「海を超えて」
『故郷のイントネーションが抜けないその君の話し方は、まるで小鳥が歌うようだね』
彼はそう言って目を細めた。
どんなに努力しても外国語は完璧に身につかないと思い知らされる一言。
だが、それが口説き文句だということを知ったのは、夢を諦めて故郷へ帰ったあとだった。
『君の生まれた町を見てみたいと思ったんだ』
突然の来訪。驚くほど少ない荷物。
あぁ、そうだ。彼はこういう人だった。
『もう一度、チャレンジしないか』
『もうあの夢は終わったの。今は別のことをしてるし、それにやりがいを感じてるから』
それになにより、離れて気付いてしまったのだ。
なんだかんだで、私はこの町が好きなのだということに。
この町で、ここで出来ることのなかでの最大のことをしてみよう。
そう思えるまでに、やっと気持ちが落ち着いてきたのだ。
だから、彼のその先の言葉は聞きたくなかったのに。
────君の奏でる音楽
「迎え火」
ずっと捨てることが出来なくて、上京するときの荷物にそれを入れてしまったのがいけなかった。
東京のジメジメとした梅雨と夏で、カビが生えてしまったのだ。
頑張ってカビを取り除こうとしたけど、結局全部取りきることは出来なかった。
しかし、あちらで捨てるのは抵抗がある。
だから帰省する際に荷物に入れたのだ。
かんばを焚く。
この辺りでの、お盆の風習だ。
じーさん ばーさん
このあかりで おいで おいで
迎え火と独特の香りに、歌う。
日中、それなりに暑くなるものの、日が傾き始めると気温が下がり、吹く風もひんやりとしている。
東京の大学に進学したのは、この町では見ることが出来ない違うものを見たいからだとか、視野を広げるためだとか、言っているけれど、本当はあの子との思い出しかない町に住み続けるのが辛かったから。
同い年で気が合ったから、ずっと一緒だった幼馴染の女の子。
ある年の夏、お揃いで買ってもらった麦わら帽子をこっそりと交換した。
なぜそんなことをしたのかは覚えていない。
でも、交換したことがお互いの家族にバレていないことが楽しかったのは覚えている。
いつの間にかサイズが合わなくなったけど、麦わら帽子を捨てることはできなかった。
それはきっと、あの子も同じだったのだと思う。
「ねぇ、今年は帰ってくるの?」
こんな時、どんなに仲が良かったとしても所詮は他人なのだと思い知らされる。
本当の姉妹だったらよかったのに。
家族だったらよかったのに。
じーさん ばーさん
このあかりで おいで おいで
「このあかりで……」
あの子の名前をこっそりと呟く。
「おいで、おいで……」
視界の端に何か白いものを捉えたけれど、視線を向けたら消えてしまうような気がした。
────麦わら帽子
「終点は始点」
小学生の頃の話だ。
習い事のため、ある街へと通っていた。
週に一度。
同時の小学三、四年生にとって、ひとりで路面電車に乗って通うことは、大冒険。
降りる停留所のいくつか先が終点で、それに憧れを抱きつつも、行ってみる勇気は当時の私には、なかった。
それ以上行けない。
そのことがほんの少しだけ怖い気がしたのだ。
そのせいだろうか。
今でも終点というものは、特別で、冒険の香りがする、憧れの場所だった。
※
今回の帰省の目的のひとつは、子供の頃に行けなかった、路面電車の端まで乗ること。
この街のシンボルは変わらないのに、その周りはどんどん変わっていく。
育った街の景色を懐かしく感じるのに、それと同時に、もうこの街の住人ではないのだと思い知らされる。
大人になって気づいた。
終点と言うけれど、それは乗っている人の視点なのだ。
別の人から見たら、ここからが始まり。
変わっていない景色と、変わり過ぎてしまった景色。
今の私が目新しく感じるものも、月日が経てば懐かしく感じるのだろう。
────終点
「デートではない」
待ち合わせ場所に現れた幼馴染は、いつもより大人っぽくて、眩しくて、息が止まりそうになった。
「なにボーッとしてんの。エスコートしてくれるんじゃなかったの?」
「あ、うん。ごめん。ちゃんとやる」
「ん、期待してる」
今日は、他県にある姉妹校からの交換生を案内するための実地練習だ。
断じてデートなどではない。
大通りを歩き、名所を巡りながら、この街のことを軽く説明していく。
ひと通り案内をし、近くのカフェに入った。
断じてデートなどではない。
「……どうだった?」
「うーん。クイズ形式は良いと思う」
「良かったぁ」
「だけど歴史に関して、そこまで細かく説明しなくてもいいんじゃない?」
「いやー、でも」
「もっとラフな感じでいいと思うけど。この店の酒饅頭美味しいとか、お土産買うならここが良いとか」
「……む、難しー」
「あと、なんていうか、本物のガイドさんみたいで知識すごいなーと思うけど、色々と高校生らしさに欠けるっていうか……」
「うわー、ザックリきたー」
「あと、上手いこと言おうとしてる感がすごいし。そうじゃなくて……多少下手でも自分の言葉で言ったほうがいいんじゃないかな」
今日付き合わせたお礼だと、カフェ代を支払う。
断じて、デートなどではない。
いつか経験するであろう、初デートの実地練習である──そういうことにしておかなければ、初恋の相手をこんな風にエスコートなんて出来ないのだから。
────上手くいかなくたっていい
「あなたの娘になりたい」
「もし女の子だったら、俺、絶対可愛がりまくると思うんだよ」
「あー、なんかそんな感じするー」
同窓会で数年ぶりに会ったあなたの左手の薬指には、指輪が光っている。
来年にはパパになるのだという。
決して叶うことのないこの恋は、小さな箱に入れて埋めてしまおう。
私の本当の近況報告は、誰にも言わない。
私は来年の桜さえも、見ることが出来ないかもしれない。
そんなこと、絶対に言えないし、言うつもりもない。
最後に会いたい人に会うために、今日ここに来たの。
後悔せず残りの日々を過ごすために。
ずっとあなたのことが忘れられなかった。
この想いは、夜の闇に溶かしてしまおう。
だけど、ひとつだけ、願ってしまう。
叶ったとしても、願ったことなど忘れてしまうだろうけど。
生まれ変わったら、あなたの娘になりたい。
そうしたら、あなたに絶対に愛してもらえるのだから。
────蝶よ花よ