俺は友人のことを何でも出来るやつだと学生時代から思っている。
学生時代のテストではいつも一位を取っていたし、運動も本人はできないと喚いていたが、普段スポーツをする俺から見ても人並みにできていた。生徒会長という役職に就いてからは生徒や先生からの人望も厚かったし、生徒会長は優しいと生徒達が話していたのもよく知っている。
卒業をしてからも偶にお互いの家を行き来するが、何度訪れても部屋は綺麗に片付けられているし洗濯も丁寧にされている。手先が器用で裁縫もできるという若干引くほどのステータスの持ち主。それが俺の友人。
そう思っていた。今日までは。
「なんだこれ…。」
「パンケーキ。」
机の上に置かれたどす黒いオーラを放つ硬くて黒い何か。隣で平坦にその何かの名前を口に出す友人に本当に?と凝視してしまった。
「パンケーキ?クソ硬ぇし真っ黒だが?」
「正真正銘パンケーキミックスで作ったパンケーキだけど。」
何その顔。と彼は首を傾げ、俺を本当に疑問に思っているように見つめてくる。
いや、いやいやいや。おかしい。確実におかしい。ふざけてるのか?こんな焦げしかない真っ黒なもの食べたら病気になるだろ。は?え?ふざけてるんだよな?ドッキリとかそういうやつか?
「どうやって食べんだ?」
「黒いやつ削ぎ落としたらちょうどよく焼けてる部分あるからそこ食べる。お前パンケーキ食ったことねぇの?」
「あるに決まってんだろ。」
本気で言っている。この目は本気だ。本気でコイツはこの人間の食べ物とは思えないものを食べる気だ。
ぎこちなくナイフを手に取り、黒い部分を削ってみる。友人が隣でじーっと見つめてくることに居心地悪く感じながら抉ってみると、中が黄色と茶色に染っていた。中の部分なら少しだけ食べれそうだと安心したのも束の間、グチャとした触感がナイフ越しに伝わる。恐る恐るナイフを取り出すと、そこには生焼け状態の生地が張り付いていた。
「おい。これ火の加減間違えただろ。」
「え、IHの10段階のうち8で焼いたけど。」
「強火じゃねぇか!!!」
思わず出たツッコミにえぇ!?火は火だろ!?と混乱する目の前の男。俺はその瞬間やっと理解した。
コイツ料理できないんだ。と。
まずどす黒いものが出てきた時点で察せという話ではあるが、俺からして友人ができないものがあるということが本当に珍しいことなので許して欲しい。
ひとまずこんな黒いもの食べれるわけが無いのでキッチンを貸せと提案した。
「え、あーいや、買おう。うん。出前頼もう。」
「は?食材はあんだろ。俺が作る。」
「いや。ほら、今から作ってももう一時だし、時間かかるじゃん。」
「30分もしない。」
「いやでも食材もあんまり…。」
「じゃああるもので適当に作る。」
待って待って!と渋る友人に違和感を覚えながらもこれ以上話している方が昼食に遅れをとる。目の前に立ちキッチンへの侵入を阻止しようとする友人を引き剥がしてからキッチンの方に回った。
「……何があったらこんなに風になる?」
「だから買おうって言っただろ!!」
他の部屋とは比べられないほどに荒れたキッチンに深いため息が出てしまった。乱雑にシンクへ置かれたフライパンや食器。何故か破けているエプロン。棚に入った食器はピカピカに輝いているのに、真ん中を隔てて別世界のようだ。
色々言いたいことはあったが、とりあえず腹の虫が鳴り止まない友人にリビングで待っているよう伝えて作業に取り掛かることにした。全く、本当にどうしたらそこまで料理がハチャメチャになるのだ。
正直、こんななんてことない日常の一コマで友人のできないことが知れたという事実に嬉しさはあった。いつも完璧な人間様だと感じていた男が実は料理のド下手くそな普通の人間。学生時代同じ学校で過ごした奴らが知れば驚き、嘘だろうと鼻で笑う程の話だ。
ふっと自然と零れた笑みにつられて押しよせる笑いが喉を鳴らす。
きっと、今笑っているところを見られれば友人は何度か言い訳をしたあと。悪いか!?とキレるのだろう。
それを見るのは楽しいが、あとが面倒くさい。
どうせ料理を持っていけば一口食べてから
「お前料理できたのか!?」
なんて失礼にも驚く友人が目に浮かぶ。
今日、また一つ友人の新たな一面をしれたこと。
そして友人の苦手なものが俺の得意なことだという事実に、密かにしたり顔してしまうのだった。
【日常】
昔、一つの指輪を友人から預かっていた。
金でできた歪な形の刻印が入っている指輪。砂時計のような模様が異質さを漂わせていたことが印象的なその指輪は、不思議な力を持っていたらしい。
友人が言うには、その指輪は過去に戻ることが出来る力を持っていて、使うことの出来る条件は限られている。一つは明確な過去に戻って何をするかという願望を持っていること。もう一つはソレを発動させるほどの力。ありえない話、魔力を持っていること。
大まかな条件はこの二つ。例外はあるようだが絶対的にその二つを持っていなければ指輪の力を使うことは出来ないらしい。
預かった当初はそんなことは知らなかった。
ただ友人に『死ぬまで持っていて欲しい。』と言われたから約束通り持っていただけ。
四年も失踪していた彼からの最後の言葉が指輪に関することだったからというのもあるけど、捨てる気にもなれなかったから持っていたのだ。
その指輪に違和感を持ったのは、いつも通り過ぎていく日々のほんの一瞬だった。持っていろと言われた手前、そこら辺に置くのは抵抗があった俺は指輪をネックレスにして首から下げていた。正直女避けにもなるしちょうど良かったこともあるが、何より少し目を離したらどこかへ消えていくような漠然とした不安があったのもある。
「その指輪、変な形してますね。」
学生時代の部活の後輩と久しぶりに飲もうとなった時、ふと指輪を見た後輩が言った。
「俺の母親ジュエリーショップで働いてて、昔から色んな宝石を見てきたんですけど。その砂時計の真ん中にある小さな石、今まで見たことないです。どこで買ったんですか?」
後輩はほろ酔い状態なのか楽しそうに指輪を見ている。小さな石?今まで気づかなかったことに驚き、ネックレスを外して、貰った時以来初めてじっくりと見つめた。よく見ると砂時計の砂を表す部分に青い宝石がついていた。
けれど、青い宝石なんて誰でも見た事があるはずだ。サファイアなどは有名な部類ではなかろうか。と後輩の方を見ると、わかってませんねぇと彼は顔を赤くしてニヤリと笑う。
「その指輪、月明かりに照らされると赤く光ってるんすよ。ずっと首につけてるから気づかなかったのかもしれないですけど、街灯のない道で綺麗に光ってて驚きました。べキリーブルーガーネットって知ってますか?その宝石は太陽のもとだと青くなるんすけど、白熱灯に照らされると赤くなるんです。最初はそれかなと思ったんですけどねぇ。どうも、街灯に照らされるとすぐに青くなるんで、俺の知ってる宝石じゃないなって。」
酔いが回ってきたのか、砕けた話し方になってきた後輩に代わって水を頼む。これ以上飲ますのはアルコールに弱い彼に良くなさそうだ。
後輩の言葉に引っかかった俺は、その日から指輪のことについて調べ始めた。
市の図書館、県の図書館、国の図書館、古本屋など手当たり次第に調べてみたが、指輪に関する文献は見つからず。時間がただただ過ぎていくだけだった。
「…?じゃあなんでお兄さんは、指輪のことを知ってるの?調べても見つからなかったんでしょ?」
目の前の少女は小さな頭をこてんと傾げて丸い瞳で俺を見つめている。その瞳に映る自分自身は、指輪を持っていた時よりもだいぶ若かった。
目を瞑ると、今でもまぶたに焼き付いて離れない景色がある。絶望的な状況下、周りからの歓声と悲鳴、その中に取り残された俺を包み込む光。その光の発光場所が自分の首にかけていた指輪だと理解したのは、昔懐かしい実家の天井を見た瞬間だった。
「うん。指輪のことは、誰にも言えない秘密だからね。」
少し頬を緩ませて言うと、少女は少し考えるように唸ったあと、公園の出口の方向を見て花が咲くように笑った。
「お兄ちゃん!このお兄ちゃんもこの前話してくれた物語知ってたよ!でも指輪の話はやっぱり秘密なんだって!」
少女の視線の先に、困ったように笑う友人の姿があった。
【誰にも言えない秘密】
意味わからなかったらすみません。
狭くて暗い部屋は無機質で、何の感情も湧かなくていい。部屋に散らかった紙や壊れた思い出の品も、暗ければ見えない。
唯一何も散乱していないベットの上で膝を抱え、俺はただ日々が過ぎるのを待っていた。
もう何もする気が起きなくて、いっそこのままこの部屋で最後を迎えればいいとさえ思った。
振り払われた手と無関心だとでも言うような冷たい瞳、そうなると昔から知っていたはずなのに諦めず縋りついていた自分がその瞬間、無意味とかした。
嗚呼、これから何をすればいいのだろう。
思えば人生の大半を俺は無駄にすごしたのではないだろうか。遠く輝く背中に手を伸ばし続ける日々は、滑稽でしか無かったのではないか。
ぐるぐると回る思考と負の感情が頭を埋めつくし、締め切られた部屋の空気を重くする。
真っ暗だな。何も見えない。もうここで一生を過ごそうか。そうだ。それがいい。そうすれば二度と傷つかずに済む。狭い部屋に一人膝を抱えて過ごし、傷つくこともなければ悲しむこともない。なんと幸せな終わり方だろう。
本格的にそう考え始めて、ならもう眠ってしまおう。そう思った時、
ガチャ
と、扉を開ける音が部屋に響いた。
「うっわ。何この部屋めちゃくちゃ散らかってんじゃん!」
ガコと何かと何かがぶつかる音がするが、光の眩しさで目が開けられない。突然聞こえてきた声に驚きながらも、入ってきた人物を確認しようと薄く目を開く。
視界に飛び込んできた人物に、俺は情けなくも唖然としてしまった。
「君の今の顔、鳩が豆鉄砲食らったってやつだね!」
思い切り歯を見せて笑う男は、後ろからの光も相まってまるで神か救世主のような登場の仕方だった。
その光の眩しさが目に痛くても、まじまじと彼の顔を見てしまう。
ずっと何も言わない俺に流石に気まずさを覚えたのか、男は首に手を当ててから
「げ、元気?」
とはにかんだ。元気なわけねぇだろ。と返そうとした喉は何日も閉じこもっていたためか掠れて声が出ず、それに対し彼は眉間に皺を寄せる。
散らばった紙や物をかき分けるでもなく、彼はズカズカと俺の狭い部屋を進みベットの前まで辿り着いた。
それ、結構値段する物なんだぞ。と床に落ちている踏まれた数々のものを思いながらも彼の顔をうかがう。
近くに来たことで暗くなり見えなくなった彼の顔が、なんとなく歪んでいる気がした。
「…あのさ、君こんな狭い部屋に閉じこもるタイプじゃないでしょ。」
この部屋に入るための鍵はどうしたとか、この狭い部屋はマンションの部屋の一室なんだぞとか。言いたかったことは多くあれど、彼の一言で俺は何も言えなくなってしまう。心配しているんだと声色からでもわかってしまったから。
ボスっとベッドに片膝を乗り上げた男は、這うように俺の近くまで来る。殴られるのだろうかと身体に力を入れたが、衝撃はいつまで待っても来ることはなく。代わりに散乱した部屋がはっきりと見えるようになった。
「君、遮光カーテン禁止ね。部屋くらすぎ。」
隣に片膝を立て座り、後ろの窓に背を預けた男の顔が呆れたように見える。
先程までの暗くてジメジメとした気持ちの悪い部屋が、光と窓を開け放ったことによって爽やかな空気に変わった。
部屋、狭くないな。他に思うとこあるだろと言われるかもしれないが、俺の第一の感想はそれだった。
「君の部屋が狭いわけないだろ。ここ月何万の部屋だと思ってんだ馬鹿。」
その場に立ち上がった男がふんっと鼻を鳴らして窓の外を眺める。ほら絶景だぞ。と言われるままに窓の外へと目を向けた。
「世界は広いんだ。こんな狭い部屋でジメジメカタツムリのように過ごすんだったら、僕のやりたいことリスト第一位の世界一周旅行にでも付き合ってもらうぞ。」
ベットで立つなんて行儀が悪い。よく見ればドアの外にはでかいスーツケースが横たわっていた。
キラキラと輝く太陽が、広くて暖かい青空が、光を反射するビルが、緑の木々が、目の前の友人が。全てが俺の気持ちを軽くするのに十分なものだった。
「ほら用意!飛行機取ったんだからな!」
ベットから降りて振り向き、律儀にも手を差しのべてくる友人に思う。馬鹿はお前だろ。と。そして、いつまで経っても適わねぇなと。
自然とこぼれた笑みに友人が固まっている間に、俺は差し出された手を力強く握った。
【狭い部屋】
「好きです。」
目の前に立つ女子の手が微かに震えているのを見て、僕は天を仰いだ。
だってまさか、自分がいるところで友人に告白する者がいるとは思わないだろう。余程自信があったのだろうか。
学年一の美女と思春期の男子共が噂するほどの美貌を持つ彼女は、顔を赤く染めたまま友人と向き合っている。恋愛のれの字も見えない友人に告白する勇気は称えるが何も僕の前じゃなくても良かっただろ。
「お前誰だ?」
ほら、こうなるから。
もう一度言おう。友人は恋愛のれの字もないのだ。
つまり、女の子に興味もなければそういう思考さえ持ち合わせているか分からない。
顔を上げて、え?と笑顔を引きつらせる女子に心の中でドンマイと囁きながら、現実逃避をすべく僕は彼らから目を背けた。隣からは名前を名乗る声と、で、誰?という無慈悲な言葉が聞こえてくる。
こうなるから嫌なんだよ。友人の告白現場は。
パンッと静かな会話に一際甲高い音が響いた。
小さいうめき声と共に走り去っていくような足音が聞こえてきて、僕はやっと友人に視線を戻す。
「いってぇ。」
頬を擦る友人に、つい重いため息をついてしまった。
「なんでいつもそういう告白の断り方すんの?」
本当は知っているはずなのに、どうして知らないふりをするの。そう続いた僕の言葉に、友人は彼女が走っていった方向を見つめたまま。
「振られんなら最低なヤツからの方がスッキリすんだろ。」
と呟いた。友人の恋愛遍歴など知りはしないが、どうやらそう考えるほどの情はあったらしい。
へー。モテ男は違うね。と言おうと口を開いて、彼の顔を見た瞬間その言葉はただの呼吸とかした。
「心臓が握りしめられて何も出来なくなるよりは、めちゃくちゃ幸せな失恋の仕方だろ。」
歪な微笑みと共に揺れる瞳は、彼が失恋の経験者なのだと物語っていた。
【失恋】
弟の瞳の秘密を知っているだろうか。
弟は月明かりに照らされると瞳孔が赤く染まるという世にも珍しい体質を持っていた。小さい頃は怖いと何度か思ったこともある。満月を見てはしゃぐ弟の瞳にどこか大雪の日を思わせるような冷たさが残ると感じたからだろう。その不安定さが不気味で小さい頃は何度も弟を夜に外に連れ出すことを拒否したものだ。
そんな珍しい物を、欲深い大人が放っておく訳もなく。弟が家に来てから気味の悪い大人が来ることが多くなった。幸い地位も金もある家だったため断ることも出来たのだが、やはり人間関係を考えるといつまでも拒否する訳にはいかない。食事をする弟を品定めするように見る大人の前で、弟が怯えるように僕の袖を握っていたのは強く記憶に残っていた。
一度、弟が男に襲われたことがある。そいつはどこから入手したのか分からないが、弟の瞳に価値を見出しどうにか手に入れて金にしようと目論んだらしい。
グループでの行動だったためボディガードが少し遅れた。ナイフがまぶたを掠る程度で済んだのは奇跡だったのだろう。包帯を目の周りに巻かれた弟はもう二度と見たくない。
「兄さん、今日は満月だよ。」
ルーフバルコニーで笑って振り返る弟に、そうだなと相槌を打つ。すっかり大人になった弟は未だに満月ではしゃぐ子供っぽさもあるが外では気品を兼ね備えていると言われるほどには成長していた。綺麗な黒髪が背後の月に照らされて縁取られ、開く瞳の赤が輝く様は人間のようには見えない。性格的には天使に近いが、いっそ悪魔と言われた方が納得する。
テーブルの上に置かれた紅茶を音もなく飲み込むと不思議な顔をした弟と目が合った。黒の瞳の真ん中で暗いこともあり、大きく開く瞳孔。弟はこてんと首を傾げると、少し口角を上げて笑った。
「兄さん僕が満月の日に外に出ても何も言わなくなったね。」
読めない笑みを貼り付けるようになったのは誰の影響か。赤い瞳を持つ男を想像して直ぐにやめた。気分を害してしまう。
でも、外に出ても何も言わなくなったというのは間違っていない。それは僕が弟の瞳を綺麗だと考えるようになってしまったからだろう。月明かりに照らされて満月を見つめる弟の横顔は、絵画のように見えてしまうのだ。
「何か月に願い事でもしてるんだろう?」
まぁ僕がどのように弟を見ているかなんて言える訳もなく、実は今までずっと気になっていたことを問うてみた。弟は時々月に何か呟くように見える。それはただ口が動いてるだけで音が発されることは無いが、それを何年も見ていれば気になるものだろう。
彼は数秒置いてから言葉の意味を理解したのか、ああ。と小さく口を開く。そこまで深く考えていないようだ。弟は心底どうでもいいと感じているような顔で
「明日の朝ごはんに野菜が出ないといいなって。」
と言った。さすがにこれには拍子抜けして、はぁ?と自然と眉間に皺を寄せてしまう。弟はそんな僕の顔を見て馬鹿にされたとでも思ったのか、口を尖らせて僕は野菜嫌いなんだよ!と小さく喚いた。
なんだ。もっと重要な事だと思っていたのだが。
なんとなく誤魔化された気もしなくは無いが、弟が言うならそうなんだなと納得する。納得すればそのまま言葉の意味を理解して思わず吹き出してしまった。
「な、!笑うな!」
「悪い、無理だ。」
「兄さんだってキノコは嫌いだろ!?」
笑いすぎて涙が出て、それを拭うと顔を真っ赤にした弟が目に入る。これは明日口を聞いて貰えないかもしれないと思いながらもツボに入ってしまったためか、笑いは収まらなかった。
「〜っ!笑うなって!!」
静かな満月が見守る夜に弟の恥ずかしさが含まれる叫び声がこだました。
【月に願いを】