今日ばかりは、ゲリラ豪雨に感謝。
不謹慎でごめん。駅地下に浸水して、立ち往生した電車内。もう1時間も足止めを喰らい、うんざりとぐったりが充満していた。
でもーーあたしはラッキーだった。言わないけど。
だって、下校のとき、この駅で停車する、すれ違うふたつの電車。向かいのホームに停まる車両、このドアのところに寄りかかって立つ、彼。
いつも1分くらいしか、見られない彼を、今日はじっくり眺められる…!
〇〇高校の制服。男子校にほっとしたりして。いつもイヤホンして何かを聴いてる。横顔がかっこいいなと目についた。のが、きっかけ。
いつもこの駅の停車時間に、探すようになってた。
好き、なのかなあ。電車のドアのガラス越しに見るだけで、名前も知らない。話もしたことのない人だけどーー
そこで、向こうのドアの彼がふとあたしを見た。目が合う。バチッと。
うわ、ーー何?! 見過ぎた? 勘づかれた? やばい〜〜
焦ってあたふたするあたしに、彼はトントンとドア窓を突いて、指先をあたしに向けた。
え?
ジェスチャーで示す。あたしの手元を。
え?これ? あたしは手にしてる文庫本を見た。カバーをかけてる。
何の本か、訊いてるのかな。えーでも、違ったら恥ずかしいな。
迷ったけど、思い切ってあたしはカバーを外した。タイトルと作者名が見えるようにドア窓に張り付ける。びたっ。
彼はまじまじとおでこがくっつくように本を見て、
いいね、というように口を動かした。
あ、笑った……!
めっちゃカッコいい。うわーどうしよう、もしかして好きな作者さんだった?読んだことある本なのかな。
文庫本、開いてて良かったよおおおお。隠れて彼のことチラ見するためのアイテムだったけど、とにかく感謝!
あたしは会話を続けたくて、今度はあたしから窓を突いた。つんつん。
彼が呼ばれたのに気づく。あたしは自分の耳を示してから彼のイヤホンを指差し、首を傾げた。
ーーなんの曲、聴いてるの?
伝わるかな。伝われ、伝わって。お願いーー
すると彼は、ああと片方のイヤホンを外し、口を動かした。
ミセス。
そう言った。
雨音が、急に強まった。ざあっと視界を世界を覆う。
でも聞こえた。確かに。
彼の声が聞こえた。届いた。今、あたしにーー
#声が聞こえる
豪雨に見舞われた方々がいらっしゃる、こんな時にと、お叱りを受けるかもしれません。すみません。
ご不快に思われませんように…
教室から見える紅葉が色づいてとてもきれいだ。
「レンちゃん、もう秋だね。そろそろ僕と付き合ってよー」
「やだ、あたしより体重軽い子とは付き合わないもん。いつも言ってるでしょ」
もぐもぐ。メロンパンを頬張りながらレンはけんもほろろ。
シュウは机に突っ伏した。
「何でだよー、俺、体質的に太れないんだよ、頑張っていくら食べてもダメなんだよう」
めそめそ。
「泣いてもダメ。涙のぶん、痩せちゃうよ、泣かない方がいいよ」
ぺろりとパンを平らげ、指を舐め取りながらレンは言った。
「レンちゃんのいじわる!嫌いだっ」
「嫌いで結構〜。あたしはマッチョでガッチリした彼氏捕まえるもーん」
「うわあああん」
「……ねえあれ、なんのコント?教室のど真ん中で」
ヒソヒソ。女子の噂話。
「あーあれ、年中行事だよ。幼なじみなんだ、アイツら。昔っからシュウがレンにベタ惚れで半ストーカー状態」
「ええええっ。シュウくんてうちの高校の1年のイケメンNo. 1だよ? 3年生まで狙ってるという噂もある」
そのNo. 1が、レンを?
信じられないと目を見開く。
「まぁ気持ちも分からんでもない」
レンはそのう、どう見てもイケメンと釣り合う容姿はしておらず、なんというか、とてもぽっちゃりとおおらかな体格を持て余すような女の子だ。
「アンタマジでうざい。いったいどうしたらあたしのこと諦めてくれんのよ」
ほとほと呆れた顔で、レンが言った。
シュウは眉間に皺を寄せてむうと考えた。考え抜いた末こう言った。
「レンちゃんが痩せたら、俺、諦めるよ。二言はない」
「それって本当? うそじゃないわね」
キラんとレンの目が光る。
生真面目にシュウは頷いた。もちろん、と。
「その代わり俺がレンちゃんより太ったら、俺と付き合ってよ。約束だよ?」
二言はないよねと聞かれて
「もちろん。よーし、見てなさい。アタシ痩せてやるから。シュウが太るより先に、ぜったい」
鼻息荒く言い切った。
「そうはさせるか。俺も今日からガチで食べて、ぜったいレンちやんよりでかい男になってやる、見てろ!」
2人の間で火花が散った。バチバチ。
ガチだーーガチだわ。周りで見ていたギャラリーは息を呑んだ。すごい気迫だ、2人とも。
ーーん?
なんか、おかしく、ないか……?今のやりとり。
シュウ(秋)とレン(恋)のドタバタの恋の行方は、またの機会に。
#秋恋
休憩所に行くと、花畑が一人でいた。
俺を見るなり、ぎくりと顔をこわばらせる。わかりやすいヤツめ。
「や、薮さん。お疲れ様です」
「お疲れ。珍しいな、一人?」
「あ、はい。今日は、ちよっとーー」
言葉を濁して、すすすと戸口へ向かおうとする。
おいおい。
「そう逃げんでもよかろう、あからさまだぞ」
俺だって傷つく。避けられてる自覚はあるが。
「に、逃げてなんていませ」
ん。と言おうとして、ぐうううううと盛大に花畑の腹が鳴った。
!!? 俺たちは同時に顔を見合わせた。
花畑は真っ赤になった。そして硬直した。
「花畑、腹減ってるのか? 昼はどうした」
「お、お昼はその、たべてないです」
「なんで? ダイエットか」
「いいえーーはい」
とっさに本当のことが出て、すぐ嘘をついた。ったく、分かりやすすぎる。
「嘘をつくな、なんで食ってないんだ」
「そ、それはその……会社に着いて、携帯、水没させちゃって。お財布もうちに忘れたし。もうここでコーヒー飲んでるしかなくて」
めそっと泣きそうになる。
俺はつい声を上げた。
「携帯を水没させたあ?何でまた」
「話せば長いんですう〜」
うわぁんと本気で泣き出した。
やれやれ……何だか俺も泣きたくなってきた。
しようがねえな。俺は持参したランチボックスを花畑に差し出した。
? と目をこすりながら花畑が俺とボックスを交互に見る。
「食べなさい。まず食ってから事情を聞くよ。俺でよければ」
そう言うと、「え?でもこれ、愛妻弁当ですよね。頂けません」と抜かす。
「俺は独身だ。愛妻が居てたまるか」
「えー、じゃあ誰が作ったんですか」
「俺だよ」
答えると、本格的に花畑は固まった。
「薮さん、料理するんですか」
「悪いかよ、するよ」
「……」
「言わんでいい。似合わないとか思ってるんだろ」
「思ってます」
「お前なあ。食うなら食えよ。俺の料理食えないっつーなら返せ」
花畑は一瞬考えた。一瞬だけ。そして、
「食べないと査定に響きますか?」
派遣の自分の立場を気にする。阿呆と俺は一蹴し、「見損なうなよ。査定よりも午後の仕事に響くだろう、腹が減ってたら。食いなさい」
俺は再度促した。これで断られたら退こう。そう思っていると、おずおずと花畑はランチボックスを受け取り、テーブルに着いた。いただきますと手を合わせて箸を取り出し、食べ始める。
……。
箸使いも、所作もきれいだった。思わず俺は見惚れた。
はじめ、おっかなびっくりおかずを口に入れていたが、そのうちペースが上がった。もくもくと食べ、咀嚼し、俺の弁当は米粒は一つ残さず空になった。
完食。
花畑は満面の笑みをうかべ「ごちそうさまでした!美味しかったあ」と満足そうに言った。
ーー俺がこいつに落ちた瞬間だった。
大事に、俺の作ったものを平らげてくれたとき。全部腹に収めて嬉しそうに笑ったとき。満腹ーと天井を見上げたとき。薮さんて、見かけによらず繊細な味出しますねと気が緩んで調子に乗ったとき。
この子を大事にしたいと、痛烈に思ったーー。
「やぶと花畑2」
#大事にしたい
「ねえ、何考えてるの、先生」
「んー、まあありきたりだけど時間が止まればいいのになって。つくづく幸せ者だなぁ俺は、って思ってた」
そう答えたけど、ホントではない。嘘でもない。
愛し合った後のピロートーク。タバコを吸いたかった。でも彼女の隣で吸うわけにいかない。
口寂しいのを我慢して天井をぼんやり眺めていたら、聞かれた。ねぇ何考えてるのと。
君は知らない。大概こういう時、男はなあんにも考えていないんだ。
「えー、やだそんなの。あたしは早く時間が過ぎればいい。一日が48時間くらいでビューって2倍速で経てばいいのに」
彼女は口を尖らす。
「それって、2倍速の意味なくないか。48時間だと」
「あ、そうか。んもう、計算とかホント苦手!」
「君は文系だからなぁ。でも、なんでそう思うの」
「だってあたし早く大人になりたいもの。大人になれば、先生と付き合ってるの隠す必要ないし、こそこそ隠れて会うこともしないで済むでしょう? おおっぴらにデートしたり結婚したり出来る。
早く大人になりたい」
大きな瞳で俺を見つめながらキッパリ言う。そのまっすぐさがあまり眩しくて俺は目をすがめた。
ーーああどうか、やっぱり時間を止めてくれ神さま。
この少女を、潔癖なほど美しいままで俺の中に閉じ込めておきたい。彼女の心には今俺しかいない。その暴力的なほどの純粋さを一身に浴びていたい。まるでプリズムの光を手のひらに転がすみたいにーー
まばゆさに身を浸して。
「先生、置いていかないで。あたし早く大人になるから」
彼女はそう言ってまどろむ。甘い眠りに絡めとられてゆく。
ややあってすうすう寝息が聞こえ始め、俺はそのあどけない寝顔にキスをした。
彼女の薔薇色の頬に。
「バカだな……置いてかれるのは俺のほうだろ」
プリズムが陰る時が、いずれ来る。輝きが色褪せるのを止めることは出来ない。
それは予感。それともーー
砂時計の砂がこぼれ落ちてしまわないように、俺は眠る彼女の髪をそっとひとふさ指に絡めた。
#時間よ止まれ
「空が泣く2」
夜景を観に行っても、晴れた試しがない。
よくて曇り。ひどい時には、さあ山頂だという段になって雨がぱらついてくる始末。
ついてない人生。もってない男。
とても、大谷翔平みたいにはなれない。
ーーけどね。
「雨降ってきた。風も。帰りのロープウェイ、揺れるかもだから少し待つって」
あーあ、残念。と彼女は言った。夜景見たかったのにと。
待合室は、俺たちみたいに夜景に振られた観光客でごった返し、不平不満が燻ってる。
「そうだね」
「終バス、出ちゃうねえ。今夜中にうちに戻れるかなあ」
「どうかな」
「……小谷くん、落ち着いてるね。悔しくないの、夜景も見られなくていつうちに帰れるかどうかも分からないのに」
少し訝しむように俺の顔を覗き込む。その眼差しの愛らしさにキュンとする。
でもそれを気取られないように、視線を逸らして
「悔しいよ、ついてないよほんと」
と言う。
「だよね。こんなことになるなんてー、あたし雨女かなぁやっばり」
しょんぼり言うから、俺は内心ゴメンと謝る。
ごめん。
君のせいじゃあないんだよ。
やっとこぎつけたデート。急な悪天候で夜景が見れないのもロープウェイが止まるのもきっと俺のせい。
俺が太谷ならきっと今夜は晴れて、それはそれは綺麗な夜景を観れているはず。
そして重ねてごめん。帰りの見通しが立たないことを内心喜んでて。
君と一緒にいられる時間が増えるだけで、俺は天国へ登る心地なんだ。
ナイショだけどね。
「また来ようね、小谷くん。今度こそ一緒に夜景見たい」
「……うん」
俺は頷いて待合室のベンチにもたれた。彼女と肩がちょっと触れた。
大谷翔平みたいにはとてもなれないけど、今俺はとても幸せだった。
#夜景