新聞の出生欄を読むのが好きだった。
きらきらして、ふわふわして、鮮やかに眩しい、
様々な祈りの形を見るのが好きだった。
隣のお悔やみ欄だって嫌いではなかった。
最期まで護り、存在証明をし続けただろう、
様々な時間の形が好きだった。
ずっと昔に載っただろう紙面は残ってない
ずっと先に載るだろう紙面は見られない
願わくば、此処に再び私の名が載る前に
私の知る誰もの名が載らないことを
不孝かもしれないが、願っている
‹私の名前›
目が合った、と思った。
思った時には既に目は逸らされていた。
まあ知らない人だし、それは向こうもそうだろう。
目が合った、と思った。
瞬く様な間だけ、真っ直ぐに視線が絡んだ。
やけに驚いたようだったけれど、何だったろうか。
目が合った、と思った。
道を逸れて、柵を跨いで、それでも目が合っていた。
同じくらいかな、と遠目に思ったその人は、
近くで見れば思った以上に年上の人だった。
目が合った、合っている。
そうして分かった、分かってしまった。
開かれる口が音を紡ぐ前に、人差し指を立てた。
呼んではいけないと首を振った。
視線が落ちる、跡を追う。
靴の要らない両足を。
‹視線の先には›
飲み物を取ってくる間に、エンディングが終わっていたらしい。CMに流れる流行りの歌を口遊みながら君がソファから振り返った。
「好きだね、その歌」
「サビしか知らないけどね」
熱さに気を払いながら渡したマグカップ。ふぅと水面を吹きながら賑やかな画面を見やった。
「自分じゃない自分がいるって、想像したことある?」
瞬き、それは繰り返し尽くしたサビの歌詞からの話題と分かれば、丁度始まった次回予告から視線を外した。
「ドッペルゲンガーだったら死んでるね」
「そうじゃなくて」
「冗談。でもまあ、強いて言えば」
画面の中で役者が動く。隣でココアを啜る人とよく似た役者が。まるで物語から出て来たみたい、と賞賛を伴って。
「『本物みたい』って、誰かに呼ばれたのなら」
声高に罵る高音は、柔い声音と似ても似つかないのに。
「『本物』は、本当に唯一の本物のままでいられるのかな」
「カット!オーケーです」
「メイク直し入ります」
「次は翌朝のシーンですね」
ざわざわと空気が一斉に動き出す。
クーラーの付いた屋内でも尚暑すぎる冬服に、ようやく息をつく。
「一先ずお疲れ様です。大丈夫?すいません、冷たい物ありました?」
「ありがとうございます……」
湯気のたつココアは早々に回収されて、透明な水が体に染みた。
「でも流石ですね、台詞じゃないですけど、本当にあのキャラが実在したって勢いでしたよ」
‹私だけ›
「一番古い記憶と聞かれた時、君は何と答える?」
「ふむ、園児の頃か」
「確かに。胎児の頃から記憶があるという人も、
前世やその前から記憶があるという人もいるね」
「真偽は置いておいても、興味深いと思うよ」
「私かい?」
「世界5分前仮説、という言葉を知っているかな」
‹遠い日の記憶›
空っぽの窓枠を赤に塗り潰す
明るい天井に荒い黒布を張る
縫いぐるみの綿を水色に染め
硝子の破片に七色を映した
綺麗なのだと語られた
あれだけ壮大に語られた
こんな紛い物がゴミになるくらい
美しいのだと語られた
あれだけ、あれだけ語られた
皆が夢に見た天上の景色が
こんなモノであるものか
‹空を見上げて心に浮かんだこと›
購入してから、一度も開いていない本がある
発売されて直ぐに小遣いで買った本だ
主人公と同じ年齢で読み始め、
主人公と同じく加齢して、
何年も何年も新刊を追い続けた本だった
購入してから十年以上経った、今も開いていない
主人公の冒険や感情はとうに記憶に擦り切れて
きっと最初から読み直しても
当時のようには読めないだろう
多分勿体無い事をした
その時に得られた筈の経験を捨ててしまった
それでも、それでも、
何年も追い続けたその本の終わりを
きっと大団円になったと信じているその終わりを
私の子供時代の終わりを
私はまだ、受け入れられないでいる
‹終わりにしよう›
平穏でいよう、と手を繋ぐ
それはとても大切なことだけど
誰かが転んだ時に、一緒に転んでしまわぬよう
新しい人が来た時に、その人とも繋げるよう
手を繋ごう、と言葉にする
手を繋いだよ、と証を作る
誰かが転ぶ前に、助け起こせるように
新しい人も戻ってきた人も、仲間になれるように
空っぽの自由な掌で
約束だけを繋いでいく
‹手を取り合って›