虫の鳴き声を聞きながら、瞼を閉じる。
考えるのは、また明日。
おやすみ。明日も良いことを見つけられますように。
────私の日記帳
「真っ直ぐに見つめる君に」
君は昔から話すときに相手の目を真っ直ぐに見つめる。
いつの頃からだろう。
君と視線を合わせることが恥ずかしくて堪らなくなったのは。
その感情がどういうものであるのか、わかっているけど、まだわからないふりをしたい。
離れたくない気持ちは段々と大きくなっていく。
ただの意気地なしだ。
君と向かい合う覚悟が、まだ出来ていない。
それなのに、君の一番近い場所は誰にも譲りたくない。
だから、膝がつくくらいの距離で隣に座っている。
「内緒話しているみたい」
くすくすと笑う君の声が耳をくすぐる。
いつかまた向かい合って座ることができたら、そのときは大事な話をしよう。
その頃には、ちゃんと自分の気持ちを認めるから。
────向かい合わせ
「君に伝えないことの罪」
こんな時、どう声をかけたら良いのかわからない。
君の恋をずっと見守っていた。
どんな時も彼だけを見つめて、信じる君の表情すべてを、焼き付けるように、刻みつけるように。
もう永遠に彼に想いを告げることはできない。
言葉を交わすことさえも。
本当は知っていたんだ。
彼が君のことをどう思っていたのか。
今それを君に伝えたら、君は彼のことを永遠に想い続けてしまう気がする。
叶わない恋だとわかっている。
君が彼への想いを断ち切ったとしても、君は僕の想いを受け入れることはないだろう。
罪の意識は永遠に残る。
いつか君が彼への想いを断ち切る時が来たとしても。
絶対に言えない秘密を抱えて、彼のことを想い、涙を流す君を見つめ続ける。
────やるせない気持ち
「なぜ夏に海に行くのか。それが問題だ」
「なぁ、なんで漫画とかの学園モノの物語って、夏に海行くんだろう。しかも絶対男女混合で行くだろ。ありえなくね?」
八月下旬。
二学期が始まった途端にフェーン現象により、最高気温三十六度になった日の放課後。
小学校からの腐れ縁である俺たち三人は、コンビニで買ったアイスを食べながら住宅地をダラダラと歩いている。
「夏といったら海だから……?」
「日本に海無し県がどれくらいあると思ってるんだよ。おかしいだろ」
「四十七都道府県のうち八県だけだろ。他は海あるんだから、海に行くのは自然な発想、自然な流れなんじゃねーの」
「海、暑いだろーが。夏行くなら高原だろーが。上高地とか志賀高原とか!」
「高原だと『水着回』にならないからだろ。ほら、『水着回』は入れておかないとさ、読書が離れていくんだよ。サービスだよ、サービス」
「そんなメタな理由嫌だ」
クーリッシュを揉みながら言い出しっぺの悪友が呟く。
「ほんっとうに海が良いもんなのか、行ってみねぇ?」
「は?」
「もう夏休み終わってるだろ」
「俺の夏は終わってねぇ!行く!行くったら行く!もちろん、女子を誘って」
「いいねー!俺たちの夏はこれからだああ!」
「誰が女子を誘うんだ?」
俺の投げかけた疑問に視線を彷徨わせてから期待に満ちた目で俺を見る二人。
「俺は嫌だからな」
「そこをなんとか!」
「俺たちを海に連れてって!」
「お前ら二人で行け!」
────海へ