脳裏に思い描いたことが、ひとつだけ現実化する力が、ある日身に付いた。
嘘みたいだが、ホントの話。
しかし、何が現実のものとなるかは、ランダムで自分では選べないというから難儀なんだな。
「ねえ、殿山くん、きょうお昼ごはん何にする?」
上司の佐久さんが隣のデスクから声をかけてくれる。
俺のあこがれの人……。今日も麗しい。
「そうですね。こないだできたカフェでも行きますか」
「混んでたらどうする?」
「んー。その時はキッチンカーでもいいですよね」
「それもいいね」
と、その時、佐久さんが椅子の背もたれに身体を預けるようにうーんと思い切り伸びをした。午前中、ずっとデスクでPCにかぶりつきだったから、肩がばきばきなのか、のけ反って首をひねっている。
う、わ……。でっかい……。
豊満なバストのラインが、くっきりと露わだ。のけ反ったせいで。
俺はよこしまな目で見てしまい、気取られないはしないかと焦る。
すると、いきなりむくりと佐久さんは立ち上がり、「殿山くん、悪いけど予定変更していい? 今日、無性に食べたくなった。奢るから」と財布を取り出し、ドアに向かっていく。
「あ、え? 佐久さん?」
留める声も届かず、佐久さんは部屋を出て行った。新しいカフェ、ゼッタイ佐久さんに似合いそうだったんだけどな……。どうしたんだろう急に。
そんな風に思いながら待っていると、しばらくして息せき切って佐久さんが戻ってきた。コンビニの袋を抱えながら。
「殿山くん、今日、これにしよう。肉まんあんまんカレーまん、いっぱい買ってきたから。好きなのどうぞ」
満面の笑顔で俺に差し出す。
「あ、ああ。どうも……」
俺は、おずおずと袋から肉まんを選び出す。ほかほか、ほんわか、やわらかい……。湯気が立っている。
ちぇ。今日の現実化は、これかあ。
俺は脳裏に煩悩を抱いたことを恥じながら、白い饅頭にはむっとかぶりつくのだった。
#脳裏
「紅茶の香り3」
姉のなぎさを女として好きだということを、意味がないことだとは思わない。
だってあいつが大統領に返り咲く国があるんだぜ。
何が現実になるかなんて、誰もわからないだろう?
核のボタンを誰かが気まぐれで押して、
地球上になぎさと二人きりになったりしたら、
なぎさは俺のことを弟ではなく異性として見ることになるかもしれない。
何だってありうる。
常識とか正義とかは、一晩でいっぺんにひっくり返りうる。そんな危うい世界に俺たちはいる。
なのに、それを口に出してなぎさに伝えられない俺は、
恋をするただの男なんだと思うんだよ、母さん。
#意味のないこと
「柔らかな光5」
うちの上司の佐久さんは、めっちゃ可愛い。
直接聞いたことはないけど、30を超えたぐらい。仕事はできるけど、バリキャリじゃない。どんなに忙しくても、笑顔を忘れない。たおやかだ。
お気に入りなのか、シマエナガのグッズを集めている。ひざ掛けとか、丸いふくふくしたシマエナガがついたものを使っていて、見ていて癒される。独り言がくせで、たまに頭の中にあることをぶつぶつダダ洩れさせているのも面白い。
うちの会社のマドンナだ。
俺は、佐久さんの直属の部下になるというラッキーな男だ。同期には羨ましがられた。いいな、いいな殿山は、と。
いいだろう。綺麗で天然で、しかも仕事はきっちりという三拍子そろった上司なんて、「当たり」に間違いない。
佐久さんは入ったカフェで、俺がオーダーしたものを見ながら憂い顔で言う。
「……紅茶の香りって、苦手」
「そうなんですか」
初めて聞く。佐久さんは、昔付き合っていた人に別れを切り出されたとき、ちょうど紅茶を飲んでいたそうだ。それ以来匂いもダメなんだと。申し訳なさそうに。
……なにそれ、可愛い。
俺は思わず向かいに座った佐久さんをガン見する。そのエピソード、可愛すぎないか、んん? 第一佐久さんを振る男ってのはどこのどいつだよ? 何様だよおまえ、って話だ。
佐久さんと付き合えるなんて、男にとっちゃ榮譽にしかならないだろうが。
紅茶の馥郁とした香りに包まれる大好きな時間が、佐久さんにとっては昔の男を呼び覚ます辛い時間だなんて、なんという違いだろう。ーーその記憶ごとのみ干してあげたい!と思ってしまう。
あぶないよね。落ち着け俺。
でも、さすがに付けあわせのスコーンを頬張り、「あ、これ美味しい。サクサク進んじゃう」と言ったところで、「あら、サクサクって、あはは、私か」と口元を手で押さえる。
ーーんもう、可愛いすぎ。
俺はたまらずシュガーポットから角砂糖を掬いあげ、ボトボトとティーカップに落とし込む。勢いよすぎて極甘になってしまった……。でもいいんだ、佐久さんが笑ってくれるなら。生活習慣病だって怖くない、かも。
「俺、上書きするよう頑張ります。紅茶飲んでる時、佐久さんにめっちゃ楽しい話して面白いって思ってもらえるように。そうしたら、佐久さんも紅茶の香り、苦手じゃなくなるかもですよね」
紅茶の苦い記憶を塗り替えたい。佐久さんがこの香りを嗅いで思い出すのは、前の彼氏じゃなく俺だったらいいな。
そんな、決して純粋とは言えない気持ちを佐久さんは
「ありがとう、殿山くん、優しいね」
綺麗な笑顔で受け止めてくれる。
あーもう好き。俺が優しいとしたら、それは相手が佐久さんだからだよ。
俺が、あなたに上書きされちゃうかも。ーー嬉しいやら恥ずかしいやらで手元から目を上げられない俺は、佐久さんを前にいつまでもカップの底にわだかまる砂糖をぐるぐる掻き回していた。
#あなたとわたし
「紅茶の香り」2 もっと読みたい❤︎666ありがとうございます
柔らかい雨が、空から降ってくる。
きつねのよめいりだあ。
さすがは、しずくちゃん、雨、外さないなぁ。
窓の外を見ながら、深雪はくすっと笑ってしまう。
「みーゆき、何見てんの」
後ろから声をかけられた。振り向くと、重い前髪にメガネ、そばかすがボーイッシュな魅力を醸している晴子がやってくる。
今日はベストに蝶ネクタイ、裾広なパンタロンといったよそ行きのおしゃれ。
「ほら、お天気なのに雨降ってきたの。これって、きつねのよめいりっていうんでしよう?」
「お、よく知ってるな、深雪」
えらいえらいと頭を掻いぐる。
に、してもと苦い顔になって、
「さすがは雫だな。こんな日でもきっちり降らせるとはね」
「晴れ女の晴子ちゃんが来てるのにね」
「ばーか、あたしが来てるからこれぐらいの雨で済んでるんだよ。来てなきゃ土砂降りだ」
断言する。深雪はへえええと感心した様子。
「さあ、そろそろ行こう。深雪、今日大役あるんだろ」
「うん、もードッキドキだよ! 晴ちゃん、深雪おかしくない? 髪、きれい?」
「大丈夫! 美容室でセットしてもらったんだろ? お姫様みたいにかわいいよ」
「えへへー」
手放しで褒められて深雪は喜ぶ。
しずくちゃんのお友達だっていう晴ちゃんをしようかいされてから、仲良くしてるけど。今日はほんとに心強い。
深雪は晴子に言った。
「じゃあ、行ってくる。見ててね、ちゃんとおつとめ、するからね」
「おー、行っといで。席から見てるよん」
ひらひらと晴ちゃんは手を振って、式場へ向かった。
ようし!
深雪は花嫁さんのヒカエシツに向かう。そこには真っ白なウエディングドレスを身に付けたしずくちゃんが待っているんだ。
うちのパパと、並んでバージンロードっていう赤いじゆうたんを敷いたところを一緒に歩いていく。そうして結婚式が始まるんだって。
深雪は二人のあいだで手をつないで一緒に歩くの。パパとしずくちゃんのたっての希望でね。
ドキドキするなぁ。たくさんのお客さんで、式場ザワザワしてる。
「しずくちゃーん、そろそろ行くよ?」
ヒカエシツのドアを開けると、そこにそれはそれはきれいな花嫁さんがいた。
「深雪ちゃん」
夢みたいに美しいしずくちゃんは、にっこりと笑った。
「時間ね。パパは?」
「もうドアの前で準備してる。めちゃくちゃ緊張してるよ」
「私もドキドキして心臓が破けそう」
「大丈夫、深雪がついてるよ」
「ありがとう」
美しい笑顔を見せるしずくちゃんーー今日、深雪のママになる人に、あのね、と深雪はヒソヒソ話を教えてあげた。
しずくちゃんはアメフラシでいつも大雨を降らせるけど、今日は特にパパが大雨だよ。男なのに、おじさんなのにきっと大泣きしちゃうよ嬉しくて。
そう言って深雪は、花嫁さんの手をきゅっと握った。
#通り雨 完
「柔らかな雨」
ご愛読ありがとうございました。
名前を、一条 光といいます。
嘘みたいだけど、本名です。混沌としたこの世の中の、一筋の光みたいな存在になりなさいという願いを込めて親が名付けました。生まれて初めての、贈り物がこの名前です。
……え。完璧名前負けしてる? そんな名前持ってて、少年院とか送り込まれてんじゃねえよ? ですよねー
俺も実際名前負けってか、真逆じゃん!て思ってましたー ああもう、ギャグなんすよ。掴みは必ず俺、自分の名前の由来から入るんです。外さないんですよ、真逆じゃん!て、外野ツッコミ入れてくれるんで!
名前負けしてる選手権全国大会とか、ないっすかねー。俺、絶対入賞する自信あるんだけどなあ。
ところで監督官殿は、なんて名前なんすか?
#一筋の光