傾月(神楽屋)

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9/12/2023, 9:17:31 AM

カレンダーをめくると、赤丸がついていた。
"ついていた"と言ったが、つけたのは他でもない私だ。
1年前、私が"私"を失った日の印。

私の1番古い記憶は5歳の時。母が病床から私に話しかけてくれている記憶だ。
「あなたはね、本当は双子だったの」
元来あまり体が丈夫ではなかった母は、妊娠出産は難しいかもしれないと医者から言われていたが、それでもどうしてもと願い、周囲を説得して妊娠に踏み切った。
「エコーで見たのよ。小さい丸いのが2つあったの」
これはその当時のことを、母が私に話してくれた時の記憶だ。
「でもね、その後少しして、1つは消えてしまったの」
病床の母は白くて細くて、今にも消えてしまいそうなほど儚かった。
「悲しくて悲しくて、たくさん泣いたの。でもね、あなたのお父さんが「きっとその子は、キミに負担をかけまいと思って身を引いてくれたんだろう。そしてきっとこの子は、キミに淋しい思いをさせまいと思って生まれてきてくれるんだろう。優しい子たちだね。」って、一緒に泣いてくれたのよ。」
母は目に涙を浮かべながら、笑顔で話していた。
「だから私は、2人のために一生懸命生きようって誓ったの」
私を産んだ後の母の、それまでの病弱さが嘘だったかのようなハツラツとした様子に、周囲の人たちも驚いたらしい。家事も育児もそれはそれは楽しそうにしていたんだよ、と父が後に教えてくれた。
「あなたが日々どんどん成長していくのが嬉しくってね」
しかしそんな日々は長くは続かなかった。その冬に肺炎になってしまったことで、状況が一変した。
母は見る見る内に生気を失い、この頃には床から起き上がることさえ困難になっていた。
「あなたは1人だけど1人じゃないの。忘れないでね。生まれてきてくれて、ありがとう」
それが私が聞いた、母の最後の言葉だった。

しかし私は気付いていた、自分が1人じゃないということに。
頭の中で声が聞こえるのだ。楽しい時には"たのしいね"、悲しい時には"なかないで"。公園から道路に飛び出しかけて"あぶない"と止められたこともある。
自分じゃないもう一人の自分。それが母の最後の話でようやく納得できた。

あれから10年。母はあの後すぐ亡くなった。母を一心に愛した父は再婚もせず、私を男手一つで育ててくれている。
もう一人の自分も変わらずだ。基本的に"おはよう" "いいね" "だめ"などの一言しか発さないが、そのたった一言でも、私にとっては生きる支えになっていた。そうやってこれまで生きてきた。これからもそうやって生きていくつもりだった。なのにここ最近、その声が少なくなってきている。
声が減少し始めたのと同時期に、腹痛が増えたことに気付いた。最初は我慢できていたが、最近は動けなくなるほど痛い。
腹痛のせいで食欲が減り、痩せていく私に気付いた父に連れられ病院へ行くと、医師から、腹部にかなりの大きさの腫瘍があり摘出しなければならない、と告げられた。
私は悟った。"それ"がもう一人の自分だということを。声が少なくなっているということは、終の別れが近いということを。
そして覚悟を決めた。

術後、目が覚めた時の喪失感は、思った以上に私にダメージを与えた。15年一緒にいたもう一人の自分を突然失ってしまったのだ。決めたはずの覚悟は脆くも崩れ去り、私は涙に暮れた。
ボロボロ泣きながら、父に、10年前に母に言われたこと、これまでもう一人の自分と生きてきたことを話した。
「そうだったのか」
父も泣いていた。私の手をそっと握ると
「それで、どうしたい?」
と訊いてきた。思いがけないことを訊かれ戸惑っていると
「これから先、何もなかったように暮らしていくことは可能だろう。でもアナタは、今まで一緒に生きてきて、お別れするのだから、それなりのけじめというか区切りみたいなのが必要じゃないかい?」
確かにそうかもしれない。小さく頷くと
「また一緒に考えよう」
父はやはり優しかった。

退院後、父と一緒に母のお墓参りに行った。
墓石の側面、母の名前の隣に、父と一緒に考えたもう一人の自分の名前を彫ってもらった。
手術の日を没日として、そこを区切りとした。
これから1人で生きていくことが怖いと言うと
「たくさんの出会いがあるよ」
と父は優しく微笑んだ。


―――Vanishing


             #66【喪失感】【カレンダー】

9/10/2023, 9:01:58 AM

我が家の新入りのこの黒い毛玉、たまにあまりにも長い時間同じ姿で眠っているから、生きているのか心配になって必要以上に触ってしまう。
触ると、ンニャ!と短く鳴きながらシッポでピシャリと床をひと叩きして、"かまってくれるな"と意思表示してくる。毎回申し訳ないなと思うけど、確認せずにはいられない。
これじゃまるでアレだ。赤ちゃんが息しているか確認してしまう親と一緒だ。先日会った友人夫婦が言ってたことが大袈裟ではないと、まさかネコで思い知らされるとは夢にも思わなかった。

コイツが我が家に転がり込んで来て半月が経った。最初はネコを飼うつもりはなく里親を探そうかと思ったが、まるでずっとここにいたかのような落ち着きっぷりに、無駄な抵抗はやめた。大家に確認したらありがたいことに「ネコくらいなら良いわよぉ」とユルい許可をもらったので、この黒い毛玉は我が家の一員、オレの相棒となった。
名前をつけなきゃな、と思いアレコレ考えた結果、風の強い日に転がり込んで来たことにちなんで、ハヤテとした。
「おーい、ハヤテ。お前の名前だぞ、ハヤテ。良い名前だろ?」と眠っているネコに声をかけると、またシッポでピシャリとされるかと思いきや、頭を上げこちらを見てきた。そして、黄色い目でこちらを見据えてニャンとひと鳴きした。
あ、理解したんだな、と悟った。


―――よるのゆめこそ [名付け]


          #65【胸の鼓動】【世界に一つだけ】

9/8/2023, 11:06:37 AM

オレは時告鳥。       オレは春告鳥。
群れで一番強いヤツが朝一  どこまでも響く美しい声で
番に鳴くことを許されてい  春の到来を皆に知らせる使
る。            命。
今日も陽が昇ると同時に高  冬の終わりと同時に高らか
らかに声を上げる。     に歌い上げる。  
屋根の上でくるくる踊って  梅の周りで踊っているアイツ
いるアイツとは違うぜ。   らとは違うぜ。

コケコッコー!       ホーホケキョ!


―――さえずり


           #64【時を告げる】【踊るように】

9/6/2023, 10:31:53 AM

「日本死神洞窟、水生生物課へようこそ!」
テーマパーク並みの明るい出迎えを受け、思わず苦笑してしまった。「こちらへどうぞ!」と、にこやかに案内され、砂浜の先にあるエレベーターのようなカゴに乗り込む。スルスルと音もなく下へ降りて行く。
この課の死神がつけている面は鬼だ。カゴの中から辺りを見回すと、複数の死神がいて、それぞれが赤鬼、青鬼、緑鬼などの様々な色の鬼の面をしている。
さっきまで居た動物園水族館課では死神が1人だったのに対し、この課には大勢の死神がいることに驚いた。だが、更なる驚きはこの洞窟が途方もない広さであるということだ。端が全く見えない。
動物園水族館課の洞窟は広かったが端は見えた。だがこの課の洞窟は、左右どちらに顔を向けても端が見えない。呆気に取られていると「ああ、ここかなり広いですよね。死神の数も多いですし」と、こちらの様子に気付いた死神が言う。「その名の通り海、川、湖などのありとあらゆる水の生き物の蝋燭がここにあります。なので、規模がかなり大きいんですよ」なるほど、と返事をしながら様々な生き物の形をした蝋燭を、スルスルと下り続けるカゴの中から見送る。
ウミガメ、サメ、マンボウ、クジラ。多種多様な海の生き物の蝋燭が見えた。そうか、ここは海か。川や湖はまた別なのかな?そう独りごちると「そうですね。繋がってはいますが、淡水の生き物はここにはいません」と死神が答えてくれた。
不意にカゴが停まった。「ここは海部、深海エリア。この下もまだまだずっと続いていますが、まだ行かれますか?」どんな生き物がいるのか見てみたい気もしたが、ずっと続く膨大な数の小さいキラキラした物で、目眩がし始めたことを伝えると「ああ、プランクトンの蝋燭ですよ。これで具合が悪くなる人、珍しくないです」と笑いながら言われた。「では上に戻りましょう」
上るカゴの中から、下を覗き込む。深い。蝋燭の光が果てしなく続いているため暗くはないが、とにかく深く、やはり底は見えない。「そちらには "深淵を覗くものは…" なんて言葉があるそうですね」と、背後から死神に言われ、背筋が寒くなるのを覚え覗くのをやめた。振り返ると死神がこちらをじっと見ていた。鬼の面の向こうの表情はどうだったのだろう。
上に戻ると「お疲れ様でした!またのお越しをお待ちしてます!」と、またテーマパークさながらに見送られ、短く礼を言うと砂浜を歩き始めた。
ふと足元をみると、ちいさな貝殻が現れ、またすぐに消えていった。


―――死神洞窟ツアー [水生生物課篇]


               #63【きらめき】【貝殻】

9/3/2023, 10:21:58 PM

塵も積もれば山となる
雨垂れ石をも穿つ
千里の道も一歩から
一文銭も小判の端
涓涓塞がざれば終に江河となる
積羽舟を沈む


―――小さなことからコツコツと


                #62【些細なことでも】

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