1回目なら、笑って済まされる。雨女って、ほんとなんだね、と。
2回目から、不審がられるというか、怪訝そうに言われる。「また雨だね、それも大雨。ほんと、君と出かけるとなると、雨にたたられるなあ」と。
3回目になると、うんざりされる。「ねえ、もしかして雨女の末裔ってホントの話?」と。
その顔を見ると、雨女じゃなく、アメフラシですと訂正する気にもならない。
4回目は、経験したことがない。相手の反応が怖くて、もう出かける約束さえできない。
晴ちゃんは言う、「雨が降らないと農家の人だって困るし、ダムに水だって溜まらない。大事なことなんだよ」と慰めてくれるけど。
私は、好きな人には出かける時におひさまの光を浴びられない人生を歩ませちゃダメなんだと思っていた。
好きな人だからこそ。
晴ちゃんに呼び出された柴田さんは、居酒屋ではっきりと言ってくれた。
「雨女だかアメフラシだか知らないけれど、水無月がいると俺も深雪も笑顔になるんだよ。それは、外の天気に左右されないんだ。一緒にいると楽しいし、落ち着く。俺は確かに一度結婚に失敗しているけど、半端な気持ちで水無月と付き合っているわけではないということだけは言っておきたい。水無月にもそれは知っておいてほしい」
「……」
晴ちゃんはそれ以上何も言わなかった。出された料理を3人で黙々と食べた。
帰り際に、晴ちゃんは柴田さんに言った。
「……どーしてもさ、雫とお子さんと出かける時、晴れてなきゃ困るって時があったら、あたしを呼んでくれ。遠足とかさ。あたしが出張れば、少なくとも雨にはさせないからさ。晴れ女の名に懸けて、それだけは約束してやるよ」
「晴ちゃん……」
「中年男が、雨に濡れても哀愁を誘うだけだしな」
私はそれが、親友が柴田さんを認めてくれた何よりの「しるし」だということが分かった。ぶっきらぼうだけど、素っ気ない物言いばかりだけど、心根の優しい友達の気持ちが痛いくらい伝わった。
じいんと私の目頭が熱くなった。
「ありがとう」
にっこりと人のいい笑顔を見せる柴田さんが、なんとも頼もしく見えた。
#哀愁を誘う
「通り雨8」
鏡の中の自分に尋ねる。
柴田さんは、どう思っているだろう。今夜このお店に連れてきたことを。
晴ちゃんと引き合わせたことを。
晴ちゃんの問いかけに、どう答えるだろう。
私は鏡に映る自分に言い聞かせる。
柴田さんがどんな答えをだしても、きっと私はーー
「率直にお聞きします。柴田さんは、どういう気持ちで雫と付き合ってるんですか」
大日向さんは、重めの前髪の向こうから俺を見つめた。じっと。
何も見逃さない、聞き逃さないという意志を持って。
「……どういう?とは、」
ストレートに訊かれて俺は逆に落ち着いてきた。腹の探り合いは苦手だ。飯の味も分からなくなるし。
親友に会ってほしいと水無月に言われ、この店まで出張った。引き合わされた大日向晴子さんは、およそ晴れ女とは似つかわしくない風貌をしていた。
じっとりと視線を据えて、大日向さんは言う。
「好きか、ただの遊びか、それともバツイチ男の気まぐれかってこと」
「選択肢、少なくないですか」
つい笑ってしまう。
「……っていうと?」
「【結婚を前提にしたお付き合い】って線は」
一番、今の気持ちに近いものを口にする。でも、反応は悪かった。
大日向さんは、グラスの水に口を付けた。
「あたし、何度も見てるんだ。あの子が男に振られるの。雫はあのとおり可愛いから結構もてるんだ。でも、いざ付き合うって段になると、雨女が祟る訳。デートの約束するたびに、天気、荒れるわけよ。一回ならまだいいよ。でも毎回、毎回そうだとさ、相手も嫌気差すんだろうね。結局やっぱり無理だわって話になって、おしまい。その繰り返し」
ごくッと一口呷る。
俺は黙った。
「そのうち雫も憶病になっちゃってさ。お付き合いからは遠ざかってて。ーーでも、しばらく会ってないうちに、なんだか柴田さんの話ばかりするの。上司の柴田さんがね、柴田さんとねって。こないだは娘さんとも出かけたっていうじゃない。大雨なのに。ーー柴田さん、あなたにとっては気軽に誘ったデートかもしんないけど、雫にとっては一大決心だったの。男の人と出かけては、雨で、振られてきたんだもの。怖かったはず。なのに、出かけていったって聞いて、あたし。雫がいま気持ちを寄せている人がどんななのか、ちゃんと見てやんなきゃって思ったの」
「……親友なんだね」
俺の口から出たのはそんな言葉だった。
あ?と大日向さんが目を上げる。
「水無月のこと、ホント心配してる。ともだち、なんだなあって」
「何、クサいこと」
「そうですよ」
お手洗いに立って中座していた水無月が、戻ってきていた。大日向さんの背後に。
それはそれは優しい顔をしてこう言った。
「私のたった一人の親友なんです。ハルちゃんは」
#鏡の中の自分
「通り雨7」
眠りにつく前に、あなたのことを頭に思い浮かべる。
元気でいますか、今日いっぱい笑いましたか。
今いるところのお天気は、晴れていますか?
あなたを思うだけで、幸せ。
おやすみなさい 良い夢を。
ーー推しのいる幸せ
もう以前の暮らしには戻れない。戻りたくない。
#眠りにつく前に
「あー、人間の赤ちゃんのお世話をするワンコの動画、永遠に見てられるわー。癒される」
って、目を細めて携帯画面を眺めるあなたを私は永遠に見てられる。
#永遠に
マナミ、世界一好きだ
ハタチ越えたら結婚しような
天板に刻まれた文字と、抱き合う女ともだち、その傍に所在なげに立つ男を見ながら俺は思う。
残酷だな、お前ら。
母校の閉校式典のあとに、克也からのメッセージを見つけて美しい涙を流すマナミも大概だが、
わざと水を差すようにこのタイミングで結婚報告をした和紗も、それをまるで他人事みたいにボーっと無感動に聞いている颯太も残酷極まりない。
人生は喜劇だ。こういう時俺は心底思う。
そんな自分自身も、最低最悪で残酷なやつだと噛み締めながら。
俺、吉野修一は、昔から要領のいい子どもだった。
成績も良かったし、弁も立った。順風満帆な未来が待ってるんだろうなと漠然と感じていた。
でも、一つだけ予定外のことが起こった。どうやら自分は同性にしか性的な興味を待てないらしい。
思春期にそう自覚した。
昔は今より多様性だの、ジェンダーだのにおおらかではなくて、俺はその嗜好を秘密にして暮らすしかなかった。
高校で出会った颯太や克也と猥談をしていても、俺は女の子には心も性欲もちっとも揺さぶられなかったのだ。
実は克也のことが、好きだった。ずっと。
同じ陸上部で、放課後たくさんの時間を克也と過ごした。部室で汗をかいたシャツを着替えるのを見ると、ドキドキした。
でも克也は、仲の良いグループのマナミに好意を抱いているみたいだった。
俺はマナミに嫉妬した。羨ましかった。克也の心を射止めていることがーー男である以上、俺が克也の恋愛対象になることは皆無に近かったから。表面上は仲良くしていても、内心では妬んでいた。
仲間内で牽制し合ったのか、結局高校時代にカップルは成立しなかった。
そうこうしているうちに、克也が他界した。仕事を始めて無我夢中でろくにLINEのやり取りもしていない時だった。
不治の病に冒され、克也は天国へと旅立った。
俺は自分を呪った。俺を置いて行った克也を呪った。そして、安穏と日々を暮らすマナミや颯太や和紗も呪わしく思った。
八つ当たりだ、早い話。
そして、月日は流れ。俺は閉校式典の前夜、高校の校舎に忍び込んだ。
通い慣れた3年の教室、克也の窓際の特等席の机に、カッターで文字を彫った。そしてあいつらしい、稚拙で、情熱的な愛の告白を刻んだ。
松脂などを持ち込んで塗り、経年劣化しているような工夫も厭わなかった。
当日、それを見つけたマナミは感極まり涙を溢した。嬉しい、この机を貰いたいと健気なことを口にした。
俺は言う。
「マナミ、机の手配はしてやるから、これを機に克也のことはちゃんとけりをつけるんだぞ」
と。もっともらしく。
どの口で?ーーでも、本心では真逆のことを願っている。
どうか、克也を忘れないでくれ。俺はこれからも思い続ける。ずっとずっと思い続けるから、だからお前もーー
忘れないで、あいつのことを。
俺は呪いをかけた。マナミに、おそらく側にいた和紗と颯太にも。何より俺自身に解けない呪縛をかけたのだ。
なりすました罪という名の。
俺は泣き止まないマナミの肩をそっとさする。必死でマナミを慰める和紗の背もさすってやる。気遣わしげに見守る颯太にもそれらしく頷きかける。
俺たちは、青春の名残を温め合い、友情を分かちあっているように傍目には見えているだろうか。
理想郷にいるみたいに、幸せに。
天国の克也に聞いてみたい気がした。
#理想郷
「愛言葉 完」
ご愛読ありがとうございました