名無しさん

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#だから、一人でいたい


その日は朝から快晴だった。
いつもと変わらぬ、朝。
いつもと変わらない、家族。
いつもと変わらない、町の姿。

そんな日常に起きたたったひとつ違うこと。
それは。

「おはよう、父さん。今日もいい天気だよ」

カラカラと滑車の滑る音をたて、部屋の窓を開ける。
ベッドの上にはこんこんと眠り続ける父がいた。
ある日仕事先で倒れた父はそのまま植物人間になって、もう何年も眠り続けている。
妹は結婚して家を出た。母親は二年前に他界した。
そしてボクはこうして一人で、起きるかも分からない父の面倒を見続けている。
初めは一人なんて無理だと投げ出しそうになった。
けれど。こうして状態になってから初めて、自分は父と一対一で話していると気付いた。
それからはずっとこうして、一人で父の面倒を見ている。
勿論付きっきり、というわけにはいかないので、昼間はヘルパーさんに任せているが。

「そろそろ仕事に行かなくちゃ。じゃあ行ってくるね、父さん」

すっかり痩せてしまった父の手を握って声をかける。これだって今や様式美みたいなものだが、もしかしたらという一縷の希望だって無論ある。
握った手を離し、掛け布団をなおしてから部屋を出る。
その前にもう一度だけ、父に挨拶をした。

父が倒れてから、僕は父がどれだけ僕を気にしていてくれていたのか、母から聞かされて知った。
それがあったから、僕は父と暮らすことを決めたのかもしれない。せめての親孝行に、と。

だから、僕は一人でいたい。

いや、正しくは、目覚めぬ父と、僕ひとりと。
こうして、父が没するその時まで。

7/31/2023, 5:01:47 PM