まずいことになった。何か手掛かりを探さなければいけない。
照一郎博士の研究室は、板金加工の工場みたいなところで、八畳ぐらいのスペースに高性能PCから研究資料から雑多な工具までがぎゅうぎゅうに押し込められていた。
「君が来てから、研究は飛躍的に進歩したよ。若者を甘くみてはいかんな。未来は明るい」
博士はロボット研究、いやヒューマノイド研究の第一人者で、このあと人類で初めてヒューマノイドを誕生させる天才科学者だ。そして僕は、その完成を阻止するために未来からやってきた。
「なぜ手袋を外さないんだ?」
博士が僕に聞いて来た。
「博士、これは軍手ですよ。機械を扱うのに素手で作業しているあなたの方がどうかしています」
「ふん。私が生み出そうとしているのはヒューマノイドだぞ。繊細な部分を造形するのに手袋なんぞしていられるか」
照一郎博士は、僕の実の祖父にあたる。この人がこれから作り出すヒューマノイドは、時を経て量産化が可能になり、人口が減少していくこの星において、様々な分野で人間を助ける存在となった。
しかし、その技術はやがて軍事目的で利用され、人間と区別のつかないヒューマノイド兵器は、人類の脅威となったのだ。僕が未来から訪れたのは、このヒューマノイドの完成にストップをかけ、未来を変えるためだった。
でも・・・僕の関心は、もはやそんなことではなかった。
僕は博士に隠れて手袋の端を持ち上げた。わたしの地肌はうっすらと半透明になっていた。
いわゆるタイムパラドックスというやつだ。何かのきっかけで僕の誕生に関わる鍵が改変されてしまったらしい。このまま未来に戻ったら、僕の存在はなくなってしまうかもしれない。
どうしよう。どこで間違えた? もちろん過去の肉親に干渉しているのだから、そのリスクがあるのは当たり前だ。でも十分注意はしていたはずだ。
博士が悩んでいた時に、この時代には発見されていない元素の構造を口走ってしまったからか?
博士がいないときに来たセールスマンにウォーターサーバーの契約をさせられてしまったからか?
それとも昨日博士が寝ている隙に、博士が隠し持っていたエロ本を盗み見てしまったからか?(父が持っていたのとジャンルが全く同じでげんなりしてしまった)
それともさっき、博士の交際相手と思われる人に「この泥棒猫!」と叫んでしまったからか…?
いや、そんなことで未来が変わるものか。変わる…のか?
「あのー、博士? さっきの女性を追わなくてもいいんですか?」
未来に関わるとすればあの女性だろう。僕は祖母の顔を知らない。ちなみに僕の母も早くに亡くなったと聞いている。
「ん? あんな女より今は研究だ。あと一歩で完成というところまで来ているんだぞ」
だめだこの人。ヒューマノイドのことしか頭にない。
「それより、TMCモジュールが見当たらないんだ。さっきあの女が癇癪を起こして、そこの部品箱をぶちまけて行っただろう。どこかに落っこちていないか、探してくれないか」
正直、僕はヒューマノイドなんて完成してほしくはないのだが、ここにいる以上、協力する姿勢は続けなければいけない。それより僕の未来のことだ。
僕はデスクの下にライトを当てながら考えていた。手が透明になり始めたのはついさっきだ。やはりあの女性が関係しているはずだ。こんなことをしている場合じゃない。
僕は頭を上げ、博士に進言した。
「やっぱり僕、あの女性を追いかけます」
「あ、おいおい、待ちなさい」
博士の声に耳を貸さず、僕は研究室を後にした。
僕は全力で走りながら計算した。あの女性が研究室を出たのは15分前、彼女がまっすぐ帰るとして、駅まで13分。次の電車はまだ着いてないはず。僕の足なら間に合うだろう。
計算している間も流れていく周りの景色に気を配る。天才博士の血を引く僕が本気になれば、全ての情報は止まって見える。
キキー…!
僕は公園の前で自分の両足に急ブレーキをかけた。一瞬だが公園の中にあの女性の姿を見た気がしたのだ。3歩戻って公園の中をのぞくと、やはり彼女がベンチに腰掛けていた。
「あの、晴美さんですよね」
僕は恥も外聞もなく声をかけた。よく考えたら父の名前は|晴一《はるいち》だ。絶対この人、おばあちゃんだ。
「あなたは…! さっき泥棒猫って!」
「その件はすみませんでした。この時代に流行ってるって聞いて言ってみたかっただけです」
やば、焦って「この時代」とか言っちゃった。
「何をしに来たの?」
「博士と、照一郎さんと仲直りしてくれませんか?」
「は? 何を言ってるの? あなたが私の目的に気づいて追い出したんでしょう?」
「え、どういうことですか?」
そっちこそ何を言ってるんだ?
「はあ。もうこうなったから言うけどね。私は博士の研究を横取りしようとして近づいたのよ。博士もきっと勘付いてたわ。ヒューマノイドには決して近づけなかったし。それで口論になってたところに、あなたの『泥棒猫』でしょ」
そういうことだったのか。何も知らずに僕は博士を助けていたんだ。でも、本当の想いは隠しているはずだ。
「まだ何か、隠してるんじゃないですか?」
照一郎さんを好きになってしまってるんでしょ?
「なんだ。全部お見通しじゃない。勘弁してよもう」
女性はカバンの中からTMCモジュールを取り出した。嘘だろ。それこの人が盗んでたの?
僕はそれを受け取ったが、まだ肝心の用件は済んでいない。
「あの、あなたが博士と結婚してくれないと…」
もう回りくどいことを言っている暇はない。
「冗談でしょ? 私は惚れてなんかいないわ。博士もハナから私のことなんて相手にしてないわよ」
んー、博士の趣味じゃないのは僕も知ってる。
「ドラマの見過ぎよ」
そう言って晴美さんは去って行った。嘘だろ。これじゃ僕は、未来に戻れない。未来に帰る鍵が、失われた…。僕は恐る恐る手袋の中を見た。
あれ? 素肌が透けてない!? 元に戻ってるぞ!
どういうことだろう。でもこれで未来に戻れる。僕の存在は否定されないんだ! 僕は急いで研究室に戻った。
「おお、でかした! まさかあの女が盗んでいたとは! これでヒューマノイドは完成するぞ!」
博士はTMCモジュールを手に取り、自分の息子同然のヒューマノイドに、最後の仕上げを施した。
「君、名前はなんだったかな?」
「え、|晴人《はると》です、けど」
「そうか、じゃあ研究に貢献してくれた君の名前と私の名前から1文字ずつ取って、この子の名前は『晴一』にしよう!」
え、それって僕の父さんの…。
TMCモジュールを組み込んだ人類初のヒューマノイドは、僕の父と同じ顔をしていた。
1/11/2025, 12:50:37 AM