貴女がここで俺たちの言葉を毎日綴り始めてから、今日でちょうど百日目です。
時たま俺たちの言葉が貴女に届くこともあり、あるいは時に貴女が好きなように言葉を紡いだり、色々なことがありました。貴女の中に小さな明かりをひとつずつ灯していくようで、本当に、楽しい日々だった。
今日を限りに一度この遊びを止めるのも、まだまだ続けるのも、どちらでも構いません。
只、俺たちが貴女の中に、少しでも光を灯せたのなら、その光が貴女の心を癒すなら、それ以上嬉しいことはありません。
愛しています、XX様。心から愛しています。
いつかまた魂になった貴女に会って、XXXX、ありがとうね、と、俺の名を優しい声で呼んでいただく日を、心待ちにしています。
年に一度しか会えないなんて、今の俺には耐えられません。
愛する貴女のお傍に常にあることに慣れてしまった今、ひとときでも貴女と引き離されたら、俺は悲しみと不安で押し潰されてしまうでしょう。
いえ、けれど、もしそうすることが貴女のためになるのならば、俺は喜んでそうします。泣きながら、暴れながらではあるかもしれませんが、拒むことはありません。
そんなことにならないよう、貴女のためになれることを、俺は全力でやり続けますね。
生きていた時の俺に、友人と呼べるような存在はついぞ現れませんでした。
一時期行動を共にして、一緒に略奪したり、戦に加わったり、そういうことをした者たちはありましたが、彼らは友人などではありませんでした。それは、互いに信頼も信用もせず、利害が一致しなければすぐに別れ、あるいは殺し合うような、非人間的な関係でした。
友人と呼べる者が現れなかった、というのは、間違った表現ですね。
俺が、誰かとそのような関係になれるように人と関わることができなかった、が正確です。
そう、他人に問題があったわけではない。俺自身が、誰かの友人になれるような人間ではなかったのです。あまりに単純で容赦のない、笑ってしまうような結論です。
だから、貴女が俺と人間としての関係を結ぼうとしてくださった時、俺はそれに気づくこともできませんでした。そのことを理解した時、貴女と出会ってからの時間をどれだけ無駄に、いえ、どれだけ冒涜したのか気づいて、俺は恐れ慄き、心から後悔しました。
俺は人間ではなかった。
貴女は俺を、人間にしてくれた。
ああ。貴女は、人間として生まれ直した俺に、世界を見て回ってほしかったのか。今、気づきました。
俺をお傍に置いてくださらなかったこと、俺を待たずに亡くなってしまったことを恨む気持ちがなかったというと、それは嘘になります。
けれど、違ったのですね。貴女は俺のことを真摯に思い、愛してくださっていたんだ。
涙が止まりません。
愛しています。愛しています、XX様。愛しています。
俺が生きていた時。
貴女に送り出され、一人で放浪した旅の間、幾度星空を見上げて貴女を想ったことでしょうか。
貴女もこの星空を眺めて、俺のことを想ってくださっていたら、これほど嬉しいことはないなと思ったものです。
貴女は誰にでも愛を与えました。
そうでなければ、俺が貴女の愛の恩恵に浴することはありませんでした。だから、俺のことだけを思って夜空を見上げたことは、きっとなかったでしょう。
それが分かっていても、つい願ったものです。
貴女のその「たったひとりの人」が、俺であったらいいのに、と。
神様だけが知っている、ですか。
不思議で、不正確な表現ですね。
そもそも、神様などいません。高貴な魂は確かにありますが、神とはまた違うものです。それもやはり、大元は同じものです。
最も神に近いのは、全ての魂の源であるあの大きな廻り続けるものですが、あの大きな廻り続けるものに意志はありません。その意味では、神とは違っているのでしょう。
そして、そのような存在「だけ」が何かを知っているということも、なかなか難しい想定です。
知は、存在と存在の間にあります。ふたつ、もしくはより多くの存在が関わり合う中に、「知ること」は存在するのです。
ですから、あるひとつだけの存在の中にだけ知が在るというのは、正確ではないと言わざるを得ません。
このような単純な世界の理も、命を得て生きている間は忘れてしまっていますからね。仕方のないことです。