私の両親はともに文化人類学者で、双子を身ごもったと分かった時点である実験を思いついた。
それは、「愛情」に関する実験。
99.9%同一のDNAを保有する一対の人間どうしに、同じ環境下で違った刺激を常時与えていくと、どのような影響が及ぶか。
わが子をもって、解明しようとした。
姉には愛情をふんだんに注ぎ、妹の私にはそれを削いだ。もちろん、ネグレクトやDVとまではいかない。必要最低限の声がけやケアはしてくれた。でも、あきらかに、親の無償の愛というようなものを、私には一度も見せなかった。冷たい言葉、素っ気ない反応。病気になっても病院に連れて行ってもらったことはない。薬を与えられるのがよいところ。それが15年、継続された。
--実験結果は、火を見るより明らかだった。はじめから。
私は高校受験に失敗した日の夜、家に火を放って両親を殺した。姉は、寄宿舎のついた有名私立中学へ行っていたので助かった。
いや、私が助けた。
姉にはこのまま一流の高校、大学へ進学してもらう。有能な姉のことだ、できるなら法曹の道に進み、司法試験を突破してもらおう。
そして、法廷で私の弁護をしてもらうのだ。
肉親の弁護って、確かできたはずよね? 今からその日が楽しみだわ……。ねえ、父さん、母さん。
#愛情
「間宮くん、大丈夫?……」
声をかけられて、俺は机に伏せていた身を起こした。がばっと。
「新田さん」
委員長が眉をひそめて俺を覗き込んでいる。幾分、心配そうに。
「あ、ああ。俺、うたたねしてた?」
やべ。なんか、ぼうっと頭が重い。なのに汗ばんで、気分が悪い。
俺は制服の襟元を知らず、緩める。ネクタイが、苦しい。
「顔色、悪いわ。保健室に行った方がよくない?」
「そうかな。いや、大丈夫。ちょっと熱っぽいだけだよ」
俺は前髪を掻き上げた。突っ伏していたから、でこに変な痕とかついていないといい。けど。
新田さんはなお、表情を強張らせたまま「熱」と言った。
「うん。風邪かな」
「……それって。その、薄着したせいじゃないかしら。こないだ。ブレザーだけで帰ったでしょう」
新田さんが切り出しにくそうに話し出す。俺はそれが、「あの日」だということを悟る。
忘れたセーターを取りに戻った、放課後のこと。ここで俺は新田さん――委員長に会った。
一人残っていた彼女は、この教室で、俺の。
「あの、ーー今更だけど私、あなたに謝らないといけないことがあって」
そこで意を決した様子で新田さんがぐ、と身を乗り出した。
お。
「私、間宮くんのセーター、持って帰ってしまって。ずっと言い出せなくて。返そうと思ってたんだけど、タイミングが……」
これ、と言ってバッグからファッションブランドの可愛い袋を取り出す。
「ごめんなさい、黙って持ってて。風邪を引かせてしまって、本当にごめんなさい」
深々と頭を下げる。
俺は反射で突き出された袋を受け取り、中を見ると俺の学校指定のベージュのセーターが入っていた。
きちんとクリーニングされているようだった。きっちり畳んである。
「いや風邪は新田さんのせいじゃないし。でも、そっか、新田さんが持っててくれたんだ。よかった。見当たらないなと思ってて」
こうやって出てきたんならいいいよ、と笑って見せた。うまく誤魔化せたらいい。俺があの時見たことを、新田さんが気づかないといい。
なのに馬鹿正直に新田さんは続けた。
「私、き、着ちゃったけど、しっかりお洗濯したから汚くないよ。気持ち悪くないから」
「気持ち悪いとか、そんなこと思うわけないでしょ」
「そ、そう?」
「当たり前。ーーてか、き、着たの。これ。俺の」
スルーしようと思ってなのに、なんで言うんだよー。俺は内心トホホだった。言われたら、訊くしかないじゃないか。
俺が突っ込むと、新田さんはう、うんと詰まった。
「な……何でか、訊いていい?かなあ」
「……」
新田さんは真っ赤になって俯いた。それは、と蚊の鳴くような声で呟いた。
「き、着てみたかった、から……」
「~~」
も、だめ。もう限界。俺は緩む口もとを手で押さえる。新田さん、これってもう既に恋の告白だよ? 気づいてる?
優秀な君なら、分かってるんだよね。俺はじりじりと首周りの熱が上がる心地がした。
あついーー顔がぼおぼおする。これは風邪のせいか、それとも、恋の微熱のせいか。
俺はぐらっと視界が揺らいでまた机に撃沈した。
「ま、間宮くん? しっかりして」
新田さんの慌てる声が遠くに聞こえる。そのまま俺は保健室に担ぎ込まれ、有無を言わさず病院送りとなった。
#微熱
「セーター2」
老夫婦、思うところがあって北国に移住しました2
「何を見てるんだい?」
こたつに入ったばーさんが、にこにこして手にしているものを見ていた。
「ああ、これ? お隣さんからいただいたんだよねえ。孫が、二人学校でもらってきたから、一つどうですかって」
下敷きのようなものをぺらりと見せる。
「学校で?」
「りんご下敷きだって」
見ると、黄色、赤、赤黄混じったやつ、3×5=15個のリンゴの写真と品種名が載ったカラー下敷きだった。
「へええ」
こんなに種類があるのかということに驚く。ばーさんは老眼鏡の奥の目を細めて、
「ふじ、つがるは有名だよねえ。最近、若い女の子のタレントさんの、なんだっけ」
「王林?かい」
「そうそう、これも聞いたことあるわ。黄色い品種なんだねえ」
ほかにも、世界一とか金星とか、聞き慣れないものもある。あ、これは知っとるぞ……紅玉。アップルパイとかで使われるやつじゃな。
「ぐんま名月なんてのもあるな。群馬産かな?」
「たくさんあるんですねえ、りんごって」
見ているだけで、楽しい。そうか、こっちの小学校の子どもたちは年に一回りんご下敷きをもらうのか。
これをノートに敷いて勉強するところを思い浮かべると、なんだかほのぼのした。
勉強に飽きたころ、ぺらんとノートをめくってこの色とりどりのりんごたちを見たら……。ちょっとほっとするんじゃろうな。
「明日、スーパーでりんご買って来ようか。びっくりするぐらい安いからな、東京に比べると」
「いいですね。私、この【トキ】って食べてみたい。由来は国鳥のあの鳥かしら?」
「さあて」
どんな味がするんじゃろうな。日にいっこずつ、ばーさんと食べ比べするのも楽しそうだ。
太陽の下、光を集めてすくすくと育った赤黄の果実がにっこりと微笑んだ気がした。
#太陽の下で
実話のみを更新していきます。
「あ、」
委員会が終わり、戻った教室は無人だった。
彼のセーターが、イスの背もたれに掛けられているのを見つけた。
忘れ物……? そう言えば、今日は小春日和で日中暖かく、ブレザーの下のものを脱いでいたような。
窓辺で日当たりの良い席の彼。
何気なく、手が伸びた。そっとセーターを取り、見つめる。
使用感はある。でも、きちんとお洗濯をして着ている跡があった。くったり肌なじみがよい。
「……」
出来心だった。つい、袖を通してかぶってしまう。Vネックセーター。
ベージュの、何の特徴もない学校指定の物。
優しい匂いに包まれた。これは、柔軟剤……?そして、男子用なのでぶかぶかだ。
長い萌え袖になっている。私はつい笑った。
「ぶかぶか」
声に出してしまう。ーーと、そこへ教室後ろの戸がガラッと開いた。急に。
私は飛び上がった。
「あれ。委員長、ひとり?」
「~~う、うん」
ドクンドクンと心臓が喉元へせり上がる。どどどどっど、どーしよう! 本人、間宮くん来た!来ちゃった。
きっとセーター忘れたのに気付いて引き返してきたんだ。それを私が身に付けてると知ったら……。ヤバい女、認定決定。
私は身を固くして、彼の「あれ? それって俺のだよね」の言葉に備える。その瞬間、私はこの教室での居場所を失う。そして同時に彼のことを好きだって、ずっと想ってたってことも、本人ばれすることになるのだ。
でも間宮君は「明日英語の単元テストだってのに、テキスト忘れちゃって」と言い、自分の席に近づいた。中から教科書を取り出し、あった、と笑う。
ーーあれ、もしかして。気づいてない?
私はほっとして、イヤまさかと思い直し、緊張を解かずにいる。間宮君は「新田さんは、まだ残ってるの」と話を向けた。
「あ、さっきまで中央委員会で、それで」
「そっか。じゃあ玄関まで行く?」
爽やかに誘う。やっぱり気づいていないみたい。私が、彼のセーターを羽織っていることに。
男物なのに・・・・・・こんなに、ぶかぶかなのに。
これって、気にも留めてないってこと、よね? そう思うとなんだか切なくなった。
「……うん」
でも私は頷いた。スポーツバッグを取り上げ、ショルダーを肩にかける。
ちょっとの間だけど、間宮君と一緒に過ごせる。玄関まで行ける。
それだけで、じゅうぶん。放課後の神様に感謝したい気分だった。
「~~~はああああ。マジ、きんっちょうしたああ」
玄関を出て委員長と別れるなり、俺はしゃがみこんだ。顔が熱い。心臓、バクバク。
軒下で待っていてくれた友人が「どした? 忘れもんは」と尋ねる。
「取って来れなかった」
「はあ? 何のためにお前教室まで戻ったんだよ」
怪訝そうに首を傾げる。
俺はしゃがみこんだままぐしゃっと髪を掻きむしった。
委員長がーーあの、新田さんが、俺のセーター、着てた。明らかにぶかぶかで、萌え袖で。
見つかったと思ったのか、顔が真っ赤になって強張ってた。とっさに、テキストを取りに来たと誤魔化したけど。
「なにあれ、なんなの。俺のセーター羽織るとか、俺のこと、好きなの?」
うわああああと喚いてしまう。友人が「何をさっきからぶつぶつと……挙動不審だぞ、お前」と首をひねる。
だって、だってよ。あの新田さんだよ。きれいで頭もよくて、うちの高校の才媛と名高い彼女が、他校にもファンが大勢いる彼女が、もしかして俺のこと、好きなのかもしれないんだぜ。
事件だろ、これ!
心臓の鼓動が全く収まらん。夕方、帰り際の西の空はもう暮れかけている。うっすら肌寒い。
俺のセーター……うちまで着て帰ってくれるといいな。
ブレザーの下、すうすうするのを今更のように感じ、俺はくしゅんとくしゃみを一つした。
#セーター
あの人は
今頃、空の遥か上の方で
たとえば、火星とか、本当に本当に遠くのほうで
ネリリし キルルし ハララしているかもしれない
「万有引力とは
ひき合う孤独の力である」
そんなすごい言葉を残して
あの人は逝った
巨星 墜つ とは言われたくないだろう
火星で楽しく暮らしていると言われたいだろう
たぶん
#落ちていく
谷川俊太郎氏を心より悼んで……「二十億光年の孤独」