ずっと1人で生きてきた。両親ともに失ってからずっと。そのうち、感情も五感も落としてきた。心はぐちゃぐちゃで、全てを失ったように、色のない世界に1人立っていた。
そこに君が現れたんだったかな。それで私の世界は色づいたんだよね。
「なぁ、これめっちゃ良くない?」
っていつも笑っていた君の顔、忘れられないよ。
初めて私のことを話した時、君は泣いてくれたよね。辛かったね、って。いっぱい耐えてきて偉かったね、って。私もその言葉で泣いたっけ。ほんとに頑張ったなって思ったよ。ありがとう。
君はほんとに誰かを救うのが上手で、苦しんでる人を笑顔にしてたよね。君はほんとにヒーローだ。泣いて泣いて、君は優しく撫でてくれた。大好きだった。
なのに、君は私を置いていくの?
トラックが迫る。見ているしかできない。
あぁ、死ぬのか。直感で思う。
目を閉じる。
身体に衝撃。でも、トラックほど重みはなくて、ちょっと違う。
道路に転がる。少し擦りむいた。
自分のいた所を見る。彼が転んでいる。
「ねぇ、どうしたの?ねぇ」
信じられない。信じたくない。なんで、なんで…
「あああああああああ!!!!!!」
とめどない涙。溢れる悲鳴。
君はもう冷たい。
大量の血が彼の制服を染める。
君は、私のとなりでずっと笑ってくれる、そう約束したのに。約束のリボンは解けて放たれる。ごめんね、ごめんね。救ってくれた君の最期はあっけなく散った。
君と、来世で、となりで、またとなりで、笑えるのなら。それまで私は君の分生きれるかな。
数学が大好き。だけど、それ以外なにも興味が持てない、それが私。恋愛にも興味なんてない。それでいい。それが私だから。両親を失って、兄と二人になって、出会った数学。私はそれだけあればいい。数学をもっと知りたい。
放課後、図書室で一人で勉強。
「まーたネクラが勉強してるよーww」
「楽しいですかー?」
からかう声とか、自分に直接害があることはないし、ほんとにどうでもいい。
「まーた無視だよ。」
「きもすぎる」
そういう声ももう慣れたから。気にしないし、平気。だけど、時々思う。私は数学に出会わなかったらどうなってたんだろうって。数学みたいにもっと知りたいってなるもの、あったのかななんて。
少しして、静かに向かい側に誰かが座る。
「ヨネクラさん。数学中?」
座ってきたのは彼、図書委員の、えっと…
「あ、えっと、アサヒくん?うん。」
「そっか、頭いいね。」
「そんなことは、ないよ。」
「そっか。今度僕にも教えてよ。」
「いいよ」
「ありがと」
コミュニケーションを取るのが苦手な人同士だと、会話が続かない。ちらりと盗み見る彼は、長い前髪に隠れた目は、きっと本の文字を追っている。
「ヨネクラさん?どうしたの、こっち見て」
バレていたようで、少し狼狽える。
「な、なんでもないよ」
顔が赤くなるのが分かる。下を向いてもごもごしていると、少し彼が笑う。そして、私に静かに手を伸ばした。
「ヨネクラさん、こっち見てよ。」
長い前髪の下に隠れて、どんな目をしているか分からない。私の髪を少し持ち上げて、口元が微笑む。
「なんて、じょうだ…あ」
「ご、ごめん…っちょっと」
「ヨネクラさん!」
彼の手を振り払って走る。動悸がすごくて、顔が熱くて、初めての熱さでおかしくなりそうだった。
「ヨネクラさん、昨日はごめん」
朝一番、彼が謝りにくる。彼を見るだけで、昨日のことを思い出して爆発しそうになり、無視して走る。彼の表情なんて気にする暇もなかった。
勉強にも集中できないほど、私はおかしくなってしまった。
「どうした?点数下がってんな」
普通に兄にも先生にも心配されるくらい点数も下がっている。
「分かんないの、だけど、ぐるぐるして…」
すると兄は驚いた顔をして、その後嬉しそうな顔になる。
「お前、それ、恋だろ」
「そ、そんなのと…」
「顔赤けぇじゃん、分かりやすっ」
「いや、ちょ…」
「後悔、しねぇようにしろよ」
兄に頭をぽんっとされる。よく分からない感情に振り回されているなら、決着を着けたい、と思った。
「お兄ちゃん、お願いなんだけど…」
「いいよ、なんでも言ってみろ」
兄は私が来ることを察していたのか、色々用意がされていた。促され、椅子に座る。今まで邪魔にならなければそれでいいと思っていた髪を整えてもらう。どきどきが高まる。私が変わっていく。
朝になって鏡で自分を見て、またさらに心が跳ねる。だけど、今日は…
やけに騒がしい教室も、視線も全部、気にしたらいけない。ただ彼の元へ。早く。
「アサヒくん!!」
「えっ?と、その声はヨネクラさん?」
その問いに返事もしないまま、叫ぶように言う。
「アサヒくん、私はっ、今、恋してるかも、しれませんっ!!」
驚いた顔を私に向け、寂しげな笑顔のアサヒくんと目が合う。
「おめでとう。」
それだけ言うと、背を向けようとする彼の肩を掴む。
「アサヒくんに!恋してますっ」
驚いた顔にまくしたてるように言う。
「アサヒくんをもっと、知りたいですっ」
彼は優しい微笑みを浮かべた。
「僕も、ヨネクラさんに恋してます。」
驚いて彼の顔を見ると、目が合う。そう、目が合う。
「アサヒくん、髪…」
「切ってみた。ヨネクラさんと目を合わせたかったから。」
美しくて、儚い彼の瞳。なにを考えているか分からないほど、深い色。彼を、私はもっと、知りたいと思った。
「ヨネクラさん、勉強教えてくれる約束だったよね」
彼の揺れる髪と、瞳が私を捉える。
彼は、ズルい。もうこれは、好きになるしかない。
「アサヒくんのこと、もっと教えてもらっていいですか?」
もちろん、と彼の優しい声が響いた。
「みこちゃん!一緒に帰ろー!」
笑顔の彼女が私を迎えに来る。小さく頷いて、彼女の元へ向かう。
「ハル、待たせちゃってごめんね。」
「待ってないよ!早く帰ろ、バスが来ちゃうよ!」
私の手を掴み、走る彼女の横顔を盗み見る。走っているせいか赤らんだ頬、少し開かれた口、靡く薄い茶色の髪、魅力的だった。
「みこちゃん!あとちょっと!頑張れ!」
疲れの滲む彼女の顔、西日に照らされて輝いている。
「うん」
単調な返事を返して、前を向くともうバスはすぐそこだった。2人手を繋ぎ、ぎりぎりで滑り込む。
「あっぷなーい!なんでいつもぎりぎりになっちゃうんだろうね?」
笑いを含む彼女の声につられて笑みが溢れる。席に着くと、彼女の頭が肩に触れる。胸の高鳴りを覚える。オレンジに照らされた車内、彼女がやけに色づいて見える。こっそり、彼女の髪にキスをした。
「ハル、着いちゃうよ。起きて」
彼女が目を覚ます。なんだか寂しい気がする。
「おはよぉ」
でも彼女のこの声を聞けるのは特権だと思う。頭を軽く撫でてあげると、嬉しそうに笑う。
「ねぇ、帰る前にどこかでご飯食べない?」
魅力的な誘いに思わず頷く。
いつもどおり、手を繋いで、一緒にバスに乗って、一緒に帰る。そんな日常が崩れてしまわないように、私はそっと好きに蓋をした。
『死にたい…』
屋上前の階段、殴られた跡でいっぱいのまま、声にならない声を上げた。涙は今更出てこないし、どこにも救いがないことも分かっていた。それでも仕方ないと分かっていた。
『生きる意味なんてないだろ』
カバンからカッターを取り出す。チキチキと、刃を出してみる。屋上の窓から差し込むオレンジが、やけに刃を照らし出して見せた。迷うことなく俺は、カッターを振り上げ、手首に刺す。痛い、赤が溢れて、意識が遠のいていった。
目が覚めると、白い天井が見えた。
「痛ぇ…どこ…」
「あなた、起きたのね。大丈夫?傷だらけだったけど」
「えっと…だれですか?」
見たこともないほど、美しい人だった。長いまつ毛に縁取られた金の瞳。真っ直ぐなえんじの髪。形のいい唇。全てが整っていた。そして、どこかで見た顔だった。
「私はアズカ。アズカ・リリノア。」
一目惚れのようだった。胸が高鳴り、目が離せなくなる。
「僕は、えっと…」
自分も名乗ろうとするが、思い出せない。全て、忘れてしまったようだ。すると彼女が口を開く。
「大丈夫?」
大丈夫ではない。分からなかった。だけど、口は勝手に動く。
「君はとっても綺麗だ。」
あぁ、完全にヤバいやつだ…終わった…
「えっと、ありがと。」
「すみません。変なこと言って。ここってどこですか?」
「ここ?野戦病院。君は戦場の端で倒れてたから、連れてきた。」
「そう、ですか。」
次の瞬間、すごい轟音がなる。
「なに?」
彼女が振り返ると、大量の人が入ってくる。完全に僕らは囲まれた。
「私が敵を引きつけるから、その間に逃げて」
小さな声で僕に言う。でも、見捨てられるはずはなかった。
銃声がなる。彼女を狙っている。反射的に体が動く。胸が熱くなる。赤が、流れた。死にたくない。そう思って、彼女をみると、彼女が戦っているのが見えた。
遠のく意識の中、彼女が勝ちを掴み取るのが見えた。
「君!大丈夫?!」
声も出ない。瞬きで返事をして見せる。
「ごめんね、ごめん…私のせいで…」
「僕、帰る場所なんて、ない、から。君が、死ななくて、よかった。」
消えゆく意識の中、初めて会うはずの彼女、正体が分かった。
「君は…」
ハルカ、会えて良かったよ。
君の平和はまだ、ないけど、愛してるよ
後悔しないような人生を、私の代わりに送ってね
そういうと彼女は空に飛んでいった。僕に呪いをかけて1人にした。
彼女を数年ぶりに思い出した僕はどうしようもない、ただ無駄な日々を実感する。
「僕も、もう死にたい」
気がつけば屋上の柵の外にいる僕。彼女を失ってから切ることをしなかった長い髪が靡く。深呼吸をして弾ける青の中に一歩、足を踏み出そうとしたときだった。
「おい!なにしてんだ!」
知らないやつだった。腕を掴まれ怯む。
「とりあえず、こっち来いって。」
その真っ直ぐで澄んだ瞳。彼女を思い出す。言われるがまま彼の方へ行く。
「死にてぇの?」
「うん」
勝手に動く口。彼はそうか、としか言わない。
どれくらい、無言が続いただろう。彼はおずおずと口を開き、こう言った。
「取り敢えずさ、死ぬ前にいっぱい泣きなよ。俺、別のところに行ってるからさ。」
ぐっと詰まるような、なにかが込み上げるような感覚。彼がどこかに行く前に、僕は泣き出す。彼の袖を掴み、声を上げて泣いた。初めてだった。誰かの前で泣くのは。彼は、手を振り払わずずっとそばにいてくれた。
しばらく泣いて、恥ずかしさで顔を上げられない。長い髪のおかげ顔が見えなくてよかったと思う。
「泣いて、すっきりしましたか?」
「はい、ありがとうございます。すみません、付き合わせて」
「気にしないでください。」
俯いたまま話す僕の髪を彼はゆっくりと払う。
「あなたの笑顔、見れてよかった。綺麗ですね。」
言った後、はっとしたように慌て出す彼を見て少し笑みがこぼれる。
「あの、ハサミ、持ってませんか?」
「え?かばんにあると思いますけど…」
「貸していただけませんか?」
「え、はい。もちろん」
彼が急いでかばんの方へ行き、ハサミを持ってくる。
「どうぞ。」
切れ味の良さそうなハサミ。それを髪に入れる。
シャキン、パサ…
静かな音をたて、髪が落ちる。良くなった視界で、彼に笑いかける。
「僕前に、進むから。ありがと。」
彼女のいない世界を、過ぎた日々を、僕はなぞるように生きていく。