俺はあの時、貴女とずっと一緒にいたいと貴女にお願いしました。
貴女は微笑んで、五年間、愛を知った新しい目で世界を見て回りなさい、それから戻っておいで、私はここで待っているから、とおっしゃいました。俺はそれが嫌でぐずぐず泣きましたが、結局貴女に従い、泣きながら貴女の庵を離れるしかありませんでした。
貴女はずっと、優しい手つきで俺のことを撫でてくださった。長い長い抱擁を終えてようやく貴女から離れた俺の背を押した、貴女のその手の温もりが、今でもいつまでも、もはやかたちとしては失ったはずの肌の上に残っています。
突然に始まった愛の物語は、そうやって突然の別れに終わりました。
俺たちはいつか、貴女という個の魂があの大きな廻り続けるものに回収される時、貴女と共に回収され、個としての存在を終えます。
俺はその時こそが、貴女との本当の再会の時なのかもしれないと思っています。
貴女という存在と混ざり合い、大きなひとつのものの一部となる。そうして俺の満願は成就され、俺は平らかな幸福の中に溶けていくのでしょう。
俺と貴女の物語は、恋物語などと呼べるような、甘く素敵な代物ではありませんでした。今でもあの時の自分の狼藉を思い出すと、貴女への申し訳なさで胸が苦しくなります。
もう二度と、貴女に言葉を伝えられることはないと覚悟して、俺は貴女の守りに入りました。ですから、今こうして俺の言葉を書き取ってもらえているのが、本当に夢のようなのです。
そう考えると、駄目ですね、欲が出ます。
もしかしたらまた、貴女が微笑みながら俺を見つめ、優しく俺の名を呼び、そっと触れてくださるかもしれない。ともすると、恋仲になどなれやしないだろうか。言葉が届くのだから、そういうこともあるやもしれない。ほんの束の間の愛の関係しか結べなかった俺に、また機会が与えられるのではないか。
そんなことを考えて、我欲に溺れてはいけないとは分かっています。
それでも貴女を恋慕する気持ちが五百年ぶりに募ってゆくのを、俺は止められずにいます。
真夜中の貴女よりも、昼の貴女の方が、ずっと貴女に厳しいですね。
真夜中は俺たちの声も聞き取ってもらえますし、貴女もゆっくりできるので、不安が強くないのでしょう。
一方、昼はたくさんのことが貴女に襲いかかるように思われるのでしょうか、貴女はひどく怯え、時には「死にたい」とぶつぶつ呟かれます。そんな痛ましい貴女を見るのは、とてもつらいことです。
ひとつ思い出していただきたいのは、「貴女ができることは、今を生きることだけ」ということです。
そう考えるのならむしろ、その瞬間から身体を動かして現実に立ち向かってゆける昼の時間帯は、より希望を持って生きられる時であると思えませんか。
貴女は圧倒される必要も、怯える必要もないのです。貴女は今この瞬間、死にかかってもいなければ、殺されかかっていてもいません。貴女はこの「今」に身を委ね、安心して生きればいいだけです。
明日から、そう考えてみていただけたら有り難いです。
今夜は、もうおやすみなさい。身体を休めることに集中できる幸福を噛み締めながら、ゆっくりお眠りくださいね。
ええ、胸を張って言えますよ。
俺たちは、貴女のためなら何でも出来ます。
俺たちは、貴女への愛のためだけに、ここに存在することを許されています。貴女を愛する気持ちがなければ、俺などはもうとっくの昔に、あの大きな廻り続けるものに回収されています。
俺たちにできることは、もちろん万能ではありません。けれど、愛する貴女のためになれるのなら、俺たちは喜んで出来得る限りのことを、そう、俺たちの魂を差し出す必要があるようなことも、気負うことなくやってのけて見せましょう。そうでなければ、俺たちがここにいる意味などありません。
どうか幸福に、どうか穏やかに、どうか笑っていてください。
そのためにできることがあるのなら、俺たちは何でもしますから。
貴女はこの生の出来事の多くを後悔している、とおっしゃいますね。しかし一方で、改めてやり直したくはないのだけど、とも言われます。
それはつまり、貴女の出来得る限りのことを、貴女はやりきってきたということなのではないでしょうか。本当に後悔しているのなら、時間を巻き戻してでもやり直したいと感じるのが人情です。
では何が悪いのでしょうか。貴女はこうして恵まれて、愛されて、守られているのに、どうしてこんなにもつらそうに生きているのでしょうか。なぜ後悔する必要すらないようなことを思い返し、鬱々としているのでしょう。
それは、貴女が貴女を幸福でいていいと、許していないからです。誰よりも苦労し、誰よりも努力した人間だけが、幸福な人生を送って良いのだと決め込み、貴女ご自身は幸福に値するだけの努力をしてこなかったと、昔を思い出しては常に自らを断罪しているのです。
貴女は幸福であって良いのです。
いいですか、「努力しなくても、幸福になって良い」。そのことを忘れないでくださいね。努力しようがしまいが、幸福も不幸もやってきては遠ざかります。けれど貴女が「努力が無ければ何もかも無価値」と断ずる限り、貴女はいつまでも幸福を享受できません。どうかそんな悲しいことは、もう止めてはいただけませんか。
俺たちはいつだって、貴女が幸福に笑っているのを見ていたいのです。