ランチを終えて会社に戻ろうと店を出ると、雨が降っていた。
ついてない。会社まで急いでも10分はかかる。傘を用意すればよかった。いや、降るとわかっていたら、もう少し近くの店にすれば良かった。
雨の中に飛び出す踏ん切りがつかないでいると、背後から声を掛けられた。
「柴田さん、傘入りますか、良かったら」
同じ課に最近異動してきた水無月さんだった。
ぽん、と折りたたみじゃない、しっかりした造りの赤い傘を開いて俺を見る。
「あ、ーーああ、店に居たんだ。気づかなかったよ」
女性社員とつるんで来ているわけではなさそうだ。まぁ着任して日も浅い。
しかし、あまり接点のない女性と一つ傘の下に入るとなると、ためらいが先に立つ。
「奥の方にいましたので」
入りません?昼、終わっちゃいますよと目で促す。
「あー、じゃお言葉に甘えようかな」
俺は水無月さんの傘に入らせてもらった。店先でうだうだしてたら店に迷惑だ。俺は柄を彼女の手から受け取った。
「俺の方が大きいから、差しやすいし、歩きやすい」
「ありがとうございます」
すぐに止む通り雨ですけど。水無月さんは朗らかに言った。
「分かるんだ、へぇ」
「まぁ雨が降る、上がるのことなら、大概。じつは私、妖怪アメフラシの子孫なんです」
俺はまじまじと水無月さんを見つめ返した。
軽い感じでいるけど、目がまじだ。こういう冗談を言う子なんだ、意外だな。
「奇遇だね、俺、雪女の子孫」
「……へぇ、そうなんですか」
「うん」
「そういえば柴田さん、時々親父ギャグで場を凍らせてますもんね」
「え、そお? そうかな」
軽ーく傷ついたぞ、おじさん。
結構毒舌。顔に似合わず。俺は水無月さんに雨がかからないように、傘の角度を気遣いながら、会社への道を歩いた。
ーー、ひと雨来そうだったから、傘を持ってランチに出たんですよ。柴田さんの選ぶお店に…
相合い傘のチャンス、だからーー
「え、何か言った?いま」
雨音に紛れ、よく聞こえなかった。そう言うと、
「ううん、何も」
ふふふ。雨がざあっと強まった。
#通り雨
「いよいよあなたの時代が来たわね、待ちかねたわ」
「何か、肩身が狭いよ。すぐにクールな彼が控えてるからね」
「最近、四季がないって言われてるものね、夏か冬かだとか聞くと悲しくなっちゃう」
「僕は君の季節、好きだよ。雪が溶けて桜が咲いて、人々の顔がぽおっと明るくなるのがわかる。素敵だよ」
「あら、嬉しいわ。ありがとう。私もあなたの季節、好きよ。葉っぱが赤や黄色に色づいて、世界が万華鏡みたいになる。空気も美味しいし、空も綺麗だわ」
「……春ちゃん」
「秋くん。私たち、なんだか似たもの同士ね。夏と冬に挟まれて、どっちつかずで曖昧で」
「そうだね。ーーでもまぁ、それもいいかな」
「うん。私たちはこのままでいいのよね、きっと」
まだまだ残暑が厳しい中
ちょっと肩身が狭そうな秋と春
ひっそり労りあってるのかなー、なんて…
#秋🍂
「ずうっと同じ景色だねえ」
「ほんとだね」
「真っ暗」
「うん、真っ暗だ」
「ずうっと続くんだね、これ。目的地に着くまで」
「そうだね」
「飽きるね」
「しようがないよ。景色は変えられないもん」
「片道、何カ月かかるんだっけ。2週間?」
「2週間と3日、かな」
「長い新婚旅行だねえ」
「……後悔してる? 僕と結婚したこと」
「なんで? するわけないでしょ」
「でもさっきから飽きるとか、長いとか」
「そりゃ長いよ。だって2週間と3日だよ? 月まで到着するの」
「地球に居たかった? あのままずっと」
「居られないじゃん。人口爆発で食べ物作る農耕地が足りなくなったんだから。月のコロニーに行くしかないんだよ。政府の言うとおり」
「ーー僕にもっとお金があれば、残れた。土地、持てなかったから。地価が高騰した地球に。だから」
「ねえ、辛気臭い話は止めよ? あたしたち新婚旅行なんだよ? たとえ窓から見える景色が真っ暗で果てしない漆黒の世界でも、死ぬほど退屈でも、あたしはあなたと一緒ならそれで幸せなんだから」
「……僕だって、君となら、月のコロニーだってパラダイスさ」
「……ふふ、キザなセリフ、似合わなーい」
「いいじゃん、言ってみたかっただけだよ」
「照れ隠しめ。……あーあ、それにしてもずうっと同じ景色だねえ」
「ほんとだね」
地球発の宇宙船。3等客室の船窓にて。
#窓から見える景色
僕は、声をかけてみたかった、君に。
この駅での停車中、向かいのホームに入ってくる電車。いつも同じ車両、同じドアのところに立って本を読んでいる君。
可愛いな、どんな本読むのかなって、気になってたーーずっと。
こないだゲリラ豪雨に見舞われて、駅で足止めを食った時。君と目が合った。ドア窓越しに。
チャンス! 思い切って、ジェスチャーで聞いた。
何の本?て。
君は慌ててカバーを外して、表紙と作者名が分かるようにドア窓に押し当てた。びたっと。
リアクションが嬉しかった。めっちゃ可愛いと思った。
その数日後、タワレコで偶然君を見かけて、僕はとっさに声を掛けた。ねえ、君。僕、こないだ電車ですれ違った……、ミセス、聴いてた。覚えてる?
君は目を丸くした。笑顔を見せて、すぐにそれが凍った。
困ったように、躊躇うように僕を見て、ごめん、と顔の前で手を合わせた。
そして、口をゆっくり動かして、声には出さずにこう言った。
私 耳 聞こえない。ごめんね。
泣き笑いみたいな、顔をした。
ーーえ。
ポカンとしたと思う。だって、君いま、タワレコ来てるじゃん。視聴ブースにいるじゃん。でもって、ミセスのアルバム、手にしてるじゃーー
持っては、いる。でも聴いてはいない。
ジャケットを眺めている、だけーー
僕の目線に気づいて、君は恥ずかしそうにそれをラックに戻した。そして逃げるみたいに、店を出て行った。
友達は、やめとけよと忠告した。耳が聞こえないのは、気の毒だとは思うよ。でも、お前が付き合うことはないだろ。縁がなかったんだよ。お前ならもっといい子、すぐに見つかるよと。
……そうだろうか。
僕は君の、電車のドアの近くの手すりにもたれて本を読む姿が好きなんだ。世界がしんと澄んで、雑音が周りから消えていくような気がする。どんな音楽よりもきれいな音が奏でられて気がするんだ。
透明な何かが君を包んでいる。
あんな子、他にいないーー
僕は君が好き。君のことを想うと胸が満たされる。僕は君からもう、形のない大切なものをきっとたくさんもらっているんだ。
#形のないもの
「声が聞こえる2」
「シュウくんてば、なんか最近、おっきくなったんじゃない?」
「ガッチリっていうか、むっちり……」
「ヤダヤダ校内一のイケメンなのに、デブっちゃヤダ! イケメン台無し!」
もぐもぐ。中休みの時間も惜しんでオヤツを食べる。友達が声を潜めて彼に耳打ち。
「なぁシュウ、周りの女子の怨念がこえーんだけど」
「気にしない、僕いま忙しんで」
食べるのに。
友達は呆れと諦めが入り混じった顔でかぶりを振った。
「隣のクラスの山下レンだろう。付き合うために太っるって。一体全体どーなとんねん」
「ほっといてよ、好きなんだからしょーがないじゃん」
もぐもぐ。
「……なんで好きなの、あの子のこと。昔からなんだろ」
「んー、それはあ」
まだ幼稚園のころのことだけど、僕ははっきりと覚えている。
園のジャングルジムで遊んでいた僕は、てっぺんから落っこちた。派手に。
きゃあああ!せんせー、シュウくんが落ちた!頭から血、出てる! 死んじゃうううう!
一緒に遊んでいた園児たちが悲鳴を上げた。たらり。目の前に赤い液体が垂れてきた。くらっ。目の前が暗くなって、僕は意識を失いかけた。
その時、憤然と叫んだのがレンちやんだった。
「死なせないもん! ぜったい、シュウちゃんはあたしが守る!」
先生たちでさえうろたえて、手出し出来ないでいた僕を、ガッと担ぎ上げてレンちゃんは走った。多分病院に駆け込もうとして。
ぶるぶる肩が震えていたのを、レンちゃんの背中におぶわれた僕は今でもよく覚えてるんだーー
「それ以来、僕はレンちゃん一筋さ」
もぐもぐ。
「……イケメンだね、彼女」
「だろう? あげないよ。レンちゃんは僕のものだからね!」
「いや、別に手ェ出さんけどさ」
「僕が太ったら付き合ってくれるんだ、ようやく。頑張るしかないよ」
「ーーわかった、俺、協力するわ。お前の純愛に打たれた。お供えするわ、今日から」
これ食えよとリュックからメロンパンを取り出す。
「うわー、ありがとう」
それから口づてで、シュウの恋の話が伝わり、日に日に彼の元へ差し入れが増えるようになった。
そして、彼の体重もーー
続く #秋恋2
#ジャングルジム