あの頃と同じ、阿佐ヶ谷の路地裏にある安居酒屋。集まるのはあの頃と同じメンバー。会えばまた、話すのはあの頃の話。
「あんときレージがいきなりバンド組もうって言い出してさ。そんときもう25だぜ?」
タミオが切り出して、若い頃の話が始まった。
「まあ、さすがに遅いか」
「そんときレージなんて言ったか覚えてる?何かを始めるのに、遅すぎることはないと思います。だぜ?」
「いやいや、別にメジャーになろうとか思ってなかったし。趣味の話じゃん」
「でもあれ、なんか音楽のM-1みたいなの出るって言ってたじゃん」
「【爆音!てっぺんリーグ】な、誰が覚えてんだよ。あれ別に賞レースじゃねーわ。1年で終わった夕方のテレビ番組だわ」
ちなみにこの番組が終わったのはM-1グランプリが始まるよりも前だ。
「いいねー、タミオ、今日もツッコむねー」
「あの頃タツキチ変なバイトしてなかった?」
タツキチがニヤニヤしながら答える。
「バカ、レッキとした運送業だよ」
「なんのバイトだよ」
「えっとウーパールーパーを四国に運ぶバイト」
「絶対やばいヤツだろ」
「あと帰りにイグアナを東京に持ってくるの」
「どういう往復書簡なんだよ。だれが潤うんだよ」
タミオのツッコミが冴える。
「当時まだウーパールーパーが四国では売れたんだよ」
「近場の貿易差額主義なんなんだよ」
「東京で爬虫類はやってたし」
そんな時代あったか?
くだらない馬鹿話が繰り広げられる。それぞれのあの頃を懐かしみながら。
「オレたち、あの頃と何か変わったのかな?」
わざわざ芝居がかって言うことか?恥ずかしい。
「なんも変わってねえよ」
そう、あの頃となんも変わってない。
「そろそろ上がりますか」
「明日何時?」
「オレ昼から、お前は?」
「オレ6時から現場だよ」
「うわーキツイなぁ」
40代バイトリーダー。
「明日もここ?」
「おう、オレ4時から飲んでるわ」
「早すぎだろエリアマネージャー、仕事しろよ」
「さすがに朝までは飲めませんねぇ」
「老いてんじゃねぇか」
「ごめん、オレ明日関西だわ」
「なんで?」
「熊野古道にマングースを放つバイト」
「いいわけねーだろ!」
いまも変わらない、あの頃…。
「すごいな。吸い込まれるような星空だなぁ」
「うん」ん?
秋の夜長。長く続いた雨も今日は落ち着いて、過ごしやすい空気の中、私と彼は雲のない夜空を眺めていた。澄んだ空に数多の星が瞬いている。
「晴れて良かったなぁ」
「うん」ん?
二人で計画した週末のデート。車で県外み足を運んで一日レジャーを楽しんだ。今はこうして、丘の上のキャンプ場で、草っ原にシートを敷いて並んで寝転がっている。
「星を見てると、落ち着くなぁ」
会話、いらないなぁ。こういうとき男の人って話したいもんなのかな。
「あ、あそこ、オリオン座だよね?」
彼はざっくり虚空を指さした。
「あ、うん。そうだね」
私はもう15分も前からオリオン座を認識していた。
「星座にまつわる物語って知ってる?」
あ、この男《ひと》、なんかロマンチックなこと言おうとしてるな。めんどくさいな。
「ああ、よくギリシャ神話と紐づけて語られるよね」
嫌だなぁ。聞きたくないなぁ。
「え、あ、うん、そうそう」
今の反応からして、たぶん私の方が詳しいんだよなぁ。
「えっとその、ペルセウス座ってあるじゃん」
彼は特に夜空を指さすでもなく語り始めた。ペルセウス座がどれかは知らないんだ。
「ペルセウスって英雄でね、いろんな神話が残されてるんだけど」
今日私が運転してたし、もう疲れてるんだよなぁ。星を眺めながら寝落ちしたいなぁ。
「ある日ペルセウスは、怪物ゴルゴンを殺すように言われて…」
いやちょっと待て。
「ああもうグロいグロいグロい!物語のチョイス違うでしょ!このシチュエーションでする話じゃないでしょ!あと私もう疲れてるから星空みながらウトウトしたいの。ちょっと静かにしててくれない?」
あーやっちゃった。疲れて我慢できなくてキレちゃった。嫌われるかな。
「カナちゃん…」
まあいっか。こんな空気読めない男、嫌われてもしょうがないか。
「カナちゃん、グロいとかいう子だったんだね」
「いやどこで引いてんだよ!」
人生は空虚だ。毎日が会社と家の往復。休日は寝るだけ。動画サイトとスマホゲームに少しばかりの快感と時間を吸い取られる日々。気がつけば会社に勤めて10年が飛ぶように過ぎていた。
「え?サヤ、結構まいってる感じ?社会人つらくなってきた?」
中学生からの親友マキエとお茶をしている席でそんなことを吐露してしまった。やっぱり疲れてる。
「あんたってさ、音楽のライブとか、見に行ったことない?ライブハウスでもフェスでもいい」
「え、ないけど。でもそんなの…」
別にライブに行かなくたって、音楽は聴けるじゃん。サブスクだって入ってるし、音楽の趣味がないわけじゃない。
「あとは、カラオケとか、そう!スポーツ観戦とか」
ますますなにを言ってるのかわからない。娯楽?家じゃなくて外に出ましょうってこと?
「なに?私がインドア派すぎるって言いたいの?」
思ったより語気が強くなってしまった。
「違う違う、そうじゃなくて。ダンスだよダンス!あんたに足りないのは踊ること!」
正解が出てもやっぱり理解できなかった。なんで私この子と友達だったんだっけ。でも相談してるのは私だ。
「私たちの世代って、踊ることを学んで来なかったと思うの。ほら、今は学校の授業でもダンスって必修でしょ?昔なら盆踊りだったり、フォークダンス?だったり。生きていれば通らざるを得ない踊りがあったんだよ」
なんかアカデミックな話し方で持論を展開している。面白そう。
「でも私たちは、求めに行かなきゃ経験できなかったの。踊りを。踊ることが当たり前じゃなかったんだよ」
それに日本人は平均的に踊る時間が少なすぎるっていう統計も出てるらしいという分析まで出してきた。
私は夏祭りの盆踊りもなにが楽しいんだろって思いながら眺めてたし、キャンプファイヤーの周りを手を繋いで回るのとかもドラマでは見るけど私の世代ではやったことない。ましてや体育の授業でやったことも。
踊るのが人生に必要だなんて思ったことなかった。
「で、踊るのって必要なことなの?」
「んー。ダンスをすると幸せになる」
雑だなぁ。
「少なくともあんたのその人生の空虚?それがどっかに吹き飛ぶ」
それって現実逃避じゃ?あ、でも、この悩みを最初に話したの私だった。
「でも踊るのって…その…怖いし」
我ながら臆病すぎる。語彙力小学生か。
「なにもいきなりクラブに飛び込まなくたっていいの。家で好きな曲に合わせて手足を動かすでもいいし、ひとりカラオケで振り付きで歌うのもいい」
ああ、なるほど。妙に納得してしまった。
「と、いうわけで…」
え?
「今から私と踊らない?」
「え、ちょっと、どこに?」
言いながら強引に席を立たせてくる。
「カラオケカラオケ♪ まだお昼だから安いから!」
「いや私、歌うのも…」
苦手だ。カラオケなんて歌ったこともない。
「私がサヤの知ってる曲歌うから!それに合わせて適当に踊ってみて!それでじゅうぶん!」
流されるのは好きじゃない。けど、私のことを想ってくれてるのはわかる。こういう友達がいて、良かったな。
人との出会いが人生を変えることがある。それは人ではなく物かもしれない。人生を変える何かと巡り会えたら、それだけで人は生まれた意味があるのかもしれない。人は他とのつながりの中で生きているのだから。
「これ、なんの絵?」
ダイニングに飾っている小さな絵を見て、友人が聞いてきた。誰の絵、ではなく何の絵、と聞いてくる時点で聞いてもわからないような無名の画家の絵だということはわかっているようだ。その通りだけど。
「ギャグの絵、かな」
聞かれた通りに答える。友人はとりあえず聞いただけで、興味を失ったらしく、もうテレビのリモコンを操作している。
「ふーん、え?ギャグって?どういう意味?」
予想外の答えが返ってきて驚いたような反応だ。聞かれた通りに答えたのに。
「じゃあ、はじめから説明するよ」
数年前、知り合いが展覧会に絵を出展するというので見に行った。銀座の画廊だったが、まだ美術大学を出たばかりの若手芸術家の作品を集めた展覧会だった。知り合いがたまたま芸術家になっただけで、自分はこの世界に詳しくなかったので、キョロキョロしながら所在なく会場を歩き回った。
たくさんの作品が並んでいるから、作者も居たり居なかったりだ。私の知り合いはその日、在廊していた(画廊にいることを在廊というらしい)。よく見ると作品の横に作者名とタイトルの入ったプレートがあって、そこに値段も書いてある。ところどころ売約済の札が貼ってある。オークションではなく先着買上方式のようだ。アートの世界ってこういうものなんだなぐらいに思っていた。作品を売っていることも初めて知ったし、自分が所有するなんて思ってもいなかった。
そして、この作品に巡り合った。
人が横を向いて両腕を突き出している。体勢はエビのようにお尻を突き出した状態だ。そして顔は笑っている。プレートを見ると作品名は「ペルモッチ」と書かれている。
「気になりますか?」
後ろから話しかけられ、振り向くとカラフルな色の服を着た、いかにも芸術家然とした出で立ちの人が立っていた。
「これの作者です」
私は聞いた。
「これはなんの絵ですか?」
絵を見て、作品名を見てもわからなかったから、こう聞くしかなかった。
「ええ、これは、ギャグの絵です」
私が何も反応もできずにいると、作者は続けた。
「実は、友人がお笑い芸人を始めまして、彼の持ちギャグなんです。意味わかんないんですけど、芸術って意味わかんないじゃないですか。だから描きました」
そうか、芸術って意味わかんないものなのか。ならこの絵は紛れもなく芸術だ。だったら、
「これください。これ、部屋に飾ります」
そう言うと作者は手を叩いて喜んだ。「ペルモッチ」のプレートには売約済の札が貼られた。
「いや、ぜんぜん意味わかんない。聞いてもぜんぜん意味わかんない」
笑いながら、今の話のどこにこの絵を買う要素があったんだと馬鹿にしたようにツッコんでいる。
「じゃあ、意味わかんないついでにもうひとつ。芸術って、いきなり価値が上がるらしいよ」
「そんな上手い話、あるわけないだろ」
そう、そんな上手い話はあるわけがない。そんな芸術に巡り会えたら、私も大金持ちになれるのかな。
「ペルモッチ!」
え?
「ペルモッチ!」
テレビの中から声がしている。見るとヘンテコな衣装を着たお笑い芸人が、この絵と全く同じ態勢で「ペルモッチ!」と叫んでいた。
私は友人と顔を見合わせて、大笑いした。
仕事から帰宅して、夕飯の仕度をしていると、ひょこひょこと同居人が近寄ってきた。
「え?夕飯作ってくれるの?買い物はお願いしちゃったけど、わたし作るよ」
「仕事は大丈夫なの?」
在宅ワークだった同居人は、仕事が立て込んで外出ができず、夕飯の買い出しを私に任せていた。
「ちょうど終わったトコ。ねえ、なに作るの?あ、カレーだ!」
エコバッグから出した中にカレールウが含まれていた。
「これは明日の分。明日も私が当番だから、今日のうちに煮込みはじめようと思ってね。今日は野菜炒めと鶏肉のソテー。野菜は明日と被るけど我慢して」
「ぜんぜんオッケー、ありがとう」
本当に屈託がない。自分が作るよって言ったのも忘れていそうだ。
「あ、デザートもあるから、あとでね」
「わー、楽しみ!」
そう言ってニコニコしながら洗濯物を畳み始めた。
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食事を終えて、私が買ってきた白桃ゼリーを二人で食べる。ソファーに横に並んでゆったりする時間だ。
「今日さ、満員電車から押し出されるとき、あー、これゼリーみたいだなーって思って、ゼリー買いたくなったんだ」
「あはは、なにそれ。めっちゃわかる」
こんな変なこと言っても、こいつはわかっちゃうんだよな。
「これ、ちょうどこのひと口サイズでしょ?これを指でぎゅーって押し出すときの、押し出されたゼリー!これが人間!気持ち悪〜い」
また豪快にあははと笑い転げる。この瞬間以外のどこに人生の真実があろうか。
「わたしはね、そう!今日通り雨あったじゃん!あのときLINEありがとね。そのときコンビニにいたんだけど、ダッシュでウチ帰って、急いで洗濯物取り込むじゃん、そしたらカップ麺がもうふやっふやでー…」
こんな失敗も、二人で話せば笑いの中に溶けていく。
「午後になったら雨も止んだじゃん。そしたら部屋がシーンとなって、静かすぎるって思ったの。で、あ、ごめん、レコードプレイヤー借りちゃった!」
「いいよ、使い方わかった?なに聴いたの?」
「これ!コルトレーン!もうめっちゃ良くて、すっごいデザインの仕事はかどったの!そしたら…」
コルトレーンで仕事が捗るとは、本当に波長が合う。ん?捗った?それでも終わらないほど仕事が詰まってたのか?
「そしたら、上司に指示されたのとぜんぜん違うデザインができちゃって!もうJAZZじゃんってなって」
私も一緒になって笑い転げた。それで作り直して時間がなくなったのか。
「ねえ、こういう日って奇跡みたいな一日だと思わない?」
いきなり妙にロマンチックなことを言う。でも、
「…そうかもしれないな。こんな奇跡みたいな日が、また明日も訪れるように、そう願って眠れたら幸せだな」
「ちょっとクサくない?」
「お前が言い出したんだろ」
あはははは、と体をそり返らせて大笑いする。
「上司で言ったら、今日、取引先が上司連れてきてさ…」
こんな奇跡みたいな一日を、もう一度。