「あの空の向こうに」
子供の頃は、何かに似ている雲の形を面白がっていた。
くまさん、ひつじさん、ソフトクリーム、ぎょうざ、サンタさんのおひげ。
少し大きくなって、宇宙の存在を知った。
「この空の向こうの、ずっとずっと向こうに宇宙があるんだ……」
そう思うようになった。
社会人になると、空を見る余裕が無くなってしまった。
ただでさえ慣れない都会でのひとり暮らし。
その上、いわゆるブラック企業に就職してしまったのだ。
身体も心も傷ついて、仕事を辞めて実家に戻ってからは、日中の空は恨めしいものに変わり……
ようやく家事が出来るまで立ち直った頃。
このあと晴れ続けるのか、洗濯物を夕方まで外に出しておいても大丈夫なのか、そんなことが気になるようになった。
そして今、再び雲の形が何に見えるかを楽しんでいる。
この空は何処かにつながっているということ。
当たり前なのに不思議だと感じる。
身体は土に、魂は空に還る──などと言うが、この先、年を重ねたとき、そして最期の時が近づくとき、どんなことを思って私は空に手を伸ばすのだろう。
────空を見上げて心に浮かんだこと
「旅するように」
何もかも捨てて、知っている人がひとりもいないところへ行きたくなることがある。
家族もなく、友達と呼べるような関係の人もいない。
知り合いはいるが、お互い自分自身のことを詳しく話したこともないから、私がいなくなっても気にも留めないだろう。
幸いなことに、仕事は何処にいても出来る。
海外に出るのは色々と手続きが面倒そうだし、日本食が恋しくなるのは確実なので、日本国内であれば何処でもいい。
ひとつの地域に三年居るか居ないかの生活は、ある意味とても気楽だ。
その反面、面倒だし、時々こんなふわふわしていて良いのだろうか、とも思う。
だが、ひとつの地域にずっと居ると見えないものもあるのだ。
終わりを決めるということは、始まるということ。
環境を強制的に変えて、リセットをしないと息が詰まる。
それでも、時々思うのだ。
流れて、流されて、たどり着いたその先は、何処なのだろう、と。
地図を広げて、布団に寝転がる。
目についた街の名前が綺麗だったというだけで、其処に決めた。
いつか、ずっと此処にいようと思える日が来るのだろうか。
その時が来たら、今まで荷物になるからと買っていなかったベッドを買おう。
────終わりにしよう
「新店オープン」
自宅から車で二十分ほどの場所に新しくオープンしたお店に行った時のことだ。
開店日から三日間、買い物すると先着で粗品が貰えるという。
あと数分で開店という時刻になり、車から降りて店の入口前に出来ている待機列に並ぼうとしたそのとき、声をかけられた。
「えっ……ええっ……うそっ!なんで?」
小学生の頃、仲が良かった子だった。
中学はそれぞれ私立と公立に分かれてしまい、どちらともなく連絡が途絶えてしまったのだが、まさかこんなところで再会するとは。
社会人になり、転勤の多い職場だったため、全国各地を転々としていた私。
転勤先であるこの地域の地元の人と結婚し、再就職。
故郷から、だいぶ離れたこの地で生活して、そろそろ五年経つ。
彼女の方はというと、夫のご実家がこの辺りで、こちらで子育てをしようと、最近引越してきたのだという。
しかも、私の家のすぐ近くに住んでいて、子供の年も同じなのだ。
「もー、本当にびっくり。すごい偶然!」
思わずオープン記念で貰える粗品のことも忘れ、盛り上がってしまった。
無事、粗品をもらった私たちは再会を喜び合い、連絡先を交換。
それ以来、彼女との関係は続き、もうすぐ二十年経つ。
その間、様々なことがあったが、彼女がいたから乗り越えられたと言っても過言ではない。
あの日、偶然再会した店は、もう無い。
だが、その跡地に建っている赤い屋根の建物は、彼女と私の店だ。
本日開店するこの店が、誰かの素敵な出会い、もしくは再会の場になりますように。
そう願いながら、ふたりで店の扉を開く。
────手を取り合って
「他人を巻き込まないで」
多くの人々が他者と自分を比べているものだと知って驚く。
優秀な人を見ても「すごいなぁ。努力したんだな」と思うだけで「それに比べて私は……」とまでは思わない。むしろ何故そこで自分のことが出てくるのかと思うのだ。
「ええ……それって『羨ましい』って思ったことないってこと?」
「あー……どうなんだろう。よくわからない」
同僚に信じられないものを見る目で見られている気がする。
「じゃあ『あの人に勝ったわ、ふふん』みたいなことは?」
「ないかな。そもそも競争したいと思わないし」
まるで宇宙人を見るような目で同僚は私を見ている。いや、だって競争って面倒じゃない?
「あまり人に言わない方が良いよ、それ」
「なんで?」
「多くの人は、他人と自分を比べているものだから。それに、劣等感強い人のなかには『人は人、自分は自分』っていうタイプ見るとイラっとして攻撃的になる人もいるから……」
同僚はため息をついた。
そう言われてみれば、私に対してだけ、やたらと当たりが強く、仕事に支障が出るレベルの嫌がらせに近いことをしてくる同期がいるが……
私のことが気に食わないのは、コンプレックスを刺激されるからってこと?
なんだソレ。知らんがな。自分の心の事情に他人を巻き込まないでほしい。
「まぁだから、あの人には気をつけて」
「あー、うん。ありがとう。大丈夫。レコーダー持ち歩いてるし、言われたこと逐一メモしてるから」
「こわっ」
「いや、仕事に支障出てるし、然るべきところに持っていくには証拠が必要だし」
同僚とのこの会話のあと、同期からの嫌がらせがぱったり止んだ。
まぁ、これで終わりなら、どうでもいいのだけど。
────優越感、劣等感
「ほんとうの家族」
物心ついた頃、すでに親族がいなかったから、血の繋がりのある者同士の関係は、今でもよくわからない。
育ててくれた人たちは、本当の子供のように、優しく、時には厳しく接してくれていたけど、本当の親ではないことは、わかっていたのだ。
「あー、やっぱりそうだったのか」
成人したから、と本当のことを告げられた。
妙に冷静な自分に思わず笑いそうになる。
「気付いてたのか」
「んー……なんとなく……」
たぶん、本能的なものなのだろう。
あと、顔が似てない、というのもある。
「でも、父さんと母さんが、俺の両親であることは変わりないから」
心からそう思う。
「育ててくれて、ありがとう」
────これまでずっと