#病室
四角く区切られたこの病室に窓はない。
あるのは唯一の出入口である扉と区切り板だけだ。
こんなに息が詰まる部屋は、そこにいるだけで気が触れてしまいそうになると思った。
真っ暗闇な中、自分以外に誰かいないだろうかと周りを見回してみる。
だが真っ暗闇なのだから何も見えず、代わりに聞こえてくるのはゴウゴウという風の慟哭だけだった。
誰か助けてくれと叫ぼうとしたが、自分は声が出せないのを思い出した。
そうしてどれくらい経った頃だっただろうか。
ガチャリと唯一の出入口である扉が開いて、そこに見たこともない奇妙ななにかがぬっと現れた。
そして、奇妙ななにかは細長い小枝が五本ついた太い枝をこちらに伸ばしてから自分をむんずと鷲掴みにすると、そのまま光の方へ連れて行き。
「ママぁー、卵ってこれで終わりー?」
「テーブルの上にある買い物袋にさっき買ってきたのがあるから、それも一緒に使っちゃいなさい」
「はーい。オムレツにしようかなー?それとも卵サラダ?うーん、どっちがいいかなぁ」
#だから、一人でいたい
その日は朝から快晴だった。
いつもと変わらぬ、朝。
いつもと変わらない、家族。
いつもと変わらない、町の姿。
そんな日常に起きたたったひとつ違うこと。
それは。
「おはよう、父さん。今日もいい天気だよ」
カラカラと滑車の滑る音をたて、部屋の窓を開ける。
ベッドの上にはこんこんと眠り続ける父がいた。
ある日仕事先で倒れた父はそのまま植物人間になって、もう何年も眠り続けている。
妹は結婚して家を出た。母親は二年前に他界した。
そしてボクはこうして一人で、起きるかも分からない父の面倒を見続けている。
初めは一人なんて無理だと投げ出しそうになった。
けれど。こうして状態になってから初めて、自分は父と一対一で話していると気付いた。
それからはずっとこうして、一人で父の面倒を見ている。
勿論付きっきり、というわけにはいかないので、昼間はヘルパーさんに任せているが。
「そろそろ仕事に行かなくちゃ。じゃあ行ってくるね、父さん」
すっかり痩せてしまった父の手を握って声をかける。これだって今や様式美みたいなものだが、もしかしたらという一縷の希望だって無論ある。
握った手を離し、掛け布団をなおしてから部屋を出る。
その前にもう一度だけ、父に挨拶をした。
父が倒れてから、僕は父がどれだけ僕を気にしていてくれていたのか、母から聞かされて知った。
それがあったから、僕は父と暮らすことを決めたのかもしれない。せめての親孝行に、と。
だから、僕は一人でいたい。
いや、正しくは、目覚めぬ父と、僕ひとりと。
こうして、父が没するその時まで。
#嵐が来ようとも
その船は、たとえどんな嵐が来ようとも決して沈まぬ、不沈船として名を轟かせていた。
ある船大工曰く、その船は船体がとても頑丈だと聞いたと誇らしげに語る。
またある航海士曰く、最新鋭の航海技術を駆使した素晴らしい船だと、まるで恋する乙女のように目を輝かせそう言った。
またある下っ端船員曰く、ベテランもベテランな船長と副船長の素晴らしい操船技術があってこそだと豪語していた。
そんなみなみなの期待と羨望の的だった不沈船は、ある日、穏やかな春の海へ航海に出た先で、こつ然とその姿を消してしまった。
船体の欠片もなく、乗客乗組員その全てが忽然と消えたのだ。
捜索隊が結成され、船が消えた辺りを組まなく探すも、その残骸1つすら見つからぬまま一年が経ち、五年が過ぎ、そして何十年、何百年という長い長い月日が過ぎていた。
そんなある冬の日、消えたはずの不沈船が突如として姿を現した。しかしそこに人の姿はなく、ただ出航したそのままの姿で霧深い海の上をスルスルと滑り、人々の前に姿を現したのだ。
これに色めき立ったのはゴシップ誌の記者たちで、彼らは突然現れた不沈船の位置を把握するや否や、我先にとそこへ乗り込んでいく。
そう、その姿はさながらハーメルンの笛吹き男に出てくる子どもたちのよう。
そうして記者の最後の一人が船内に入っていった次の瞬間、またしても不沈船はその巨大な姿を霧の中へと隠してしまった。
そしてその一部始終を見ていたのはどこまでも続く穏やかな波間と、空にぽっかりと浮かんだ猫目月だけだ。
#お祭り
トンテンカン、トンテンカン。
ここ最近近くからヤグラを組む音が聞こえてきている。
その音を聞くと、ぼくはお祭りが近いんだととてもそわそわする。
「今年もこの時期になったね、兄弟」
「ああ、今年は楽しみだな兄弟」
お互いを兄弟と呼び合う、ぼくにそっくりなもうひとりの『ボク』。
「去年までは寂しかったからな。今年はうんと頑張ろう」
「そうだね。さんねん?だっけ。今年はたくさんの人が来るといいねえ」
あちこち忙しなく行き来するニンゲンたちを見て、ぼくたち兄弟はニコニコの笑顔だ。
「コラコラお前たち。あまりニンゲンの邪魔をするんじゃないぞ」
「「はーい」」
きゃらきゃらとはしゃぐぼくと兄弟をたしなめる、社のヌシ様も去年よりずっと楽しそうだ。
世界中で何だか分からない疫病が流行ってから4年が経ったの今年の祭りは、きっとたくさんのニンゲンがこの社を訪れる、あの賑やかさを取り戻すんだろう、そんな予感があった。
#神様が舞い降りてきて、こう言った
ある日、目の前に神様が舞い降りてきて、こう言った。
「さあ、君の番だよ」
一体何の話をしているのか分からずに首をかしげた私に、神様は続けてこうも言った。
「少し大変かもしれないけど、大丈夫。頑張ってたくさん幸せを集めておいで」
それはとてもとても優しい手つきと声で、水の中を泳いでいる私を、そぅとすくい上げてから、とても大きな大きな池に連れていく。
「これから先はたくさんの試練が待ってる。でも君はひとりじゃないからね」
さあ、行ってらっしゃい。そんな神様の声が最後に聞こえて、わたしの世界は白く弾けた。
「おめでとうございます、○○さん。とても可愛い女の子ですよ」
さぁ、私だけの私の冒険の始まりはじまり。