嫌いじゃあない。
道ばたでしらない人が芸を披露していたり、本を読んでいたり、紙コップにお金を貯めていたりする。
それはとても悲しいような気もするけれど、この街は彼らがいることで成り立っていたり、成り立っていなかったりする。定かでは無いけれど。
まあ、道なりみちなりに進んで楽しむことは、それなりに得られるものはある。
街
一口飲みますか。と聞かれて、たじろいだ。
その一言は、ぼくがあまりにもきみを真っ直ぐにずっと見つめ続けていたから、気を使ってくれた果ての言葉なんだろう。
一度もないチャンスだなんて下品なことが頭をよぎったが、丁寧に断らさせていただいた。
きみの喉仏で受け止められたその透明な水は、どこへいくのだろう。身体機能的な意味合いでなくて、こう、比喩的な。
ぼくも無色透明でいたら、きみは受け止めてくれるか?
あせっかきなぼくは、きみがいつも飲む天然水を好きになったよ。だから、からっぽのペットボトルは、ぼくに捨てさせて。
透明な水
家に引きこもることが増えた。
表の生活が充実していないという訳ではなく、ただ日々の疲れが積もって溜まって、休日に反動が来ている。
いつまでもこうしてはいられないと分かっていても、ぼうっと椅子に腰掛けているだけで気付けば日が落ちていることがよくある。
なんでもいいから何かくらいしないといつか人間でなくなるような気持ちにもなるが、「なにもしない」もまたひとつの行動の選択肢なのではないかと思う。
ただ、いまはまだ頭を働かせたくないので、また明日、解決策を見出すことにする。
おうち時間でやりたいこと
入学式の日、隣の席だった男の子。
「イケメンくんだなあ」と思いつつ、前の席の女の子とぎこちないお話をしていたら、君はその女の子と知り合いだったらしくて、いつの間にか会話に混ざっていた。そんな馴れ初め。
思い返してみれば、わたしはその時からずっと君が気になっていたのかもしれない。
四月になって、六日になって、新しいクラスメイトの名前を眺めていたとき、君の名前がなかったことに涙が出るくらい落胆した。そのあと、落胆した自分に驚いて、次にやりきれない気持ちが溢れてきた。
新入生向けの部活の案内会に、君は個人部だったから、美術部のわたしのすぐ近くに座っていた。終業式ぶりに見た君は、前よりもかっこよく思えて、君が視線に気づいたのかこっちに目線を向けたときは、慌てて目を逸らしてしまった。
恋を自覚したのは、小学三年生以来だ。精神年齢が大人になってくるにつれて、恋をするのが恥ずかしくなって、お友達とする恋のお話も他人事みたいにして避けてきた。
小学三年生の記憶なんて曖昧にも思い出せないし、きっと、あの頃していた恋と今している恋は全くの別物である。
つまり。わたしからすれば、初恋なのだ。
初恋の日
明日世界がなくなるのなら、もう二度とこの壮大で苦しいストーリーが繰り返されませんように。
ああ、でも、まだあなたと話したい。苦しい。
明日世界がなくなるとしたら、何を願おう。