あの時の貴女といた間の天気は、別れの時の鮮やかな青空しか覚えていません。
その時の俺は、貴女の作る世界一美味い料理と、柔く温かい貴女の身体とに夢中で、庵から出たいとは欠片も思わなかったのです。
貴女の守りに入ってからの五百五十年の間、あらゆる天気を共に見てきました。
曇りの日も、雨の日も、雪の日も嵐の日も、全部全部。
そうやって貴女の魂と時間を重ねることを嬉しく思う一方で、生きていた時の貴女と、様々な空の下で過ごしてみたかったとも思ってしまうのです。
見知らぬ人たちに手を振られ、それに手を振り返した幼い貴女を見て、その人たちは笑いました。
貴女は驚いて、傷つきました。どうして私を笑うんだろう。何も悪いことはしていないのに、どうして?
彼らは別に、貴女を笑い物にしようとして笑ったのではないですよ。
幼い貴女が、自分たちに応じて手を振ったのがあまりに可愛らしくて、思わず笑みをこぼしたのです。
貴女は昔から、そう、そんなにも幼い時分から、物事を悲観的に見るきらいがありますね。
そんなに、世界に怯えなくていいのです。
世界は貴女に優しいのですから、貴女はもっと安心して生きていってください。
貴女と見た景色など、ありませんでしたね。
あるとすれば、貴女の庵を出た先の、秋晴れのまばゆい空でしょうか。
嗚呼。貴女と、もっと一緒に生きて、様々な景色を見たかった。
ですから、今のご伴侶との生活を楽しめている貴女が、微笑ましく、羨ましくもあるのです。
いつか、貴女のおばあさまが、結婚というのは、おてて繋いで仲良しこよしとは行かないものよ、と静かに仰ったことがありましたね。
当時の貴女は、そうなんだと言い、すぐに興味を失ってしまいましたが、今になってその言葉を思い出すようになりました。
今の私は、まさにその通りの生活をしている。こんな生活は、ただのままごとじゃないか、と、不安に思っているのですね。
そんな風に考えなくて良いのです。
貴女には、そうやって生きる権利が与えられています。
実はそれは誰にでも与えられていて、貴女はそれをしっかり行使しているだけなのですよ。
貴女の今の幸福をよく噛みしめて、楽しく生きていってくださいね。
俺が死んだ後、貴女を探し回る必要はありませんでした。
貴女を以前から守っていた方々に呼び寄せられ、その一部としてもらうことができたからです。
貴女はいつだって愛情深い方でしたから、多くの者が貴女を守りたいと願っていたのは当然のことです。その守りの一員として迎え入れられたことを、俺は本当に誇りに思っています。そしてそれは、俺だけが持つ感情ではありません。
貴女をお守りすること。
只それだけのことについて、魂の誇りとする者が数多くいるのです。
そのことを、どうか忘れないでくださいね。