燈火

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8/21/2023, 9:16:27 AM


【さよならを言う前に】


幼少期から慕っている歳上の幼なじみが上京するらしい。
噂を耳にして、本人に確かめたから間違いない。
こんな田舎から会いに行くには、時間もお金もかかる。
高校生の身分では決して簡単なことではない。

つまり、しばらくのお別れになるってこと。
寂しさより、裏切られたような気持ちが強い。
「長い休みには戻ってくるから」君が眉を下げる。
信じられないよ。兄もそう言って卒業まで帰らなかった。

バイトしてお金貯めたらいいのよ、とお母さんは言う。
お父さんも、自分で会いに行けるぞって同意する。
でも、違うの。頑張れば会いに行けるのはわかっている。
ただ、私から行って鬱陶しがられないか不安なだけ。

君の家に遊びに行くたび、ダンボールが増えている。
今週末に君は引っ越しをして遠く離れていく。
その事実を実感させられて、やはり寂しさが募る。
このダンボールが消える日が、しばらくのお別れの日。

もう金曜日なのに「行ってらっしゃい」を言えていない。
君は時おり、ぼーっとして思考を飛ばしている。
どんな言葉なら納得させられるか考えているみたい。
結局、君も私も引っ越しの話題には触れなかった。

翌日、君の家の前にはトラックが停まっていた。
君と君のお父さんがダンボールを運んで往復する。
積み終えたトラックを見送り、リュックを背負う君。
もう行ってしまう。この町からいなくなってしまう。

最後のチャンスだ。ベランダに出て、下を見る。
「会いに行くから!」叫ぶと、振り返った君が見上げる。
「忘れないでね」他に伝えるべき言葉があるはずなのに。
こんな自分勝手な言葉で、君は明るい笑顔を見せた。

8/20/2023, 9:07:26 AM


【空模様】


今朝の天気予報では、降水確率20%と言っていたはずだ。
それなのに、このどしゃ降りはなんだ。幻覚か?
まったく、これだから予報は信用ならない。
仕方なく僕は鞄から折りたたみ傘を、……あれ、無いな。

思い返せば最近、雨の日が続いている。
僕の記憶が正しければ、一昨日の夜からずっと雨。
止んだと思えば降り出して、強まったり弱まったり。
そうだ、昨日も帰り際に大雨で使ったのだった。

朝は焦っていて、乾いた傘を持ってくるのを忘れていた。
家を出る時は晴れていたから必要ないと思っていたし。
ああ、運が悪い。僕は会社の前で立ち尽くした。
早く帰りたい気持ちは山々だが、鞄が濡れるのは困る。

雨の弱いタイミングを見計らって走るか。
駅はそう遠くないので、ずぶ濡れにはならないだろう。
僕は覚悟を決めて、止む気配のない雨を眺めた。
「あの、お困りですか?」彼女が話しかけてくるまで。

見覚えのある女性。確か、総務課に属していたような。
「お構いなく。雨が弱まれば帰ります」
端に寄っているのだから邪魔ではない、と思う。
「よければ使ってください」手には折りたたみ傘がある。

「あなたが濡れるでしょう。僕のことはいいですから」
いいえ、と彼女は鞄から折りたたみ傘を出して言った。
「もう一個あるので気にしないでください」
可愛かったのでお昼に買ったんです、と彼女が笑う。

では、と言葉に甘えて無難な柄の傘を借りた。
おかげで、ほとんど濡れずに帰ることができた。
家に着く頃には雨も弱まり、晴れ間すら覗いている。
返しに行かないとな。なんだか心まであたたかい。

8/19/2023, 9:06:38 AM


【鏡】


顔を上げると、あなたに相応しい私と目が合う。
やっぱりメイクって偉大。それに、とっても素敵。
あなたに会う日だけは、誰が見てもきれいな私でいたい。
この気持ち、なにか間違っているのかな。

男の人はよく、無責任な言葉を口にする。
メイクしないほうが良いとか、素顔も絶対に可愛いとか。
口では感謝を述べるけど、心では余計なお世話だと思う。
メイクをするのは私のためで、有象無象のためではない。

あなたはそんな甘い言葉を一度も吐かなかった。
上手だね、よく似合ってるって褒めてくれる。
きっと偽らなくても貶すことはしないだろうけど。
自信を持ってあなたの隣に立つには、魔法が必要なの。

初対面の大学生の時、私は既に素顔を晒していなかった。
だから、あなたは本当の顔を知らない。
キャンバスのように彩られた私しか知らない。
緊張するけど、次の泊まりの日に私は仮面を脱ぐ。

同棲しないか、と何度もされた提案を断ってきた。
空を飛べそうなぐらい嬉しいけど、怖かったから。
だって、あなたはまだ素顔の私を知らないのに。
失望されたら。嫌われたら。想像だけで不安になる。

男の人はたいてい、顔を一番重視するでしょう。
少なくとも、今まで親しくなった人はみんなそうだった。
メイクを知る前の私は、自分ですら好きでなかった。
あなたの入浴している今、あの頃の私に戻る。

メイクは私の戦闘服だから、ないと弱気になってしまう。
お風呂上がりのあなたがキッチンに来て、目が合う。
表情の変化を見たくなくて俯くと、ため息が聞こえた。
「なんだ」安堵だった。「少しは信用してもらえた?」

8/18/2023, 9:34:04 AM


【いつまでも捨てられないもの】


お惣菜の容器を留める輪ゴム。コンビニで買った袋。
溜まる一方だけど、いつか使うかもしれないもの。
君はそういう物を集めるのが好きらしい。
でも、多くなりすぎたらまとめて処分できる潔よさ。

僕には真似できない。あれもこれもって残してしまう。
中学高校のテスト用紙とか、大学のパンフレットとか。
今後、使うことがないとわかっていても置いている。
物には想いが宿る。そんな言葉を信じてはいないけど。

おかげで、僕の部屋は収納が全然足りない。
クローゼットはいくつもの箱で埋まり、服はタンスに。
本棚には使い終わった参考書や教科書が並ぶ。
大切な物でも表に出ていないと忘れそうで不安になる。

部屋に物が溢れる僕だけど、ちゃんと片づけはできる。
部屋を分けるなら、と条件つきで同棲した二十代前半。
君の収集癖、あるいは趣味を知ったのはその時だった。
結婚して家を買った今、君の集めるものは増えた。

朝、君が起きる前に家を出る僕の書き置き。
本の形の箱にしまって棚に並べていることを知っている。
ひとつの箱がいっぱいになったら、また次の箱を並べる。
見返してはいなさそうだけど、眺めては柔らかく微笑む。

「こんな物残してどうするの?」同棲中の君の口癖。
僕はただ、手放せないだけだった。今も執着はない。
だから気になっている。そんな物を残して何になるのか。
そんな紙切れ、潔く処分してもいいはずなのに。

「僕のメモなんて集めてどうするの?」聞いてみた。
「知ってたの?」振り向いた彼女は目を丸くする。
それから「うーん」と呟き、少し恥ずかしそうに言う。
「なんか、さ。あなたと生きてるって感じがするでしょ」

8/17/2023, 4:23:14 AM


【誇らしさ】


自分の価値は他者の評価で決まるもの。
他の誰かより少しでも優れていないといけない。
才能があるとかないとか、そんなことに振り回される。
褒めそやされて入部した美術部には強敵ばかりいた。

デッサンしかしないけど、立体感を出すのが上手い人。
構図はありきたりだけど、色使いが独特できれいな人。
特別、上手なわけではないけど、不思議と目を引く人。
それらの絵を見るほどに、私は自信を失っていった。

もちろん私の絵を上手だと褒めてくれる人もいる。
何度、賞に応募しても一度も入賞できなかったのに。
私にはもう、自分の絵に価値があるとは思えなかった。
中学卒業と同時に、上手いだけの絵を描くのはやめた。

高校では美術部に入らず、創作部を選んだ。
校則で、一年時は入部が必須らしいのでしかたなく。
選んだ理由は、見るだけの人も歓迎と聞いたから。
自分に描けないものを見るのは変わらず好きで、楽しい。

創作部にも自分の世界をしっかり持った人が多くいる。
そういう作品は、一枚絵でも漫画でも小説でも面白い。
とはいえ、小説の上手さはよくわからない。
だから感想を求められたとき、私は読みやすさで答える。

感想を求めてくる人など、同級生の彼しかいないけど。
彼はいつも、満面の笑みで原稿を持ってくる。
早く読んでほしいと言わんばかりにそわそわして。
美術部にいた頃の私みたいだな、って密かに思う。

原稿を読んでいる途中で「なあ」と彼が遠慮がちに言う。
「絵描くのやめたの?」思わず中断して目を向けた。
「俺、好きなのに」校舎内に飾られていた美術部の絵。
君が大切に思ってくれるなら、また描いてみようかな。

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