仕事をやめて三ヶ月が過ぎた。夢を追うと言ってやめたはいいが、何が自分の夢か、何が自分のやりたいことか、未だに整理できずにぼやけている。
短編小説と銘打った投稿をnoteに続けて今日で100日目になる。1日2件を投稿したこともあるから記事の数はもう少し多い。一日に1000字〜2000字程度の文章を、朝の1~2時間をかけて絞り出す。やってできないことはないが、クオリティは玉石混淆だ。玉と言えるほどのものはほとんどない。
しかしわかったことがある。自分が良いと思っていない文章でも、他人からの評価が良いものがある。少なからぬアクティブな読者がいるnoteというメディアは、人の反応がわかってありがたい。とにかく書いて人の目に触れさせること、そして良かったものは見直して何が良かったのかを考える。この繰り返しは必要だ。
そうであるならば、まとまった文章を書いてプロに見てもらうのが一番良い。カクヨムへの投稿も始めたが、ウェブ小説という分野が独特の基準で評価されているのがわかってきた。文章を生業にするつもりなら早いうちに編集者の目に触れておくのが確実に近道だと感じている。
そして当然、自分が書いていて楽しいジャンルも見えてきた。ショートショート系は筆が乗れば書き上げられるという自信がついた。シリーズ物もいくつか始めたが、これは他人からの反応がなくても続けられる。ふわっとした設定で書き始めたものの、キャラクターが固まってくるとだんだんその人物が生きてきた道のりが見えてくるようになった。行き当たりばったりでこれだけ続けられるなら、最初から準備して書き始めれば良いものができそうな気がする。
それから、弱点もわかった。ショートショートのように展開を重視する物語は、ワンアイデアでも出てくれば勢いで書くことができる。これは強みだ。しかし、私は情景描写が苦手だ。なんというか、めんどくさい。正直、読む時もめんどくさいと思って読んでいる。この告白は文芸を志すと自称する人間にとって致命的かもしれない。でも現時点では事実だ。
書いている中で、いくつかコントとして成立しそうな物語が仕上がった。これを現実にコントとしてやってみたくなってきた。演技ができるお笑い芸人を集めて、コントライブに仕立てたい。台本に起こして肉付け(あるいは削ぎ落とし)をすれば、見せられるレベルになるはずだ。これは今年中に達成しなければならない。
人の目に触れるためにもう一つの目標を設定する。それは紙媒体として本を編むことだ。目に見える形のポートフォリオ。人に会った時に渡せる資料として作り上げる。これは半年以内にやりたい。すでに物語は100ある。厳選して加筆すれば一冊ぐらい作れるはずだ。
コントの話が出たのでnoteから目を転じてみよう。まずは継続して進行中のYouTubeチャンネルについてだ。開設から約半年が過ぎて、動画は30近く上がっているが、収益化できるほどのチャンネル登録者数にはなっていない。もともと出演者への経験の場として始めているので、長い目で見れば力にはなるはずだが、全体のモチベーションを維持するのは難しい。
携わって痛切に感じるのは編集の非効率さだ。時間がかかり過ぎる。技術やセンスを磨くための修行としては為になっているが、生業にするならそれなりの対価が必要な職種だろう。
YouTubeのコンテンツの中で、バラエティのチャンネルはファンを獲得するのが難しいらしい。企画内容をもっと精査して、視聴者にタメになる情報を入れていくなど、見てもらう工夫をしていく必要はある。
ラジオ番組に携わるというのも目標として記しておこう。裏方としてレギュラー番組を立ち上げる。そして自分が企画したコーナーを世に放つ。ベースはポッドキャストになるだろう。
書き始めてみれば、やりたいこと、やるべきことは見えてきた。やはり書くことで思考は整理される。頭の中に漂う言葉の切れ端は、それだけでは空を舞う想いだ。それを文字にして輪郭を象ることで、自分にも見えるものになる。しかしそれは文字にならなかった部分を排除することでもある。文字にならない想いを別のものに喩えてできる限り文字に残していくことが、情景描写なのかもしれない。
ここまでを100日目の手記としてこのページに収める。
元旦はゆっくり起き出してお母さんが作ったお雑煮を食べた。鶏肉の入ったしょうゆ味のすまし汁、子どもの頃から食べていた味だ。
「おいしいです。温まりますね」
ナオにも気に入ってもらえたみたいでよかった。
「お雑煮って地域によっていろいろあるのよね。ナオさんのお家では、どんなお雑煮だったの?」
あっ、と思ったがナオを見ると、私に大丈夫、という視線を送っている。自分で話すつもりみたいだ。
「私、実は両親を事故で亡くしていて。小学生のときだったんですけど、それからは高校を出るまで施設で暮らしていたんです」
「そうなの」
お母さんは穏やかに言った。
「そこで出てくるお雑煮は、野菜ばっかりでした。ほうれん草と里芋と、しいたけも入ってた。…味はかつお出汁でした」
「へぇー、カツオのお出汁もおいしそう!」
私は少しでも楽しい空気になるように明るく言った。
「懐かしいな。あの頃はすごく賑やかでした。そういう施設って、結構ちゃんとお正月っぽい遊びをやるんですよね。小さい子は福笑いとか、ちょっと大きくなると羽子板とか凧揚げとか。みんなで大騒ぎしてました」
ナオの子どもの頃の話、こんなに聞いたことなかった。
「そう、とても大きな家族で育ったのね」
ナオは少し驚いたような顔をした。それから表情を緩めて
「そうですね」
と言いながら笑った。
越谷にいるからと言って、わざわざ埼玉の大きい神社まで行くこともなく、初詣は私の実家から歩いて行ける神社に詣でることになった。
お母さんとナオと三人で、お賽銭の長い行列に並ぶ。
「毎年ここに来てたよね」
「カナデはここで巫女さんのバイトしてなかった?」
わ、思い出した。大学生のころ、一年だけやったことがある。
「そうそう! 助勤ね。巫女さんのカッコした写真どっかにあるかな」
スマホの中を探すが古すぎて出てこない。
「カナデが巫女さんか。え、黒髪指定だよね。全然想像できないな」
ナオがつぶやく。たしかに今の姿からは想像できないかも。
「私、年越しの時間に当たっちゃって、夜中から朝まですっごい寒くてすっごい忙しくて! もう次の年はいいやって思っちゃった」
あの大晦日の寒さは忘れられない。
気づけばあの頃と同じように手水場が復活していた。みんな何事もなかったかのように手を清めている。
お参りの順番が来た。三人並んでお賽銭を投げ入れ、神様にお祈りをする。ここに来るといつも後ろの人が気になって集中できない。そうしていたら流れで順番が終わっている。
「ナオはなにお願いしたの?」
帰り道ですぐに聞く。なんでも言っちゃう性格で、普段から突撃していると遠慮なく聞ける。
「お願いっていうか、感謝かな。去年一年間を無事に過ごせたことだったり、人との出会いを与えてくれたことだったり。それで、今年もよろしくお願いしますって」
「わー、大人な人だ。お母さんは?」
「私はみんなが健康で暮らせますように。それだけよ」
やっぱりみんなちゃんとしてるなぁ。
「そう言うカナデはどんな願い事?」
ナオがいたずらっぽく聞いてきた。
「なんか私が子どもっぽいから言いたくなーい。あはは」
「なんだよそれ」
ナオがあきれた声でツッコむ。結局みんなで笑っていた。
私の願いはひとつだけ。こんなふたりの日々が、いつまでも続きますように。
「よいお年をお迎えください」
そう言ってパーソナリティーは12月最後の放送を終えた。
「お疲れ様です。今日もいい放送でした」
ブースを出ると、タケさんが声をかけてきた。
「なに言ってるの。お互い様じゃない」
ディレクターでありミキサーであり…いや、しゃべる以外の仕事は全てこの人が担っている。番組を始めて24年、二人だけで作ってきたラジオだ。
「今日もたくさんメール来てますよ」
「ホント? みんな年末すぎて聴いてないんじゃない?」
タケさんはプリントアウトしたメールの山を手渡してきた。
「…ありがたいねぇ」
放送後、コーヒーで一服しながら放送中に読めなかったメールに目を通す。ラジオはリスナーにとって情報や娯楽であり、ときには話し相手にもなる。私が話したことで、記憶が呼び起こされ、自分はこんなことがあった、それはもっといいやり方があるなど、生活の知恵を教えてくれることもある。
市井の人々が紡いだ自分の言葉は、私にしか読むことができない、残されない民俗史だ。いつか語れる日のために私はいつも目に焼き付けておく。
「これ、とっておいて。次のときに読めるように」
タケさんに数枚のメールを返す。
「はい。たしかに」
タケさんはそれを保存用のメールボックスにしまった。
「じゃあ、また…、あ、よいお年を」
「ええ、よいお年を」
ラジオ番組のオファーをもらって以来、ずっと通っている地方のFM局。ラジオが終わった午後は晴れやかな気分でのどかな田舎町を車で走る。いつにも増して静かな町に、年末の空気を感じる。
穏やかに年が暮れていく。
「えー、あけましておめでとう。なんか、昨日の今日でちょっと恥ずかしいですね。聴いてるみなさんも同じですよ。元日からいつもと変わらないラジオを聴いてるんですから。恥ずかしいと思いなさい。ということで…」
お昼の帯番組に年末も正月もない。ラジオはリスナーにとって、時報であり、日常だ。ゴミ出しのたびに会うお隣さんと変わらない。
「昨日こんなメールが届いてました。えー、ラジオネーム『木製憲武』さん。『私の工場(こうば)は大晦日の今日も出勤です。親方が急に取ってきた仕事の納期がキツすぎて、加工機械の前で年を越しそうです。年末手当と残業代をふんだくろうと思っています。今日も親方と一緒に聴いています。放送がんばってください』いや親方に聞かれてんじゃねーかよ! 大丈夫なの? 木製憲武さん。えー、職業は木材加工ということで、いいラジオネームですねー。文字を見ないと伝わらないんですけど」
ラジオパーソナリティーは、今日もリスナーと番組を作っている。
カナデの実家での生活は、大掃除を手伝うというミッションでハリが生まれた。ルームシェアしている自分たちの部屋は棚に上げて、カナデのお母さん(ヨウコさん)の役に立ちたいと思いながらやると掃除をする手も捗る。
「家のことはいいから、レイクタウンにでも行ってきなさいよ」
とヨウコさんは言ったけど、お互いそんな気分でもなかった。
ベランダの窓を拭きながら、捲った腕と顔に冬の風が吹きつけた。冷たくなった雑巾も手に染み込んでくる。大掃除の風習がなんで真冬なのかと、日本の歳時記を恨めしく思う。でも真夏にやったところで暑すぎてやる気が起きないのは同じだ。
キッチン周り、テレビの裏、蛍光灯など、普段手の届かないところをカナデと私であらかた片付けると、チャイムが鳴った。ヨウコさんが玄関から戻ってくると、2人に号令をかける。
「はいはーい。ほら、テーブルの上だけ片付けて! お昼にしましょう」
手には宅配ピザが載せられていた。
「なんか懐かしいなぁ。大掃除するとき、いつもピザ頼んでた」
「バタバタしてキッチンも使えないからね。片付いてから料理するとお昼遅くなっちゃうし」
お手伝いのご褒美を堪能しながら、カナデとヨウコさんの大掃除あるあるを聞いていた。家族の生活感がうかがえて楽しい。
「二人は自炊してるの?」
ヨウコさんが私たちに聞く。
「いちおう当番制でやっています。でも仕事の都合もあって、できる方がやるっていう感じです」
私が答えた。
「ナオさんがしっかりしてて安心だわ。カナデが迷惑かけてない?」
「もーやめてよー。ちゃんとやってるってば」
「いえいえ、ルームシェアを始めて、本当に良かったと思ってるんです。料理だって、自分では作らないような凝ったものを作ってくれて。この前はカルパッチョだっけ? オシャレな料理作るんですよ」
「へー、意外ね〜」
そう言って笑うヨウコさんもかわいらしい。
「お母さんに教えてもらった料理以外にも、いろいろ研究してたくさん作れるようになったんだよ。私、料理好きかも」
「やる気になるまでが長いけどね」
「ひどーい。たしかにナオが夕飯作る方が多いけど!」
「この子すぐ調子に乗るんだから」
この一年を振り返っても、四月にルームシェアを始める前と後では、生活がガラリと変わった。それまでは仕事をして寝るだけの生活だったが、今は毎日、朝起きるのも部屋に帰るのも楽しみだ。家に自分以外の人がいる感覚を久しぶりに味わっているからかもしれない。でもカナデとの生活は、もっと奥の方で心が和らいでいる気がする。そのカナデの雰囲気はヨウコさんから譲り受けたものなのかな、とここに来て思った。
カナデとヨウコさんが二人で笑っている姿を見ると、心が温かくなる。ふと首を外へ向けると、部屋の角にある鏡と目が合った。鏡の中の自分は、見たことのない顔で笑っていた。その顔の後ろには笑い合う親子が映る。この鏡に切り取られた一枚の絵では、三人が同じ一つの家族のようだった。
「そうだ、今日の記念に三人で写真撮りましょう」
私は思い立って二人に告げた。
「あのー、冬だからって、親がみかんを買ってくるんですよ」
「うん、みかんいいじゃん。いま季節だし、おいしいし」
「でもみかんって、皮をむいて食べなきゃいけないじゃないですか」
「まあそうよ。手でむけるし、お手軽でいいじゃない」
「僕あれ、イヤなんですよね」
「はい?」
「まず皮をむくために爪をこう、刺して、めりめりってむいてくじゃないですか。もうこの時点で爪の間に皮が挟まるでしょ。それで上手くいかないとみかんの薄皮も破いて汁が出ちゃって」
「まあそれもあるけど」
「最終的に手ぇベタベタになっちゃって」
「そんなのその場でむいてるんだからしょうがないでしょ」
「だってこの手でスマホ画面触りたくないじゃん」
「わーめちゃくちゃ現代っ子ですねー」
「他の果物だったらね。例えばリンゴ」
「んー」
「最初っから白くてちょっと黄色がかった色しててさ、そのままフォークで刺してパクって」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
「ぜんぜん手が汚れない」
「お前さぁ、みかん以外の果物、手間かかってるの知らないだろ」
「はぁ?」
「リンゴの皮だってお前のお母さんとかが果物ナイフとかで皮をむいて、ひと口サイズに切って出してきてるんだよ」
「リンゴの…皮?」
「こいつリンゴの皮をないものと思ってるじゃん」
「いやリンゴに皮なんかないでしょ」
「お前Apple社のロゴ見たことないのかよ」
「あの太っちょピクミンみたいなやつ?」
「そう見えるかぁ! …じゃあメロンは?」
「あんなの下に持つところまで付いてて緑色の身の部分をスプーンですくうだけで食べられますからね」
「その持つところが皮なんだよ。あれも丸いメロンを食べやすいようにお前のお母さんが包丁で切って出してるの!」
「お母さんいつも家の中で寝っ転がってるだけだよ」
「お前あれだろ、魚が切り身で泳いでると思ってるタイプの人だろ」
「切り身?」
「切り身もわかんないのかよ」
「え? じゃあいつも家政婦さんが出してくれるマンゴーも?」
「あ、こいつ、いいとこの子でした〜! お母さんじゃなくて家政婦さんが出してくれてました〜!」
「ラフランスも、ドラゴンフルーツも、シャインマスカットも?」
「こいつ、いいとこの子でした〜! 出てくる果物ぜんぶ高級フルーツでした〜!」
「パイナップルだって、黄色くて透き通るような輪っかの形で、そのまま食べられる果物じゃないの?」
「パイナップルなんてでっかいトゲトゲがついた固い皮だぞ。あんなの扱うには手袋とか必要だわ」
「いやパイナップルは缶詰めでしょ」
「そこは知ってんのかい。もういいよ」