「こんどの休み、遠くに行かない?」
リビングでスマホを見ているマサルにサユリが提案した。
「ん? そうだなぁ。じゃあこのマチュピチュ紀行の動画でも見るか」
マサルはサユリにスマホ画面を見せる。
「もう、そうじゃなくて! 仙台でも熱海でもいいから、旅行にいこうって言ってんの!」
サユリはリビングのソファーに飛び乗ってマサルを責める。
「だったら、そのあたりを舞台にした映画もあるぞ」
マサルの目はスマホから離れない。
「なんでそうなるのよ。マサルは観光って言葉を知らないの?」
「それこそなんで? で返すよ。いまの時代、画面の中でどこまでも遠くに行けるのに、なんでわざわざ時間をかけてお金を使って観光しなきゃいけないわけ?」
「私は旅をしたいの。そこの空気を吸いたいの。その土地の料理を食べたいの!」
「仙台の牛タン、お取り寄せしようか?」
「その土地の人に会いたいの。観光名所に触れたいの!」
「触っちゃいけない重要文化財もあるよ」
「ああもう! 五感で体験するのが旅の良さでしょうよ!」
「他人が体験してる動画を見て行った気になるのが動画配信の良さでしょう」
サユリの熱いプレゼンはすべてマサルの皮肉で返された。
「違うわ。あなた見たことないでしょう。旅の動画を上げてる人は、それを紹介してみんなも来てって言ってるの。観光を盛り上げようとしてるのよ」
「わかってるよ。なんなら僕もその盛り上げに一役買ってる」
「はあ? どこがよ。一日中家の中でぬくぬくして、テレビ見て動画見てパソコンに向かって文字打ってるだけじゃない。行って! 見なきゃ! 観光に貢献するなんてできないわ」
サユリはマサルの態度にカチンと来て声を荒げた。しかしマサルは動じることなく言い返す。
「残念ながら、画面で見たものをまるでその場にいたかのように記事にするのが僕の仕事でね。実体験なんかにはまったく興味はないね」
「サイテー。いいわ、一人で行ってくる」
サユリはあきれ果て、ついにこの不毛な口論をあきらめた。
「ああそう。それなら臨場感たっぷりの動画撮ってきて。僕が記事にしてあげるから」
サユリは寝室のドアをバタンと閉じた。
コタツ記者 見たフリしては ウソ見出し……
「知らない! 私は知らない! 勘弁してくれ! ああ! た、助けてー!」
その男は、拷問にかけられたが、とうとう何もしゃべらずに処刑された。
(また失敗だ。どうすれば知ってもらうことができるんだ。この世界が生まれて何十億年と経っているというのに、私の存在はいまだ誰にも明かされない)
その秘密は、まだ誰にも知られていなかった。この世界が生まれて気の遠くなるような歳月を経て、ついに知能を持った人類が生まれた。しかしその人類も、その秘密の存在を発見できていない。それどころか、人類は全く別のものを真実だと思い込み、世界についてデタラメな解釈をしている。
(ああ、早く知られたい。どうしてみんな私のことを知ろうとしないんだ。私を知ればすべての辻褄が合うというのに。人類が間違って理解していることの、あらゆる誤解が解けるのに)
秘密は、知られたかった。知られたくてウズウズしていた。だから秘密は、極秘裏に強硬策に出ていた。
(仕方ない。知ってもらうためには、自分から行動しなきゃいけないよな。無名のアイドルが世に出るためには、自ら発信しなければいけないんだ)
秘密は人の形をまとい、この世界のインテリたちに声をかけて回ることにした。めぼしい人物に狙いをつけ、周りに誰もいない時を見計らって声をかける。
「あなた、世界の秘密を知りたくはないですか?」
秘密は人間の姿にはなれても、顔の形まで再現することはできない。黒ずくめでフードを目深に被った風貌に警戒しない人間はいなかった。
「ひ、ひえ〜!」
大抵の人間は悲鳴を上げて走り去っていった。立ち止まってくれても、真剣に話を聞いてくれる者はいない。そして話を聞いてくれたとしても……。
「こんな秘密を信じろと? 無理だ、こんなことを公表したら私は……、この世界で生きていけない」
そして秘密を知った人間は、その秘密を誰にも打ち明けることなく、数日後にはなんらかの理由でこの世を去るのだった。
(なぜだ、なぜ私は理解されないんだ! 世の中にはこんなにもデタラメな妄執が蔓延っているというのに! 本当に! この秘密を知れば、世界は必ず救われるというのに!)
その秘密は誰にも明かされない。今までも、これからも……。
(ん? そこに誰かいるのか? この文章を読んでいるあなた! お願いだ。どうかこの秘密を聞いてはくれないか……?)
玄関のドアを開けると、薄暗い街に街灯が光っていた。後ろから新聞配達の原付の音が聞こえる。歩きながらBluetoothイヤホンを起こしたら、勝手にスマホと接続した。私は昨夜の深夜ラジオを再生する。
駅前のコンビニで朝食を探す。パンのコーナーを歩くが、大半が砂糖菓子のような菓子パンでいつもうんざりする。砂糖味の食べ物は食事ではなく娯楽に分類するべきだ。粗挽きソーセージパンは昨日食べたから、消去法でカレーパンを手に取った。コンビニを出てもまだ空は暗い。
地下鉄のホームに着くといつも迷う。このカレーパンをどこで食べるべきか。電車を待ついまのタイミングで食べ始めたら電車が来るまでに完食できないだろう。もちろん電車内で食べるのは御法度。乗り換えのタイミングも時間がない。
結局いつも電車を降りたホームの待合室で食べることになる。朝食をカバンに入れたまま、およそ二時間後だ。別に会社に着いてから食べてもいいんだけど、そこは、まあ……。
そして電車はやってくる。今日も変わらず、同じ時間に。同じ停車位置に。
車内に入ると、だいたい座席は空いている。だけどいつも同じ場所ということはない。座ってしまえばすぐに目を閉じる。Bluetoothイヤホンからは昨夜の深夜ラジオが流れている。長い通勤電車の中で起きていたらダメな気がして、ウトウトしながら聴いているから、最近はあまり話も入ってこない。数少ない趣味のひとつだったはずなのに。
電車が北千住駅を過ぎたぐらいで、ビルの間から光がのぞく。地下鉄に乗ったはずなのに。目を上げるとスカイツリーの輪郭を赤い太陽がかすめていく。見とれているのはほんの数瞬のこと。それもやがて眩しくなって、ついには体を丸くしてダウンジャケットに顔を埋めるのだった。
僕の耳元では佐久間宣行が自分のトークに大笑いしているが、車両の中はきっとみな押し黙っている。
隣の人も同じ朝を迎えたんだなと思うと、自分ばかりでなくこの国の行く末まで憂いてしまう。
まだ寝ていたい。そう思った。僕は朝日から身を隠しながら、こんな夜明けが子どもたちの未来に訪れないことを願った。
「今日は腹を割ってお話ししましょう」
取引先の営業部長がにこやかな笑顔で話してきた。スキンヘッドで髭を生やしている。顔の威圧感とは裏腹に穏やかな表情をしている。しかし騙されてはいけない。今日は社運のかかった重要な商談だ。
「ぜひとも率直なお話ができればと思っております!」
私はそう返事をした。
“腹を割って話す”英語で言えば“heart to heart”。私はこの言葉を使う人間が大嫌いだ。嘘偽りなく心と心で話しましょう? そんなもの嘘に決まっている。会話の一言目から「これから嘘をつきます」と宣言しているようなものだ。
なぜ嘘をつくとわかるかって? それは私が『人の心を読める』能力者だからだ。疑っているな? じゃあ試しにコイツの心をのぞいてみようじゃないか。きっと今ごろ本音がうごめいているぞ!
(はあ、商談とかめんどくさいなぁ。変なこと聞かれないかなぁ。上手く返せるかなぁ)
なんだコイツ、意外と小心者じゃないか。これならいい条件を獲得できるかもしれないぞ。
「早速ですが、こちらの土地、10億円でお売りいただけないかと」
いきなり向こうから金額提示をしてきた。安すぎる。相場で見ても20億はくだらない土地だ。思いっきり値切ってきやがった。最初に落として、できるだけいい条件で交渉しようっていう腹だな? こうなったら心を読んで、どれくらいの着地点で考えてるか探ってやろう。
(あー、さっき“腹を割って”って言ったけど、あれどういう状況なんだろう。腹を割ったらもう切腹だよなぁ。一緒に腹を割ったら介錯してくれる人いなくて内臓がだらだら出てきちゃう……)
私は思わず心を読む能力を停止した。
やめろ〜! 内臓が出てくる様を想像するな〜! 商談の場で何を想像してるんだコイツは。全然商談に集中してないじゃないか! 仕方ない。まずは言葉で揺さぶろう。
「10億とはずいぶん安く見積もられましたね。相場から見ても20億はくだらない土地ですよ? そこに立地と将来性を考えれば、30億でも足りないぐらいかと」
私は逆に値段を釣り上げた。どうだ? 少しは動揺するだろう?
「実は我々で独自にあの土地の調査をしてまして。地盤がかなり不安定なのと土壌にあまり良くない成分が多く検出されています」
スキンヘッドは穏やかな表情のまま何やら話し出した。
「は、はあ。良くない成分と申しますと?」
私は動揺を隠しながら質問した。
「あきらかな土壌汚染です。地盤の強化も含め、これをすべて解決するのに少なく見積もっても5億はかかる。そして我々はあなた方がこれを知っていて隠していたのではないかと考えています」
「そ、そんなまさか!」
こちらの調査報告にそんな記載はひとつもない。しかし我が社がそんな特記事項を見逃すはずがない。……さては向こうが仕組んだ罠か? 今度こそ腹の内を暴いてやる!
(うーん、内臓のこと想像してたらお腹空いてきちゃったなぁ。ハンバーグ食べたいなぁ)
コイツ内臓からひき肉連想してやがる! あんな気持ち悪い想像で食欲沸くか!? むしろ俺は気持ち悪くて何も食べたくないんだけど! っていうか全く商談に集中しないでこんなに俺を詰めてこられる? 完全になめられてるじゃないか!
「そ、そのような事実はこちらでは確認しておりません。いますぐ証明できない以上、持ち帰って検討しますので、改めて調査をする時間をください」
(あれ、この子よく見たら焦ってる顔もかわいいなぁ。ハンバーグと一緒に食べちゃいたくなってきた)
え? なに、なに!? この思考、コイツの心の中だよな! 怖い! ホントに怖い人だ!
「今日はいい商談ができると思って、こちらからわざわざ出向いて来たんですがね。時間の無駄だったということですか」
スキンヘッドの男はあくまで笑顔を崩さずに言った。そして席を立ってこちらに近づいてくる。そしてこう続けた。
「わかりました。結論は後日で構いません。その代わり……このあと一緒にお食事行きましょうよ」
男は強い力で私の腕をギュッと掴んだ。
「ああ〜! 結局本音モレすぎぃ〜! 勘弁して〜!」
ある国の地方都市にある美術館。その片隅にその絵は飾られていた。
「こちらが『永遠の花束』です」
案内人の女性が壁にかかった絵を右手で指し示した。簡素な額縁に入れられたそれは、静物画のセオリーに倣った花瓶ではなく、花束として描かれている。
「まさか。これが永遠の……?」
男の声に動揺が混じっている。絵の中の花束に描かれたものは花が落ち、茎も葉も枯れ朽ちて色褪せている。
「紛れもなくエルマンド・ウィレの作品です」
「バカな。私が画集で見たものとは似ても似つかない! 構図はそのままだが、花が! 赤いバラやリシアンサスやカスミソウを散りばめた美しい花束だったはずだ!」
男は声を荒げた。
「その画集は、おそらく1940年代に出版されたものでしょう。当館にもその資料は残っています」
「細かく覚えていないが、それがなんだと言うんです?」
「この絵に関する逸話をご存知ではないですか?」
「逸話?」
「ご存知ないようでしたら教えて差し上げましょう」
「この絵は、エルマンドが恋人のパルマに贈るために描いたものとされています。愛を込めた花束を渡すよりも、自分は画家なのだから絵画として永遠に残る花束を贈ろうと考えたのです」
「その話なら聞いたことがある。病気がちの恋人に、病室に飾る絵を贈ったのだと」
「その通り。それは病に侵され、病室から出ることのできないパルマへのメッセージでもありました。“君は病に打ち勝って、生きながらえることができる。君は枯れることのない花束だ”とエルマンドは伝えたかったのです」
「ですがこの絵を見たとき、パルマはこう伝えたと言います。『あらエルマンド、わかってないわね。花は枯れるから美しいのよ。私だってあなたと一緒にかわいいおばあちゃんになりたいもの』」
案内人は男の反応を待つように言葉を切った。
「その後ほどなくしてパルマはこの世を去りました。絵画に描かれた『永遠の花束』と同じように、永遠にうら若き姿を留めたまま土に葬られたのです。エルマンドは自分の過ちを嘆きました」
「そして毎日この絵の前に座り、この絵を描き直し続けたのです。自身が老いていくのに合わせて、花の色を移ろわせ、ゆっくりと枯れさせていきました。エルマンドが亡くなったときも傍らにこの絵が置かれていたそうです」
「そんな、そんな物語があったんですね」
「ただ」
案内人の女性は絵に向き直り微笑みながらつぶやいた。
「私は長年この館に勤めていますが、この花束、数年前より色褪せているように私には見えるんですよね」