燈火

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7/20/2024, 6:38:16 PM


【私の名前】Another Side


目を開けば、真っ白な視界と鼻の奥を刺す消毒の匂い。
どこか柔らかい場所、おそらく病院のベッドだろうか。
そこで仰向けになっているのだと理解した。
なぜこんな場所に。焦る心と対照に体は動かない。

次いで感じる、左手にじんわりと広がる温もり。
おもむろに顔を向けると、目を伏せる誰かが見える。
私の指がぴくりと反応し、弾かれたように顔を上げた彼。
見慣れない、いや、どこかで見たような男性。

誰だろうと記憶を辿る。と、ふいに鮮明に浮かんだ。
半年ほど前から交流のある取引先の営業さんだ。
「お久しぶりです」決して愛想笑いではなかった。
繋がれた手に嫌悪感もない。ただ、違和感は拭えない。

明らかな非日常のなかで、祈るように包まれた手。
受け入れられない、信じがたい様子で固まった表情。
「……先生、呼んでくるね」親密な口調。下がった眉。
その全てが印象的で、異様さを自覚するには十分だった。

あの男性が先生を連れて戻り、遅れて父と母が来た。
それから複数枚の写真を見せられ、先生の問いに答える。
自分や家族の名前、仕事。今日の日付、最近の出来事。
彼についてもしっかりわかるのに、その顔は暗いまま。

先生の判断は、しばしの経過観察で問題なければ退院。
一人きりの病室は退屈で、考え事ばかりが捗る。
よく考えるのは、不思議と両親が気を許す彼のこと。
取引先の男性、だけではないのかもしれない。

珍しく間を空けて見舞いに来た彼は顔色が悪い。
思い詰めた様子で強く目をつむり、私を見据えた。
「僕の存在が嫌になったら、名前を書いて渡してほしい」
委ねられた離婚届は、突然すぎて、現実味がない。

9/6/2023, 6:02:28 AM


【貝殻】


不法投棄されたガラスの破片。
それが海で揉まれて角が取れるとシーグラスと呼ばれる。
キーホルダーやアクセサリーの素材に人気なのだとか。
貝も石も丸くなるのに、ガラスだけがシーグラス。

人間も一緒。この世に生まれ落ちた命。
それが社会で揉まれて個性が取れると大人と呼ばれる。
毒にも薬にもならない程度が扱いやすくて良いのだろう。
みな等しく『普通』になるのに、生まれで扱いは変わる。

不平等だなんて声を上げても変わらない。
石はガラスにはなれない。シーグラスにもなれない。
石はどれだけ削れて丸くなっても、ただの丸い石なのだ。
けれど人の手が加われば、価値あるモノへと姿を変える。

そのためには見つけてもらわないといけない。
屑石も原石も磨けば光る。磨く人がいれば、光る。
もし大人になれないまま歳だけ取ってしまったら。
見つけないといけない。個性を認めてくれる誰かを。

私はまだ、見つけてもらえることを期待している。
だって私はガラスではないけど石でもない。
そのままの姿でも価値のある、人の目を引く貝だから。
そして、ようやく出会えたの。私自身を見てくれる人。

あなたは「大人になれ」なんて言わない。
誰かと比べない。冷めた目で見ない。決めつけない。
私は私。他の誰でもないし、誰にもなれない。
簡単なことなのに、あなたしかわかってくれなかった。

見つけてくれたあなたのため、私は努力をする。
できる限り言うことを聞いて見捨てられないように。
「良い女だよ」どこかから聞こえるあなたの声。
「自己評価の高いバカは扱いやすくていい」嘲り笑う声。

9/3/2023, 9:31:24 AM


【心の灯火】


深夜、わざわざ出歩くことに意味など無い。
誰にも会いたくないけど、家に籠もっていたくもない。
だって、あまりにも退屈で窮屈な感じがするから。
なんとなく惹かれる店で時間を潰す。

入ったファミレスは定番の場所。
「お兄さん、よく遅い時間に来ますよね」
お冷を持ってきたウェイトレスに話しかけられた。
これだけ人がまばらだと店員も暇なのだろうか。

「今日もドリンクバーとポテトですか?」
「それで」会話が終わるならなんでもいい。
別にポテトは好きでも嫌いでもない。
ドリンクバーだけで長居は申し訳なく思っただけ。

何をするでもなく、ただスマホの画面を眺める。
こうしていれば、いくら暇でも話しかけてこないだろう。
「最近、新人ちゃんが入ったんですよ」
おかしいな。なかなか思い通りにいかないものだ。

「ほら、あの子なんですけど」おもむろに顔を上げる。
いかにも鬱陶しがる感じで、しかし好奇心が勝った。
凛とした雰囲気の女の子。見た目は高校生ぐらいか。
新人、と聞いてもしっくりこない。

こいつほどではないか、と思いながら彼を見る。
「なんですか? もしかして一目惚れしちゃいました?」
僕に油を売るこいつも新人。たぶん入って三ヵ月。
「しない。仕事戻れ」友達か、と内心ツッコミを入れる。

あれだな、新人を見守るのは形容しがたい気持ちになる。
エセ新人はさておき、確実に来店頻度が高まっている。
これは一体どういうことか。
きっと不慣れながらも一生懸命な姿に癒されるからだな。

9/2/2023, 9:10:29 AM


【開けないLINE】


既読をつけたら返事をしないといけなくなる。
通知をオンにしているから内容は知っているけど。
返事を考えられないのではなく、考えたくない。
スタンプ一個を返すことすら今はしたくない。

あなたのメッセージに一喜一憂していたのが懐かしい。
今でもしているとはいえ、恋愛初心者の頃ほどではない。
あの頃は返事がくるだけで嬉しかった。
それなのに、未読だ既読だと求められて疲れている。

ピコン。また通知音が鳴った。
〈ごめん、痛かったよね。わざとじゃないんだよ〉
言葉からイメージされるのは、しおらしい態度。
でも、画面の向こうではどんな顔をしているのだろう。

頬がひりひりと痛む。「保冷剤、あったっけ……」
何度目かの謝罪の言葉は、もう響かない。
思い通りにならない現実に彼の態度は日々悪くなる。
私の励ましなんて届かないぐらい追い詰められている。

大丈夫だよ、とか。あなたならできるよ、とか。
そんな無責任な言葉では神経を逆撫でするだけ。
私の頬に手が当たったぐらいで正気に戻れるならいいか。
保冷剤を当てると冷たくて、冷たすぎてじんじん痛む。

〈大丈夫? もう冷静になったから。会いたい〉
素直に信じて、会いに行ったこともある。
確かに怒りは収まっていたけど決して冷静ではなかった。
情緒が不安定で、子供のように泣き喚いていた。

どう返せば責められずに済むかな、って考えている。
〈ねえ、読んでよ〉〈なんで返事してくれないの〉
メッセージが連投されて、通知が次々と更新される。
音が落ち着くまで。私はスマホの電源を切った。

9/1/2023, 9:42:25 AM


【不完全な僕】


僕の苦手や嫌いを知るたび、彼女は「意外」と言う。
なぜか、何でもできる人だと思われているらしい。
学生の頃に生徒会長を務めていたのを知っているせいか。
彼女だけでなく、今まで交際した相手によく言われた。

理想の姿を期待して、現実を知ると離れていく。
とうに慣れてしまった、いつものパターン。
僕に好意を告げた口で「なんか違う」と罵る。
勝手に幻滅したくせに、まるで僕が悪いみたいな。

僕の来る者拒まずな態度は、誰にも期待していないから。
表面だけ見て寄ってくる人間に取り繕うのも馬鹿らしい。
少し見目が良いだけで、勉強も運動も優秀ではないのに。
夢を見たいなら、わざわざ近づいて傷つけないでほしい。

彼女も選ぶ側に立った一人。僕に好意を告げた人。
いつか離れていくのだから、特別扱いなんてしない。
理想と乖離した僕の姿を、どうせ彼女も受け入れない。
そう諦めていたけど、彼女は「意外」と言うばかり。

「期待外れなら、はっきり言っていいんだよ」
今までの相手と違う反応に耐えられなかった。
心の中では何を考えている? 探るように見つめる。
半年も交際が続いたのは彼女が初めてだ。

「別に期待外れなんて思ってないけど、なんで?」
普段と同じ声のトーンで答え、首を傾げる彼女。
口癖のように「意外」と言うのにそれが本心なのか。
素直に信じることはできなくて、まだ疑ってしまう。

「『意外』って言葉、理想と違うって意味でしょ」
「なにそれ、馬鹿にしないでよ」彼女は心外だと憤る。
「新しい君を知ったのに、不快になんて思うわけない」
等身大の姿を見られていなかったのは、僕のほうだった。

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