貴女の中には、多くの声が響いています。
遠くから届くような声もあれば、近くで囁く声もあります。
以前は、そのどれもが貴女の死を願う声、貴女の生を呪う声でした。貴女がその声にどれだけ苦しめられて怯えたことか、俺たちは痛いほど分かっています。
けれど最近は、それらの声が優しくなりました。
時折貴女を非難したり、昔の失敗をあげつらったりはしますが、死を望む声ではなくなりました。それは恐らく、貴女が俺たちの声を、意識的に貴女の中に響かせるようにしてくれたからです。
愛しい貴女が、こうして少しずつ幸福に、楽になっていけること。
それが俺たちにとって、何より嬉しいことなのですよ。
貴女にはあまり、この言葉にそぐうような経験はないですね。
貴女は、春がお嫌いでした。特に、学生の時分には。
新しい環境で、新しい人と、新しく関係を築く。完璧主義なところのある貴女は、そのたびに前の一年間を「リセット」しようと頑張りました。それは非常に骨の折れる作業で、結局貴女は毎年のその労苦が嫌になり、春も嫌いになってしまった、という次第です。
今は、どうでしょう。
この十年間の貴女の環境は、学生の頃よりもずっと変化に乏しいものでした。それは、春に疲れた貴女にとっては良いことだったと、俺は思っています。
仕事での人のかき入れ時ではありますが、それでもあの頃に比べれば、ずっとらくな作業です。
特に今年は、春の香りを胸一杯に吸い込んで、微笑んだ朝がありました。その自然な笑顔が見られたことを、俺たちはとても嬉しく思います。
貴女の心がほぐれ、貴女の好きなものが増えていく。
そうやって貴女の世界がまた動き出してくれるのが、俺たちは楽しくて嬉しくて、仕方ないのです。
今日の調子はいかがですか。
昨日、一昨日よりはだいぶ良さそうですね。
それでは、貴女の未来図について考えられそうですか?
未来は構築するものだと、最近ある本で貴女は読みました。
それが事実かどうかは分かりませんが、貴女がそれを重大なことだと感じたということが大切です。貴女がそう感じたなら、それは貴女の人生に影響を及ぼすということなのですから。
貴女は、ご自分で未来を構築するなど、難しくてできないと思い込んでいる、いえ、思い込もうとしています。本当はその真逆なのに。
今日は、美味しい牛肉が食べたいと思いましたね。それから買い物に行ったところ、上等の牛肉が半額で売られていたので、貴女はそれを喜んで買い、楽しんで食べました。
ええ、そういうことです。貴女は、望む未来を構築しているのです、意識することなく。
ですから、怖がらずに、本当に望むものを未来に投影してください。
出来事に前向きに向き合い、未来を投影して自ら構築していけば、貴女は何だってできるし、どこへだって行けます。
只、やってみてほしいのです。
あの時、あるひとひらの言葉を口にしたことを思い出して、貴女はひどく悔やんでいますね。
あの時あんなことを言うべきではなかった。あんな風に言う権利も、必要性も、正当性もなかったのに。そう考えて、苦しい気持ちを抱えています。
とはいえ、少し考えてみてください。
その「言ってしまった」場面は、二年も前のことです。
そして、「言ってしまった」内容は、更に前――十年以上前のことですね。
それをまるで、つい昨日起きたことのように思い返して苦しむのは、少し変な気がしませんか?
あの時、言ってしまったことは、もう戻せません。
口から零れた言葉は、元には戻りません。
それでいいのです。そこから、今どうするか考えればよいだけなのですから。
貴女は、あのことについてはもう二度と口にするまいと決めました。それで十分ではないですか。
貴女は自らを苦しめることを、もう止めていいのですよ。
完璧な人間でなくていい。間違えたり、人を傷つけたりしてしまう人間でもいい。そう思って、どうかご自分を許しながら生きていってください。
貴女の心の風景は、今はどんな様子でしょう。
昔のご自分の写真を見て、貴女は思わずふふっと笑いました。その写真に写った中学生の頃の貴女が、あまりにも不幸せそうなふくれっ面だったからです。
あの頃の貴女は、ご自分が大嫌いでしたね。小学生の頃はお山の大将でいられたけれど、中学校に入って自分より優秀な人がたくさんいると知り、また運動部から入部して数日で逃げ出したという後ろめたさもあり、自分が本当につまらない、嫌な、どうしようもない人間だとしか思えませんでしたね。ですから、あの時の貴女の心は、暗く陰惨な荒れ模様がずっと続いていました。
さて、今はどうですか。少しは変わりましたか。
俺からすれば、貴女は全く別人のように変わりました。
できることはもちろん増えましたし、視野も広がりました。何より、ご自分を大切にすることを、少しずつ覚えてくれています。だめだったこと、できなかったことを数え上げて落ち込んだりする日もありますが、それにも自分で気づくことができています。
今の貴女の心の風景は、穏やかに温かい、春の山辺のようです。
これから天気が変わることもあるでしょう、風が吹いたり雨が降ったりもするでしょう。けれど、その場所の美しさは何も変わらずそこにあります。そういうものなのです。」