「続いてのエントリーはこの本です」
冬眠社の営業担当が、審査員に本をそっと差し出した。
「ふーん『泣いても笑っても日暮里人』ねぇ。何ページに誤字があるの?」
「タイトルです」
「え? タイトル?」
「正式なタイトルは『泣いても笑っても日本人』です」
「うわー、盛大にやったねぇ! 最高じゃん! 採用採用!」
冬眠社の地下にある大ホール。普段は出版披露パーティや式典に使う大広間だが、年に一度、その年に出されたあらゆる出版社の書籍が集められる。
「それにしても、誤字脱字っていくら見返しても無くせないもんだねぇ」
長年ゴシップ誌の編集長をやっていた文田春彦が書籍部門に異動してきて最初に出した企画『細かすぎて繕つくろわれない日本語』。校閲をすり抜けた誤字を集めた趣味の悪い書籍だ。シリーズ化してもう第六弾が進行している。今は五次審査の最中だ。
一年かけて読者から誤字を募集し、見つけた誤字がこの本に採用された読者には賞金が与えられる。
ここに収録されることは書籍編集者にとって最大の汚点とされたが、賞金と名誉を求める読者のおかげで出版業界全体の売上が底上げされたという事実はなんとも皮肉である。
「続いてはこちらです」
次に営業が渡した本は『細かすぎて繕われない日本語 第五弾』だった。文田の眉がピクリと動く。
「この部分です」
営業が誤字のあるページを開いて見せた。文田はその部分をじっと見つめ、にやりと笑い、そっと本を閉じた。
「いいねぇ」
冬眠社の地下にある大ホール。そこで今日は、ある書籍のベストセラー記念パーティーが開かれていた。
堆く積まれたその本は『細かすぎて繕われない日本語 第六弾』。帯には「文田からの挑戦状! 第五弾に隠された謎を発見した読者は現れたのか!」という煽情的な文句が踊っていた。
カナデの実家に帰省していた最終日、折角だからと越谷レイクタウンに二人で行くことにした。湖のほとりに大きくて長いショッピングモール建てられている。全てを見て回るのは一日かけてもできる気がしない。
特になにが欲しいという物もないから、暖かいモール内を散歩して回るようなレジャーに落ち着いた。仕事柄モールに来ることは多いけど、あまりゆっくりウインドウショッピングをすることはない。
新しいもの好きのカナデは外からお店を見るだけでも楽しそうだ。
「あ、見て見て! VR体験やってるよ!」
家電のブースの前に大きく【VRゴーグル試遊体験】のパネルが出ている。中に入ると、障害物がない広いスペースになぜか人工芝が敷かれているスポットがあった。
「こちら、最新の機種でございます。お客様がまだ見たことのない景色をご覧いただけますよ」
こういう謳い文句を聞くと身構えてしまうのが私の性格だけど、内心ではやってみたい気持ちもある。
「面白そう! 私見てるから、ナオからやってみて!」
カナデは前のめりで子どものようにはしゃいでいる。一人で来てたら遠慮してただろうな。背中を押してくれるのがありがたい。
「じゃあ、やってみます」
私は手に握るスティックと呼ばれるものを持ち、ゴーグルを被せてもらった。
「おわ!」
いきなり目の前に恐竜が現れて、思わず声を上げてしまった。これは子どもの頃に図鑑で見たトリケラトプスという種類かな。外でカナデのにやにや笑いが聞こえるが、振り向いても翼竜が空を飛ぶ荒野が広がっているばかりだ。
「このデモ機は自動で場面が変わります。まもなく変わると思いますよー」
係の人の声が外から聞こえた。すると次の瞬間には目の前が鮮やかな花畑になっていた。青い空と先の先まで花で埋め尽くされた空間は美しいけど気持ち悪い。スティックを手で動かすと花も撫でられたように曲げられ、離すと反動で戻ってくる。その時にふわっと花弁が舞い散る。
その後も場面はいくつか変わり、仮想現実の進歩を見せつけられた。ゴーグルを外し、現実に戻ってくる。
「はい、お疲れ様でした〜」
係の人がお決まりのフレーズを口にする。
「次、私、やりたいやりたい!」
カナデは居ても立っても居られない様子だ。私が外したスティックを受け取ってすぐに装着する。
私はいま見たVR空間の光景を思い返していた。見たことのない風景、まったく新しい体験、映像技術の進歩。こういうことを知っておくのは必要だな。
「いっくよ〜」
カナデがノリノリでゴーグルを付けた。
「キャー!」
カナデは絶叫して後ろにのけぞり、そのまま尻もちをついた。大丈夫か、と言いかけたが
「こわいこわい! あはは! なに恐竜さん? カワイイ!」
すぐに慣れてスティックで恐竜を撫でているようだ。その姿がおかしくて、私も思わず笑ってしまった。
場面が切り替わるごとにカナデはオーバーリアクションで応えた。途中から私はスマホで動画を撮り始めていた。
私のまだ見ぬ景色は、もっと身近で探せるような気がした。
A「オレさぁ、最近ずっと同じ夢を見るんだよね」
B「えー、そんなことあるんだ。ちょっと怖いな」
A「なんか寝てても居心地が悪いっていうかさ」
B「夢って深層心理を映すとかって言うよね。なんか意味があるんじゃないの?」
A「つまんないんだよね」
B「え? つまんないの?」
A「先に進めないのが、嫌でさぁ」
B「先に進めない?」
A「いつも同じところから始まって、同じところで終わるんだよ」
B「おお、同じ夢だもんな」
A「なんか、リセマラしてるみたいでつまんないんだよ」
B「リセマラ? スマホゲームで最初にいいキャラが出るまでチュートリアルを繰り返す、あのリセマラ?」
A「解説ありがとう。そう、だから、あの夢の続きを見たいんだよね」
B「んー、それって、いまここで寝たら、その夢が見られるってこと?」
A「ああ、寝られたら、見ちゃうと思うよ」
B「じゃあさ、夢を見始めたら、寝言で教えてよ。あの夢きた! って。そしたらその寝言と会話して、次のステージに行かせてやるから!
A「やってみよう」
A「あ、あの夢きた!」
B「お、いまどこにいるの?」
A「なに言ってんだよ、いまお前と漫才やってるじゃんかよ」
B「ああ、現実じゃなくて、夢の中で」
A「え? だから、夢の中で、夢の漫才やってるよ」
B「そっかー、ごめんな、最近このネタばっかりやってるもんなぁ。つまんなかったかー」
A「なんか、リセマラしてるみたい」
B「リセマラ? スマホゲームで最初にいいキャラが出るまでチュートリアルを繰り返す、あのリセマラ?」
A「解説ありがとう。そう、だから、あの夢の続きを見たいんだよね」
B「あー、ごめんごめん! 一回起きて、一回起きて」
A「なんだよ、もう少しで続きが見られそうだったのに」
B「いや、このままだと僕も夢の中に閉じ込められちゃうから。お客さんを置いて迷宮に入ってくとこだったから」
A「またこの展開だよ、いつもここで終わっちゃう。なあ! あの夢の続きはどこで見られるんだよ!」
B「わかったよ、続きは楽屋で見よう。どうもありがとうございました〜」
「なんで毎回同じミスをするの?」
「いいよ、あとは私がやっとくから」
やってしまった。感じ悪い。余裕がなくなるといつも強い言葉を使ってしまう。こんなつもりじゃないのに。
こうなると仕事場の空気は一気に凍りつく。ここでジョークのひとつも言えればいいんだけど、いま、私が言ったらすべて皮肉なブラックジョークに聞こえる。
仕事ばかりしていると、自分が冷たい人間に思えてくる。実際にそうなんだろう。自分は仕事ができる方だとは思わないけど、できない人が「自分はダメだ」みたいな風にSNSで吐き出すのはイライラする。
上司がキツイ、できる人はいいよ、意識高いねー笑、ジブン三流大学なんで…
知らねーよ! 全部言い訳じゃん。ひとつも笑えないんですけど。
「あー寒いー」
仕事場の空気も冷たかったが、外に出ると一層寒さが増す。
自分が冷たい人間に感じたら、私はいつもお笑いライブに行くと決めている。特定の推しがいるわけでもなく、その日に行って入れそうなライブに当日券で入ることにしている。
「どうもー、始まりました『デタラメライブ』。オープニングMCのマカロニピッツァでーす!」
芸人さんはオープニングから会場を温めて、ネタに入りやすいようにする。私の心もゆっくりと溶けていく。
ネタが始まると、みんな個性あふれる技術で私たち観客を笑わせてくる。自分が選んだ道で、自分が面白いと思ったものを全力で表現する。舞台の上では言い訳もできない。
私は現実を忘れるぐらい笑い転げた。
「やー、ありがとうございました〜」
気づけばもうエンディングの時間になっていた。最初とは別のコンビがMCに立っている。
「なんか、今日のお客さん温かいねー」
やめてよ。温かくしてもらってるのはこっちの方じゃない。
「そうですねー、みなさんこんなに笑っていただいて」
笑いに来たんだから、当たり前じゃない。
「なかなかいないですよ、こんなに笑ってくれるお客さん」
芸人さんはそうやってすぐ持ち上げる。
「ホントに、今日と同じネタでも笑いゼロの時とかあるからね」
そうなのか…。
「少しでも笑い声があると安心する」
ふーん、笑えばいいんだ。笑うと温かいんだ。いいこと聞いたな。
明日から、仕事場でも笑ってみよう。もっと余裕ができたら、みんなを笑わせてみよう。そうすれば少しは温かい人に見えるかもしれない。
まずいことになった。何か手掛かりを探さなければいけない。
照一郎博士の研究室は、板金加工の工場みたいなところで、八畳ぐらいのスペースに高性能PCから研究資料から雑多な工具までがぎゅうぎゅうに押し込められていた。
「君が来てから、研究は飛躍的に進歩したよ。若者を甘くみてはいかんな。未来は明るい」
博士はロボット研究、いやヒューマノイド研究の第一人者で、このあと人類で初めてヒューマノイドを誕生させる天才科学者だ。そして僕は、その完成を阻止するために未来からやってきた。
「なぜ手袋を外さないんだ?」
博士が僕に聞いて来た。
「博士、これは軍手ですよ。機械を扱うのに素手で作業しているあなたの方がどうかしています」
「ふん。私が生み出そうとしているのはヒューマノイドだぞ。繊細な部分を造形するのに手袋なんぞしていられるか」
照一郎博士は、僕の実の祖父にあたる。この人がこれから作り出すヒューマノイドは、時を経て量産化が可能になり、人口が減少していくこの星において、様々な分野で人間を助ける存在となった。
しかし、その技術はやがて軍事目的で利用され、人間と区別のつかないヒューマノイド兵器は、人類の脅威となったのだ。僕が未来から訪れたのは、このヒューマノイドの完成にストップをかけ、未来を変えるためだった。
でも・・・僕の関心は、もはやそんなことではなかった。
僕は博士に隠れて手袋の端を持ち上げた。わたしの地肌はうっすらと半透明になっていた。
いわゆるタイムパラドックスというやつだ。何かのきっかけで僕の誕生に関わる鍵が改変されてしまったらしい。このまま未来に戻ったら、僕の存在はなくなってしまうかもしれない。
どうしよう。どこで間違えた? もちろん過去の肉親に干渉しているのだから、そのリスクがあるのは当たり前だ。でも十分注意はしていたはずだ。
博士が悩んでいた時に、この時代には発見されていない元素の構造を口走ってしまったからか?
博士がいないときに来たセールスマンにウォーターサーバーの契約をさせられてしまったからか?
それとも昨日博士が寝ている隙に、博士が隠し持っていたエロ本を盗み見てしまったからか?(父が持っていたのとジャンルが全く同じでげんなりしてしまった)
それともさっき、博士の交際相手と思われる人に「この泥棒猫!」と叫んでしまったからか…?
いや、そんなことで未来が変わるものか。変わる…のか?
「あのー、博士? さっきの女性を追わなくてもいいんですか?」
未来に関わるとすればあの女性だろう。僕は祖母の顔を知らない。ちなみに僕の母も早くに亡くなったと聞いている。
「ん? あんな女より今は研究だ。あと一歩で完成というところまで来ているんだぞ」
だめだこの人。ヒューマノイドのことしか頭にない。
「それより、TMCモジュールが見当たらないんだ。さっきあの女が癇癪を起こして、そこの部品箱をぶちまけて行っただろう。どこかに落っこちていないか、探してくれないか」
正直、僕はヒューマノイドなんて完成してほしくはないのだが、ここにいる以上、協力する姿勢は続けなければいけない。それより僕の未来のことだ。
僕はデスクの下にライトを当てながら考えていた。手が透明になり始めたのはついさっきだ。やはりあの女性が関係しているはずだ。こんなことをしている場合じゃない。
僕は頭を上げ、博士に進言した。
「やっぱり僕、あの女性を追いかけます」
「あ、おいおい、待ちなさい」
博士の声に耳を貸さず、僕は研究室を後にした。
僕は全力で走りながら計算した。あの女性が研究室を出たのは15分前、彼女がまっすぐ帰るとして、駅まで13分。次の電車はまだ着いてないはず。僕の足なら間に合うだろう。
計算している間も流れていく周りの景色に気を配る。天才博士の血を引く僕が本気になれば、全ての情報は止まって見える。
キキー…!
僕は公園の前で自分の両足に急ブレーキをかけた。一瞬だが公園の中にあの女性の姿を見た気がしたのだ。3歩戻って公園の中をのぞくと、やはり彼女がベンチに腰掛けていた。
「あの、晴美さんですよね」
僕は恥も外聞もなく声をかけた。よく考えたら父の名前は|晴一《はるいち》だ。絶対この人、おばあちゃんだ。
「あなたは…! さっき泥棒猫って!」
「その件はすみませんでした。この時代に流行ってるって聞いて言ってみたかっただけです」
やば、焦って「この時代」とか言っちゃった。
「何をしに来たの?」
「博士と、照一郎さんと仲直りしてくれませんか?」
「は? 何を言ってるの? あなたが私の目的に気づいて追い出したんでしょう?」
「え、どういうことですか?」
そっちこそ何を言ってるんだ?
「はあ。もうこうなったから言うけどね。私は博士の研究を横取りしようとして近づいたのよ。博士もきっと勘付いてたわ。ヒューマノイドには決して近づけなかったし。それで口論になってたところに、あなたの『泥棒猫』でしょ」
そういうことだったのか。何も知らずに僕は博士を助けていたんだ。でも、本当の想いは隠しているはずだ。
「まだ何か、隠してるんじゃないですか?」
照一郎さんを好きになってしまってるんでしょ?
「なんだ。全部お見通しじゃない。勘弁してよもう」
女性はカバンの中からTMCモジュールを取り出した。嘘だろ。それこの人が盗んでたの?
僕はそれを受け取ったが、まだ肝心の用件は済んでいない。
「あの、あなたが博士と結婚してくれないと…」
もう回りくどいことを言っている暇はない。
「冗談でしょ? 私は惚れてなんかいないわ。博士もハナから私のことなんて相手にしてないわよ」
んー、博士の趣味じゃないのは僕も知ってる。
「ドラマの見過ぎよ」
そう言って晴美さんは去って行った。嘘だろ。これじゃ僕は、未来に戻れない。未来に帰る鍵が、失われた…。僕は恐る恐る手袋の中を見た。
あれ? 素肌が透けてない!? 元に戻ってるぞ!
どういうことだろう。でもこれで未来に戻れる。僕の存在は否定されないんだ! 僕は急いで研究室に戻った。
「おお、でかした! まさかあの女が盗んでいたとは! これでヒューマノイドは完成するぞ!」
博士はTMCモジュールを手に取り、自分の息子同然のヒューマノイドに、最後の仕上げを施した。
「君、名前はなんだったかな?」
「え、|晴人《はると》です、けど」
「そうか、じゃあ研究に貢献してくれた君の名前と私の名前から1文字ずつ取って、この子の名前は『晴一』にしよう!」
え、それって僕の父さんの…。
TMCモジュールを組み込んだ人類初のヒューマノイドは、僕の父と同じ顔をしていた。