# 泣かないよ
「これ、もう見えないの?」
「うん。全く」
閉じられた瞼を恐る恐る撫でた。白い睫毛が微かに震えている。医者によれば、彼女の瞳はもう二度と像を結ぶことはないらしい。ただ、顕著な明暗の違いはかろうじてわかるようだった。なら、今僕が瞼を覆っていることも伝わっているのだろうか。
「……痛い?」
「ううん。今はもう」
「ごめん」
「なんで謝るの」
わかりきったことを訊くなよ。心臓を強く掴まれるような心地がした。
「僕のせいだ」
僕のせいで、閃光弾を投げられた。人より色素の薄い君には、強すぎる光は網膜を焼くのに。
「誰のせいでもないよ。強いて言うなら、光のせい」
彼女はいつだって高潔だった。強く、逞しく、朗らかで、清らかで。責任を他者に押し付けるなんて絶対にしない人だった。物事が連なっているのを誰よりも理解していて、そこに明確な発端などないことをわかっていた。本当に、聡明な人なのだ。
「……」
「なんで君が泣くの」
頬に指が触れた。そうでもしないと、彼女には僕が泣いている事実さえわからないのだと気付いた。気付いて仕舞えば、もう駄目だった。
「……なんで泣かないの」
「だって、私が泣いたら君はもっと泣くじゃん」
だから泣かないの。彼女はそう言って笑った。
# 怖がり
くだらない自分語りです。完全に自己満足。
私は、昔から頭がいいと言われ続けていた。
こう言うと決まって自慢だと思われるが、別に自慢したいわけじゃない。ただの事実だ。人の少ない中学校だったから、どうせ一位は貴方でしょ、と言われた。大して勉強などしていないし努力と呼べるようなこともしていないのに、みんなは必要以上に誉めた。
高校に入って折れないでね。私が進学する高校を卒業した姉には繰り返しそう言われた。高校とは自分と同じようなレベルの人がたくさん集まる場所で、中学のように簡単に高得点が取れるテストにはなっていない。格段に授業のスピードも難易度も上がって、今まで頭がいいと言われていた人だと心が折れてしまうこともあるのだと。私はそれを聞いて、驕るのはやめようと思った。私は所詮井の中の蛙でしかなくて、大海に出れば荒波に揉まれ、すぐに溺れてしまう程度なんだと繰り返し言い聞かせた。
結果としては、そこは想像していたより優しい世界だった。他の人に比べてそこまで勉強していないのにある程度の点は取れた。成績もまあまあだった。上の下辺りを彷徨っていた。
ある時、バス通の私は登校直後に吐いた。貧血のような症状が出て、吐き気と下痢が急激に襲ってくるのだ。それまでも何度かあったことで、受験前などはひどかった。慢性的な胸焼けのような吐き気が続いて、何をする気も起きない。病院に行ってもなんともない。緊張や不安が高まった時に起こるから、ストレス性のものだろう。この日はテストの朝だった。
失敗するのが怖い。失敗して失望されるのが怖い。
いっそ、高校一発目で大失敗した方がよかった気すらした。中途半端にいい点を取ってしまったものだから、今後もそれを継続して取らなきゃいけないという強迫観念に縛られた。
流石は自称進学校、最近はずっと進路についてしつこいほどアピールしている。受験勉強にフライングはないとかなんとか、耳にタコだ。進路のことを考えると、胃の中に鉛を十キロ分ほど投げ込まれたような気分になる。学びたい学問も見つかっていなければ、もちろん大学だって決まっていない。
私はプライドが高いから、良い大学に入れと自分で自分を苦しめている気がする。それを「他人が自分を必要以上に褒めるから〜」とかここでつらつらと述べて、責任転嫁とプライドの保護、両方を叶えようとしている。
青臭い悩み。傲慢にも程がある。こんなこと書いてる暇あったらさっさと勉強しろ。
自分が一番わかってる。だから自己嫌悪になる。悩んでる自分が滑稽すぎてまた嫌になる。
何をどうしたら良いかわからない。
嫌われるのは怖い。失望されるのは怖い。プライドがめっちゃくちゃに壊されるのは怖い。
でも、悩みを笑い飛ばされるのはもっと怖い。だから、誰にも言えないままだ。
# 星が溢れる
「“世界でひとつだけの星を見つけるのです”……ねえ?」
「星を持つってのは、そんなに良いことなのかな」
「さあな。俺はそんなもの持ってなくても十分幸せだけど?」
「でも、みんな言うじゃん? 星は素晴らしいものです、自分に合った星を見つけなさい……うんたらかんたら」
「ここで問題で〜す。この世界には人間が何人いますか?」
「確か70……80億行ったんだっけ」
「ということは? 世界には80億近くもの星があるってことになる。人によっては星なんて抱えるほど持ってる奴もいるだろうし、実質もっとあるだろう。そう考えると、ちょっと幻滅しねぇ?」
「何が?」
「こんな狭い地上に膨大な数の星が落ちてるんだぜ。まさかお前、“ひとつとして同じ星はない”とかいう妄言本気で信じてんの? 80億もあるんだから、同じ種類の星なんてその辺に転がってるよ。俺らが人生かけて必死こいて探し回ってようやく見つけた星がさ、実際はみんなと同じ平凡な石ころだったなんて、興醒め通り越して腹立たしいわ」
「……」
「星なんていらない。なるがまま生きればいいんだよ。そんなのなくたって、俺らは幸せになれるはずなんだ」
「……でも、星は綺麗だよ」
「あ?」
「同じ光を放っていようと、どれだけ密集していようと、綺麗なものは綺麗だ。80億もある、でもそれは、一人にひとつしかない貴重なものなんだよ。少なくとも、本人がそう信じていれば、それは世界でひとつだけの星だ」
「……」
「確かにこの世界じゃ、星は溢れていく一方だ。でも、その景色さえ、美しいと思わないか? みんなが世界にひとつだけの星だと信じるものが、ひとつの場所に集まったら、それはそれは綺麗な光になる」
「お前は夢見がちだよな」
「そうかな」
「そうだよ。星は綺麗なだけじゃない。近くで見れば、あんなものただのゴツゴツした石だ。衝突することだってある。平和なまま美しく光っていることなんか、できっこない」
「……それでも、僕はあの光が好きなんだ」
________________________
星=綺麗、憧れ、届かないもの、大きい
=夢
# 安らかな瞳
なんで。どうして。
なんで、そんな顔をするんだ。
死に際の笑顔なんて、みんなファンタジーの中の話だろ。現実に起こるわけないって、お前も笑ってたじゃないか。なのにどうして。
どうして、そんなに安らかに。
「……ぉ、まえ…が、な……なよ」
ふざけんな。そう叫びたかった。こちらの感情なんて意にも介さず、お前は苦笑する。笑ってんな、そう言って頬のひとつも叩いてやりたい。
「さぃごに……こ、なによゆうが、ある……とはな」
「……何言ってんだよ」
「は、は…おこ、なよ」
「……怒ってねぇよ」
「なぁ」
「あ……?」
「なくなよ」
頭がカッと熱くなる。泣かせてるのはどいつだ。
ああ、こいつはいつもこうなんだ。こいつのせいで仕方なくやったことなのに、いつも決まって俺を責める。できもしないようなことをお願いしてくる。俺が断れないのをいいことに!
そうだ。俺はいっつもこいつの無茶振りに応えてきた。毎回死ぬほど後悔した。次は絶対きいてやらねぇ。毎度毎度そう思って、結局また願いを叶えてやることになるのだ。
そして俺はきっと、この期に及んでなお、また同じことを繰り返すのだろう。
「泣いてねぇよ」
お前はへら、と情けなく笑った。
よかった。
もはや声も出ない口でそう呟いて、瞼を下ろした。
いかないで。
俺の願いを、お前はいつだって無視した。
# ずっと隣で
小学生の頃、シートン動物記を読むのが好きだった。ウサギやヤマネコ、キツネ、クマなど色々な動物が人間のように感情や考えを持って逞しく生きる姿が好きだった。特に、「オオカミ王ロボ」の話が一番のお気に入りだった。
オスオオカミのロボは、広い縄張りを持ち、一際大きく力強い体と賢い頭を持った群れのリーダーだ。少数精鋭の仲間たちと一緒に狩りをし、時に悪戯目当てで人里まで下りて家畜を荒らすこともあった。しかしロボは大変頭が良かったので、猟師たちの仕掛けた罠にも引っかからず、ロボは悪名高く辺りを騒がせた。
そんなロボは、ブランカというメスオオカミと番になっていた。猟師はそれに目をつけ、ある時ブランカを仕留め、その遺体を囮にロボを罠にかけた。ロボは捕まり、妻を失った悲しみから衰弱して亡くなってしまった。
猟師は最後、ロボの遺体を、先に亡くなったブランカの遺体の隣に置く。そして二匹の亡骸を見つめながらこう言う。
「ほら、お前はどうしてもこいつのそばに来たかったんだろう。これでまた一緒になれたぞ」
この猟師の台詞が、ずっと心に残っている。