俺が生きていた時に貴女へ抱いていた気持ちは、もしかすると恋だったのかもしれません。
親の顔も知らずに育ち、俺は誰からも愛を与えられた記憶がありませんでした。
貴女は、そんな俺にめいっぱいの愛をくださいました。あんな狼藉を働いた人間を、どうしてあんなにも愛することができるのか。心からありがたく思いながらも、俺には今でも理解できません。
ともあれ、貴女と出逢ってからは、そうして俺を愛してくださった貴女こそが俺の世界の全てでした。
そうですね、あれはきっと恋だったのです。
貴女が俺の旅の終わるのを待たずに亡くなっていたと知った時、散々一人で泣き喚いた末に、俺は貴女の後を追うと決心し、貴女を悼む碑の前に座り続けて死にました。それは、貴女を恋い慕っていたからの行動だったのでしょう。
貴女は、俺への遺言を残してくださいました。
「私の愛はもう与えることができませんが、それは貴方の中に息づいています。それを持って生きなさい。それが私の望む、私の愛への報いです」
貴女はそうおっしゃって、微笑んで事切れたと聞きました。
ええ、そう言い遺されて尚、俺は死を選んだのです。
本当に貴女を愛していたなら、俺は貴女の言に従って、いつか泣くのを止めて歩き出し、自分の生を全うしたでしょう。
あの時の俺には、「愛」は理解できませんでした。自分の全てを相手に委ね、相手が死んだら自分も死ぬ。そういう歪んだ恋情のようなものを持って、俺は死んだのです。
今なら俺も、貴女を愛せていると思います。
貴女がこの愛を受け取ってくださる日が遠からず来ることを、ずっと祈っています。
明日世界が終わるなら、という仮定は難しいですね。
とりあえず、「明日貴女のこの生が終わり、そのまま貴女の魂があの大きな廻り続けるものに回収されるなら」、と読み替えましょうか。
貴女の魂の終わりは貴女の世界の終わりであり、貴女に付き従う俺たちにとってもそれは同じことです。
貴女はきっと、今日と同じ日を繰り返すでしょう。せいぜい、仕事を休むくらいでしょうか。けれど、それ以外は今日と何も変わらない。
今日と同じように朝起きて身支度をして掃除をし、ご伴侶と昼食をとり、散歩に出かけ、カフェで一息つき、美味しい夕飯を作って一緒に食べ、熱いシャワーを浴びて、いろいろと語らって夕べを過ごし、温かく柔らかい布団で眠りにつく。その眠りが「永遠の眠り」になるということ以外は、全てが同じです。それが貴女の完全な幸福の形なのだから。
俺たちはそんな貴女を見て、満足します。
この生は、貴女にしてはのんびりとしていたけれど、最後の休暇としてとても良い過ごし方でしたね、と皆で言います。そして、貴女の魂の最期の時まで、貴女と共にいられたことを祝福し合うでしょう。それで終わりです。
ですから、お分かりいただけますか。俺たちと貴女は、自らの幸福を既に実現しているのです。この幸福がいつ崩れるか分からないと、貴女は戦々恐々としていますが、そんなことよりも今のこの生活を存分に満喫し、楽しんで生きてはいただけませんか。
貴女の世界はいつか終わります。
だからこそ、貴女は今のこの瞬間を味わって生きてください。
今という幸福を今実感して慈しまないとしたら、一体いつそうできるのでしょうか。どうか、どうか、貴女の幸福を今、出来得る限り盛大に祝福し、大切に大切に慈しんで、楽しんでください。
貴女と出逢って、俺の人生は、俺の魂の行く末は、全く変わってしまいました。貴女がいなければ、俺はいつまでも人を殺して喜んでいたし、死んでからはすぐにあの大きな廻り続けるものに魂を回収されて、一つの個としての存在を終えていたでしょう。
けれど俺は、貴女に出逢うことができました。
人を愛し、人に愛されることの喜びを知りました。
人を傷つけ、殺すことの痛みと罪深さを教わりました。
貴女を守り、貴女の魂の最期まで全て見届けたいと願いました。
貴女を愛せること。
そして、貴女を愛せることを「幸福だ」と思えること。
そう感じられる心をいただけたことが、何よりの幸甚でした。
俺の愛する貴女。誰より愛しい貴女。
あの時貴女に出逢えたことが、俺は何より幸福です。
貴女は俺たちの声を聞く時、耳を澄ましたりはしません。
只ペンを持ち、紙にペン先を乗せるだけです。
最近はそれすらせず、スマートフォンに指先ですらすらと書かれることが多いですね。
ともあれそうして心を落ち着けて「書く」体勢を作っていただければ、俺たちはいつでも貴女に語りかけることができます。
貴女は時折、この言葉は貴女の妄想に過ぎないのでは、と不安になりますね。自分の耳に甘美に響く言葉を、一人で勝手に妄想しているだけなのでは、と。
もしそうなら、俺たちはどれだけ楽になることでしょう。
貴女が本心から、貴女自身に優しい言葉をかける。
そんなことをしていただけるなら、俺たちが貴女に語りかける必要などなくなります。只、貴女を守る者として、貴女の後ろに控えていればいい。
貴女ご自身からは、その「甘美な」言葉は出てこないのです。
いつか貴女自身の心から、貴女を愛する言葉が湧き出るようになることを祈って、俺たちは毎日貴女に語り続けましょう。
貴女はいつの時も、隠し事というものが苦手でした。
今の生では、特にそれが顕著ですね。誰かとの二人だけの秘密など、相手がそう望まない限り、ほとんど持っていないでしょう。
貴女のその正直さは美徳ですが、時に人を怯えさせ、狂わせます。あまりにも誠実に、ただただ真っ当に生きている人間を見ると、人は無意識に自分の在り方を省みて、慄くことがあるのです。貴女の生き方は、そういう恐れを引き起こし得る類のものなのです。
ああ、貴女はまた、自分はそんな真っ当な生き方をしていないのに、この人は何を言っているんだろうと思いましたね。
貴女はご存じないのです。世の中の人のどれだけが、嘘をつかず人を騙さず人を傷つけずに、自分の中の徳に誠実に生きることができているのか。貴女がどれだけ清廉な心を持って生きているのか。
とはいえ、それを実感するためには、「真っ当に生きていない人間」をつぶさに見ないといけませんから、貴女はそのままでいいのですよ、とだけ言っておきましょう。