千春

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6/26/2023, 3:38:12 PM

 去年のクリスマスから、きみと顔を見合わせていない。
 電話をしたりゲームをしたりと、決して連絡が途絶えているわけではないのだけれど、ぼくたちは離れたところに住んでいるのもあって、なかなか機会が無い。
 一思いにご飯にでも誘ってみようかと思ったけれど、そんな勇気がぼくにあるわけもなく、ただただ時間が過ぎゆく。
 恋仲であるわけでもないのに、ぼくときみは毎年クリスマスの日だけは必ず会っている。ぼくはケーキとプレゼントを持って、きみはあたたかいご飯を用意して。傍から見れば本当に恋人同士なのだけれど、きみはそういう風に冷やかされるとすごく嫌がる。
 結局ぼくたちはただの友達で、クリスマスに一緒に遊んでいるだけなのだ。
 そんな関係はぼくにとっては少し嫌でもあるけど、きみが楽しいなら、それでいい。


君と最後に会った日

6/25/2023, 5:17:14 PM

 よく、花を買う。
 祝い事がある訳でも、弔うべきものができた訳でもない。
 ただ、帰り道にふらっと花屋に寄っては、好きな花をひとつ選んで持ち帰る。
 どうしようもなく疲弊して、帰った途端に倒れそうになるのを、その花は支えてくれる。
 瓶に水をいれて、毎日増える花たちの隣に並べると、「今日」の終わりを感じる。
 私も、この花のように、繊細で儚く、それでも美しくて華やかな人生を送れているだろうか。


繊細な花

6/23/2023, 7:05:34 PM

 蝶が苦手だった。
 私は、不規則に飛び回る蝶が苦手だった。
 なんだか、彼らをみていると、私の人生そのものをばかにされているように思えてくるから苦手だった。
「ほら、見て。わたしたちは、こうやって自由に、どこへでも空を飛び回ることができるけれど、あなたはかわいそうね」
 人は彼らを「優雅」と表現するけれど、ひねくれた私は、そんなことしか考えられない。


子供の頃は

6/22/2023, 5:21:09 PM

 いつもと何も変わらない、深夜1時を回った頃。きみは仕事から帰ってきて、寝る支度をする。
 きみは、ぼくはもう寝ていると思っているから、「ただいま」のひと言も言ってくれない。けれど、それはきみなりの優しさなんだろう。
 シャワーの音、ドアが開く音、ドライヤーの音、足音。
 ちょっとずつ近づくきみの生活音を聴いていると、いつもぼくは気づけば深い深い眠りについてしまう。
 きみは朝も早いから、結局ぼくらが目を合わせられるのは偶然会ったものの数秒とか、そこらだ。
 それでも、きみがいつも寝る支度を終えて布団に入ったら、寝ているぼくに「おやすみ」を言ってくれていることを、ぼくは知っている。その言葉でぼくはいつも目が覚めるけれど、返事をしたらきみは照れて言わなくなってしまうだろうから、きみだけの秘密にしているよ。


日常

6/18/2023, 2:08:56 PM

 冷たい風がばちばちと耳に当たって、ありとあらゆる音が掻き消される。ラミネート加工を施された手書きの「きけん」が剥がれて飛ばされ泥まみれになっている。
「なんで、そんなところにいるんですか」
 きみの声がした。もう聞けないはずの声がした。
「きみに会いたいからだよ」
 涙があふれてくるのに、風がすべてを飛ばしては無かったことにする。変なところに力が入って不細工な、ぼくの顔だけが残る。
「欲張りだなあ」
 これ以上何を求めているのかと聞かれている気がしたから、壁打ちとわかっている独り言を続けた。「ぼくは、また君と、話したい。手を繋ぎたい。ハグをしたい。……キスも、まぐわいも、ぜんぶしたい。また、もう一度」
 こんなに欲張りになってしまったのは、きみが勝手にいなくなったのが悪いんだ。
 ぼくがいるのに、ぼくがいるのに、きみはお構いなしにぼくを置いていったじゃないか。
 愛してるって言ってくれたじゃないか。それなのに。
「お前は、もうちょっと、楽に死んでいいと思うけど」
「ぼくが楽に死にたかったら、寿命を全うして死ぬさ。きみと同じところで死ねば、すこしは近づけそうなんだ」
 コンクリートから、足音がよく響く鉄へ素材が変わる。雨が降っていたから、いまにも滑ってしまいそうだ。
「また同じ時間に生きようよ」
 背中から、重力に身を任せて、真っ逆さまに。
 ああ、きみも、この景色を見たんだね。


落下

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