鏡は謎が多い
私たちは自分の顔を反射でうつった顔しか見たことがない。
なぜ、白雪姫のやつでは鏡が喋っていたのだろうか。
鏡は写ったものを写すが写らなかったら何も写しはしない。
だからあまり鏡を使うことはおすすめしない謎が多いからだ
心の健康
「私はコミュ障だ」
コミュ障とは、はじめインターネット掲示板やSNSなどで使われていた言葉です。
人と話そうとすると緊張して上手くいかなかったり、相手の意見を聞くことができず一方的に話してしまったりする人がいます。
こうしたタイプの人たちをまとめて、俗に「コミュ障」と言います。
人と喋ることが苦手だそのことからも精神病を患っている。
心の傷はいつまでたっても心の底に残り段々と消えていくことの無いものだ、だからみんなは相手のことも考えて喋らないといけない親しみにくい人とも無理に喋らなくていイイだから、自分らしく生きていこう。
「神様だけが知っている」
ある日の夏だ、僕は何も知らずに家に帰っている。
家族がいるはずの家に、だが誰もいない。
「ただいま、あれいつもなら迎えに来てくれるのに。」
いつもならこんなふうに「パパ!おかえり!今日ね学校でこんなことあったんだよ!」
「そうかそうか家入ってから聞くからなー」
「うん!」
…こんな楽しい日々が続くと思っていた、
「あぁ、あの二人がいなくなってもう1ヶ月も経つのか、早いなぁ…」
そう俺は妻と娘3人の家族で住んでいた、だけどある日2人はひき逃げにあって2人とも致命傷で亡くなった。
しかも俺の誕生日ケーキを買った帰りだったらしい、ふたりが倒れてたところには潰れたケーキにお父さんおめでとうと書かれていた、
「これが、最後のお祝いだとは思ってもいなかった。」
この家には沈黙が続いている。
今にでも娘が飛び出してくるような感じだ、妻も笑顔で、迎えてくれるのかな……
これ神様からの罰なのだろう。俺は昔ヤンチャをしていた時の罰なのだろう、なぜそんなことで妻と娘を無くさないといけないのだろうか、そうゆう理由などは神様だけが知ってる。
この世は本当に理不尽だ。
今日は天気が曖昧だ。
「今日の天気はあ、、、です。」
「あーもうそろテレビ買い換えないとな、言葉が途切れて来た」
また、天気が曖昧だ。
今日は6月15日天気は、分からない。
「あんた、またテレビ壊したのかい」
「私じゃないってば、何回言わせるの。」
「あんたしかテレビいじってないんだからあんたしか思いつかないのよ。」
「お父さんだっていじってるじゃん、なんでうちだけなの」
本当に親は不愉快な事を連呼してくる、正直うざいし腹立つ。
「もう、あんたじゃない、だれ、のさ」
ん?音が途切れる。
「ごめん、もう1回言って?」
「は?これ何回目よ。あんた1回耳鼻科行ったら?」
「ふざけないでよ、お母さんの声が小さいから途切れて聞こえないんだよ」
本当に音がほとんど聞こえない。耳が聞こえなくなったのかな。
「もういいわ、勝手にしなさい」
バタンッ
「勝手にしますよーチッ」
うざい親はなんであんなにウザイのだろうか、いっそ耳が聞こえなくなればあんな説教受けなくて済む。
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「あんたー!ご飯できたよー降りてきなさい。」
「今行くー」
お腹がすいた。今の音ははっきりとではないけど聞き取れた。
「いただきます。」
「ご馳走様」
「あんたもう食べないのかい?あんたの好きなハンバーグなのに。」
「ごめん食欲が無い、」
「そ、か」
「ん?今なんか言った?」
「そう、、かって言っ、よ?」
「え、もう1回言って」
「あんた本当に耳が聞こえずらくなってきたんじゃないの?」
嘘だ、そんなのやだ。
「明日行ってみる。」
「じゃあ今日はもう寝な、、い」
「う、うんおやすみ」
「おや、、み」
本当に聞こえずらいなんなのだろうか。
翌日
「耳鼻科行ってくるね」
「行ってらっしゃい。」
バタンッ
「あの子大丈夫かしら、」
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「○○さん、こちらの部屋へどうぞ」
「ありがとうございます。失礼します。」
「今日はどうされましたか?」
「最近耳が聞こえずらくてテレビも聞こえずらいし、親が何言ってんのか分からないんですよね。」
医者はこう言った、「多分突発、難、、で、、ね」
「え、もう1回お願いします」
「た、、、、、、ね」
「え、聞こえない、」
「、、、?」
口パクしか分からない何を喋っていてなにを伝えてるのかが分からない。
私はとっさに涙が出てきた、
(そんなや、だ聞こえなくなるなんてやだ、)
「、、、、、、!、、、、、、、!」
(あ、意識が、)
バタッ
「○○さん!○○さん!」
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(あれ、ここはどこだろ、)
倒れてから私が目を覚ましたのは1ヶ月後だった。
「、、、、、!、、、、、、!」
(なに、言ってるの、聞こえない、)
ボロボロ
「、、、、、、!、、、、、、、」
(私こんなんで、生きていけるのかな、)
「、、、、、ニコ」
(なんで、笑ってるんだろ、紙とペン?あ、書いてある)
そこには手話を覚えましょうと書かれていた。
(あぁ、耳が聞こえないから喋れないんだ、悔しいなぁ)
原因は先生にすら分からないということだった。
10年前の自分へ
10年前の自分は、何も取り柄がなかった。
ダカラ「ごめんね」あの頃の自分。
10年後になってわかった、あの頃の自分がどれだけ、愚かで臆病だったか。
あの頃の自分は、虐待も受けていて学校でも虐められていた。
だけどあの頃の私は何をされているのかが分からなかった、先生にも「なんかあったら相談してよ?」と言われたこともあったが私は何をされても黙って不気味がられていた。
「ごめんね、あの頃の自分。気づかなくてごめんね」
今でも、後悔しているどれだけ私が無口だったか。
検査をしたら、コミュ障って診断された。それの影響で、喋らなかったらしい。なぜあの頃1ミリも喋らなかったのだろうか、悔しい。
あれから、10年がたった。私は20歳になっていた。
もう社会人で、会社を経営している。
「はぁ、あれから10年か、早かったな。」
もう私は時間が経つのを早いと感じていた。あの頃に虐めてきた友達も、親も謝りに会社まできたが、私は許すつもりがなかったため、警察に通報して今は平和に生きている。
「死にたいな、」
私はまだあの頃の、後悔が消えていなかった。
だから死にたいとずっと仕事中考えていた。
家では泣き崩れていた。
「うぅ、ごめん、ごめんね、」とずっと謝りながら泣いていた。
どうしたらこの後悔が無くなるのだろうか。
あぁ、もう死んじゃえばいいんだ。
トコトコ……
「はぁ、着いた」
私がいたのは橋だった。
ここから落ちたら即死だろうな。
「怖いなぁwどうしたらいいかなぁ。」
後悔を抱きながら橋の上に乗った。
「ごめんね、ごめんねあの頃気づかなくてごめんね」
と言いながら私は落ちていった。
私が遺体として見つかったのは落ちた後すぐの事だった。
「ごめんねあの頃の自分、今の自分」
お題「あの頃の私へ」