ねえ、あたしたち、付き合わない? ずっと好きだったの
そろそろ家族に紹介したいんだけどなー
来年あたり結婚しようか、タイミング的にもいいよね
……全部あたしからだ。思い返すと。
動くのは、誘うのは、関係を進めるのは、いつもあたし。颯太はなすがまま。風に揺れる柳のように、受け入れるだけ。断ることはないけど、自分からは行動しない。
あたしは、マナミが縋りついて泣いた机の天板に刻まれた文字を改めて見つめる。
マナミ、世界一愛してる
ハタチ越えたら結婚しような
そんな稚拙な、どストレートな愛の告白を、あたしだって颯太からしてほしかった。
でも、それは叶わないとわかってた。だって颯太が好きなのはマナミだもの。
ずっとずっと前から颯太は、マナミのことを想ってたものーー
見てればわかるよ。そんなの。
克也がマナミを好きなのも、颯太がマナミを好きなのも、わかる。
気持ち、ダダ漏れだもん。
あんな風に見つめられたら、素敵だなと思った。愛しくて、でも迂闊に手なんか出せなくて、男友達とはフランクに話せるのに、マナミと二人になると急に言葉もつかえてしまう颯太や克也。どちらも、お互いの気持ちに気づいてて、一歩踏み出せずにいた。
今ではもう懐かしい思い出だ。
先に告白とか、抜け駆けはカッコわるいみたいな、変な思い込みがあったと思う。男って、謎だ。
5人グループのあたしたちは、結局誰ともお付き合いしないまま、高校を卒業した。
あたしも一度は颯太を諦めた。大学で彼氏を作ったりもした。
でも、成人式で再会して、そのうち克也が病に倒れて、克也のお葬式で男泣きに泣いてる颯太を見たらもう、好きって気持ちが再燃して、どうしようもなくなった。
泣き腫らして目がまともに開かない状態の颯太にあたしは告白した。
「ねえ、あたしたち付き合わない? 颯太のこと、ずっと好きだったの」
克也を失い、颯太が一番弱ってるときに、ヘロヘロのときに、あたしはーー
つけ込んだんだ。
「颯太と結婚するの? やった、おめでとう、和紗」
マナミが満面の笑みを浮かべて抱きついてくる。
無邪気なマナミ越しに、困惑したような顔つきの颯太と目が合う。
ねえ颯太。
とてもじゃないけど、今のその顔、友達に結婚報告したカップルの片方の顔とは思えないんですけど。
ほんとに腹芸の出来ないやつ。
泣きたくなるほど。
#懐かしく思うこと
「愛言葉3」
マナミが泣いている。
天国へ行ってしまった、克也からの告白を読んで。美しい涙が止めどなく溢れて机を濡らす。
俺は、躊躇いがちにマナミの背を撫でながら、細い背中だなと驚いていた。
こんなに華奢だったか。高校に入って、たまたまクラスが一緒になった俺たち。名簿の番号が近かったせいで、話をするようになった。仲良し5人組と認定され、子どもかよ、とツッコミつつも離れずに卒業まで過ごした。
男3人に女2人ーー微妙なバランス。誰かと誰かが仲間内、カップルになれば関係性も変化していたかも知れない。そのことにみな、気づいていたから、思い人がいても誰も口にしなかったのかも知れない。
自分もそうだーー
「ごめん、泣いて……、少し驚いちゃって」
ややあって、マナミは顔を上げた。
無理もない。俺たちはイヤ、と首を振るしかなかった。
「この机。もらえないかな、閉校で処分されるのはつらいもの」
愛おしそうに、天板の文字をなぞる。
その仕草で、どれだけマナミが克也をまだ大事に思っているかを知る。死んだ人間には勝てねえよ。刑事ドラマの中で出てきた台詞を思い出す。
「多分、大丈夫じゃないか。天板だけでもって、俺からもかけ合ってみるよ」
修一が言った。うん、とマナミが頷く。
修一の父は教育委員会に勤めている。今日の閉校式典を取り仕切ってるのが、修一の父親だ。
「マナミ、机の手配はしてやるから、ちゃんとケリをつけろ。もう克也はいないんだぞ。分かるな」
「今、ここで言う?全く修一は、昔からそーゆーとこあるよね」
マナミを慰めていた和紗が咎めた。俺もつい笑ってしまった。確かに、こいつは昔から、そういうとこ、あるわ。
すると不意に、じゃああたしも言っちゃおうかな。と、屈んでいた和紗が身を起こしながらスカートの裾を払った。
「あたしたち、こんど結婚することになったの。6月に。結納は済ませて、式場とか打ち合わせ中、ーーね、颯太?」
目を赤くして、化粧も剥げかけたマナミの前で、和紗は言ったのだった。
マナミにーーいま、このタイミングで。
俺は上手く頷けなかった。
ハタチ越えたら結婚しような
机に置いた俺の手元に、克也の文字が迫ってきた。
#もう一つの物語
「愛言葉2」
姉のなぎさは、上京して一人暮らしをしているときに、大きな地震に見舞われた。
しばらく停電が続いたほどの規模の被災で、暗がりの中何日も不安に過ごしていたと思うと俺は気が触れるかと思った。
俺はシスコンだ。なぎさのことを偏愛している。
二つ年上のなぎさは昔から可愛くて、自慢の姉だった。無邪気で優しくて人を疑うことを知らないーー控えめに言って、天使。
そんななぎさだから、小さい頃から周りが放っておかなかった。俺は、小学校の頃からからなぎさに近づく男は排除してきた。気を引きたくて、なぎさをいじめようとしたガキどもはトイレの個室のドアに細工して閉じ込め、上からバケツ水をぶちまけてやった。焼却炉に、うちばきや学習道具もぶち込んでやると、気味悪がってそれ以上なぎさに関わらなくなった。
もちろん、尻尾なんか掴ませやしない。俺はそんなヘマはしない。
中学、高校とも、そんなふうに陰になり俺は不埒な輩を駆逐してきた。その頃になると、携帯などのツールを持てるようになったから、監視や駆除は前よりも楽になった。
俺の尽力あって、姉の貞操は清らかに守られた。ふたつ違いなので、姉が先に卒業してしまい、寂しかったが、致し方ない。
大学進学を俺は心待ちにしていた。
親元を離れ上京して、姉と二人暮らしをするのだと、以前から計画していた。誰にも邪魔されない、二人だけのパラダイスーー姉を、独り占めできる。ずっと。
考えるだけで、胸が震えた。
……俺はヤバいやつなのかも知れない。姉が好きすぎて、頭がイカれてるのかも知れない。
でも、それもいい。
一つだけ失敗したと思っているのは、姉が先に大学進学を決め、2年ほど一人暮らしをした時に、恋人ができたらしいこと。
姉は家族には打ち明けなかったが、ーー短い間で破局したみたいだが、それでも俺は悔やんだ。特定の男と親密な関係にさせてしまうなんて、いくら姉の元へ駆けつけられなかったとはいえ、なんたる失策。
姉が誰か他の男の腕に抱かれてると思うと、おぞけがする。ーーいや、姉のことだ、そう易々と恋人に体を許すとは思えない。
真面目で清廉な人なんだ。
「マサムネ、なにぼーっとしてるの」
なぎさが俺に尋ねる。
いや、と俺はかぶりを振る。
「別になんでも」
俺は答える。そして、なぎさを見ながら思うのだ。
……いざとなれば、今は、産婦人科で処女膜再生手術とかも簡単にやってくれるだろうし。大丈夫だろう。
「なんでもないよ」
俺はなぎさに笑いかけた。
#暗がりの中で
「柔らかな光4」
「紅茶の香りって、苦手」
カフェで、向かいに座った部下、殿山くんに私はつい漏らした。
外回りの途中、少し休憩しようかと誘った。彼が注文したのは、アールグレイ。私はコーヒーだ。
「そうですか、すみません」
でもなんで、という目をしているから、「……昔ね、お付き合いしてる人にお別れを切り出された時、飲んでたのが紅茶だったの。それ以来ダメなんだ」
正直に言った。殿山くんは、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい、俺、コーヒー飲めなくて」
「いいの、謝ることない。こっちこそごめんね、余計なこと言って。美味しく飲んでたのに」
「香りって、記憶と直結してるって言いますもんね」
「……」
殿山くんは、テーブルに備え付けのシュガーポットから角砂糖をころころ掬い上げて、自分のカップにそのまま落とした。ぽちゃんぽちゃんと。いつつ六つ。
私が目を丸くしてると、甘党なんで、俺。と笑顔を見せる。
「俺、上書きするよう頑張ります。紅茶飲んでる時、佐久さんにめっちゃ楽しい話して面白いって思ってもらえるように。そうしたら、佐久さんも紅茶の香り、苦手じゃなくなるかもですよね」
私はつい笑ってしまった。無邪気な部下の気持ちが嬉しかった。
「ありがとう、殿山くん、優しいね」
「そんなことないです。俺としては、前の彼氏さん、女の人見る目ないって思いますけど」
「……ありがと」
その言葉だけで、もうちょっとだけ上書きだよという気分になるから私もチョロいな。
くるくるティースプーンで砂糖をかき混ぜる殿山くんの手元を私はじっと見つめた。
#紅茶の香り
「3年間通ったこの高校とも、お別れかあ」
「閉校記念式典、長かったねー」
「校長先生や来賓の祝辞が長いのは、お約束だろう」
「だねえ」
今日はそれぞれスーツのような改まった服装をしている。
地元の、卒業した高校が学校改編のため廃校となることに決まり、今日がそのセレモニーだった。
卒業後、揃って顔を合わせるのは成人式以来、5年ぶり。
5人の仲間。そのうち、男子の1人は大学卒業後に他界していた。社会人になってこれから、という時だった。重い病を得た。
だから今、高校3年の時の教室に集まったのは4人。女が2人、男も2人。
「かっちゃん、お父さんが来てたね。代わりに。体育館で見た」
亡くなった仲間は克也という。あまり口数は多くなく、授業中も眠ってばかりいたが、地元では有名な陸上選手だった。実業団からスカウトも来ていた。
「まだなぁ、なんかピンとこないんだよな、克也が死んだってことが。……成人式で元気だったろ、あの後なあ、まさか就職してすぐ入院するなんてなあ」
「かっちゃん、あたしたちに病気のこと知られたくなくて、親御さんとかにも口止めしてたからね……。最期も会えなかったし」
「マナミも会えなかったんだよね」
「あ、うん。最期はね。でもお見舞いには行けたよ、まだ元気な頃に。でも、不機嫌そうに大丈夫だから早く帰れって言われたよ」
「克也はなー、マナミのこと好きだったからな。弱ってくところ見られたくなかったんだよ」
マナミは困った風に微笑った。
「そんなことないよ。かっちゃんにそういうこと言われたこと、ないし」
「……」
他の3人は黙った。何を慰めても取りなしても、故人はもう帰らない。
マナミは「懐かしいなあ、かっちゃん、席替えしてもいつもこの席譲らなかったよね。窓際の最後列。よく突っ伏して寝てたっけ」と場の空気を変えるように言った。そして、その席に歩み寄り、天板を優しくなぞる。
椅子を引いて、腰を下ろした。克也がよくやっていてように、腕を枕にして右頬を突っ伏す。早春の陽光が眩かった。
そこでふと、マナミは気づいた。この姿勢、この机でなければ目に映らなかったものがある。いま、この高校ともお別れという段になり、神様が奇跡を見せてくれた。
「……マナミ、どうした?」
じっと机に伏せたままでいる彼女に、仲間が声をかける。マナミはやっとそこで顔を上げ、かすかに滲んだ涙を指先で押さえた。
「どうした?大丈夫?」
「うんーー大丈夫。なんだかなぁ、もっと早く伝えてよって感じ。今日の今日、式典の後にこれ、見せてくる?遅いよー、ほんとに……」
言ったきりまた嗚咽を漏らし、顔を手で押さえてしまう。
他の3人は顔を見合わせ、彼女の座る机を囲んだ。そして、促されるがまま、天板の端、左下の隅っこに細くカッターのような鋭利な刃物で彫られたとおばしき文字に目を近づける。
経年劣化した木板には、情熱的な愛の言葉が刻まれていた。
マナミ、世界一好きだ
ハタチ越えたら結婚しような K
仲間たちがマナミの背を、肩を、頭を優しく撫ぜた。彼女の頬を温かい涙が濡らす。
もう鳴らないはずの授業のチャイムが何処からか聞こえた気がした。
#愛言葉