「3月7日が『月夜』、5月17日付近が『真夜中』で、8月16日あたりが『夜の海』だった」
星系のお題も含めれば、類似のお題は何度目か。
某所在住物書きは今回配信分に目を通し、今まで通過してきた夜に思いを馳せた。
島崎藤村の『夜明け前』は、「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで始まるらしい。
気象庁がまとめた「天気予報等で用いる用語」によれば「明け方前」や「明け方」と言い換えられ、
前者は 日の出の前2時間くらい。後者は午前3時頃から午前6時頃までを示すようだ。
ところで一部の農作物の収穫は夜明け前だという。
「今年6度目のトウモロコシネタでも書くか?」
ひと、それを重複過多という。
――――――
眠れなくて眠れなくて気がついたら夜明け前、
夜明け前なんて酷い時間帯にダイレクトメッセージ、
沖縄と東京では夜明けの時刻が分単位で違う。
どれも物語に落とし込めず放り出した物書きの、
以下は、いわば毎度恒例の苦し紛れです。
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。まだ都内はすべて残暑の中であるのです。
そんな都内の某所にある某稲荷神社は、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、ウカノミタマのオオカミに仕える、不思議な不思議な古神社。
敷地内の森に、いつか昔の東京を残し、花や山菜やキノコを抱き、木陰と小川と稲荷の不思議なチカラで酷暑の夏にも涼しい、ご利益豊かな神社です。
そんな稲荷神社在住の、末っ子子狐。
くっくぅーくぅー、くっくぅーくぅーと、鼻歌軽やかに夜明け前の縄張り巡回。もといお散歩中。
コンコン子狐はお花とお星様が大好き。
最近はアケボノソウのツボミにご執心です。
「まだ咲かない。まだ咲かない」
「夜明け」、「今日も元気で」等々の花言葉を持つ、白い星型の花が綺麗なアケボノソウ。罰ゲームのお茶で名高い、あのセンブリのお仲間さんです。
花の先っぽの黒い点々が、至近距離で見る人を少しだけ選びますが、子狐はちっとも気になりません。
「来週かなぁ。明日かなぁ」
白い星咲く予定のツボミは、花の準備が済んでいない様子。まだぎりぎり、夜明け数分前のようです。
「あっためたら、早く咲くかな」
そのぎりぎり数分前が、どうにもこうにも、コンコン子狐はもどかしい様子。
しまいには温かいフサフサ尻尾で、株のひとつをぐるり囲んで、お昼寝ならぬ夜明け寝を、
「あの和菓子屋に、まさかこの時間限定のテイクアウトがあるとは思わなかった」
「でしょー?俺もつい最近知ったの」
しようと思ったら、こんな時間の稲荷神社に参拝者がやって来て、名前を藤森と付烏月、というのですが、
ぐるりアケボノソウを尻尾で囲む子狐に気付かず、通り過ぎて、お賽銭箱に小銭をジャリン。
「それで、私に聞きたいことというのは」
「それがね。ご近所付き合いのハナシでね……」
ぱん、ぱん。 清い、力強いかしわ手の二拍 ✕ 2人分が、薄闇の森にこだましました。
藤森の方の「ジャリン」は500円玉だ。
稲荷神社の子狐は、自慢のかわいいふたつの耳で、
即座に、正確に、ガッツリ判別しました。
きっと、いや確実に、元恋人との縁切りをしてやったことに対する、お礼参りでしょう。
なんてったってメタいハナシをするに、藤森は前回投稿分のような経緯があったのに、最近まで悪しき元恋人に執着されておったのです。
コンコン、こやん。子狐のまんまるおめめが、明けの明星か、満月のように輝きました。
「お隣のマダム、手作り料理くれるの」
「うん」
「普段ならマダム、俺が『上手にできたんです』って手作りお菓子差し出すと、受け取ってくれるの」
「うん」
「でも俺が『いつものお礼に』ってお菓子差し出すと、『それは要らない。やめて』っていうの」
「ふ……む」
「『それ「は」』、要らないって、なんぞ」
「思い当たるところは、ある。
渡したくて渡すのであって、自動返信的なお礼は、違うのだと思う。故郷の近所の数名がそうだった」
「ナンデ?」
「私も礼は渡したい派閥だから分からない」
なんだか難しいハナシをしてる。
コンコン子狐、子供なのでちんぷんかんぷん。
そんなことより参拝者です。腹を撫で、おやつをくれる参拝者です。逃がしてはなりません。
「エキノコックス・狂犬病対策済み」の木札を首からぶら下げて、コンコン子狐は一直線、夜明け前の参拝者に、全速力で突撃してゆきました……
「そうそう。恋愛系も、お題の常連なんよ」
「初恋の日」、「恋物語」、「失恋」、「本気の恋」。「恋」だけでも3月から数えて4回目。
お前とも長い付き合いになった。
某所在住物書きはお題の、特に「恋」の字を見た。
「愛」も含めれば「愛を叫ぶ。」に「愛と平和」、それから「愛があれば何でもできる?」の7回目。
今後、更に増えるものと予想される。
「……そういや『本気の恋』、『愛があれば』とは言うけど、『本気の愛』とか『恋があれば』とかは、あんまり言わない気がするわな。なんでだろ」
そもそも「本気の恋」の反対とされる「遊びの恋」は、本当に「恋」であろうか。
物書きは首を傾け、黙り、視線を下げた。
――――――
昔々のおはなしです。まだ年号が平成だった頃、9年10年くらい前のおはなしです。
都内某所に、4年ほど前上京してきた珍しい名字の雪国出身者が、ぼっちで暮らしておりまして、つまり附子山というのですが、
田舎と都会の違いに揉まれ、打たれ、擦り切れて、ゆえに厭世家と人間嫌いを発症しておりました。
異文化適応曲線なるカーブに、ショック期というものがあります。
上京や海外留学なんかした初期はハネムーン期。全部が全部、美しく、良いものに見えます。
その次がショック期。段々悪い部分や自分と違う部分が見えてきて、混乱したり、落ち込んだりします。
附子山はこの頃、丁度ショック期真っ只中。
うまく都会の波に乗れず、悪意に深く傷つき、善意を過度に恐れ、相違に酷く疲れ果ててしまったのです。
大抵、大半の上京者が、大なり小なり経験します。
しゃーない、しゃーない。
「附子山さん!
ケーキが美味しいカフェ見つけたの。行こうよ」
さて。そんなトリカブトの花言葉発症中の附子山に対して、まさしくハネムーン期真っ最中と言える者が、附子山と同じ職場におりました。
加元といいます。元カレ・元カノの、かもと。未来が予測しやすいネーミングですね。
「何故いつも私なんかに声をかける?」
絶賛トリカブト中の附子山は、「人間は皆、敵か、まだ敵じゃないか」の境地。
加元も敵と見なして、無条件に突っぱねます。
「あなた独りか、他のもっと仲の良い方と一緒に行けばいい。何度誘われようと私は行かない」
加元は附子山の、威嚇するヤマアラシのような、傷を負った野犬のような、誰も寄せ付けぬ孤高と危うさと痛ましさが大好きでした。
なにより附子山のスタイルと顔が、加元の心に火を付けたのでした。
このひとが、欲しい。
このひとを身につけたい。
恋に恋する加元にとって、この所有欲・独占欲の大業火こそが、すなわち本気の恋でした。
「だって、附子山さん、いっつも何か寂しそうな、疲れてそうな顔してるんだもん」
己の声、言葉、表情それら全部を使って、附子山の傷ついた心に、炎症を起こした魂に、
ぬるり、ぬるり、加元は潜り降りていきます。
「美味しいもの食べれば、元気になるよ。
ねえ。一緒に、カフェ行こうよ」
それは、表面的には附子山をいたわり、寄り添う言葉に聞こえますが、
加元の心魂の、奥の奥の最奥には、獲物の心臓に手を添える狩猟者、執着者の欲望がありました。
そして悲しいかな、附子山はそんな加元の「奥の奥の奥底」に気付くことが、
まったく、ちっとも、できなかったのです。
「……あなたが分からない」
何度突っぱねても、どれだけ拒絶の対応をとっても、こりずに優しく言葉の手を伸ばしてくる加元に、
ぽつり、怯えるように、少し懐いてきたように、でもまだ相手を威嚇するように、附子山は呟きました。
この数ヶ月後、加元は望み通り附子山を手に入れ、
しかし「実は附子山、心の傷が癒えてみたら、自然を愛する真面目で心優しいひとでした」の新事実発覚で地雷級の解釈違い。
無事加元にも、ショック期が堂々到来します。
「アレが解釈違い」、「これが地雷」、「頭おかしい」と旧呟きアプリに愚痴を投下していたら、
さぁ大変、その投稿が附子山にバレます。
元カレ・元カノの名前どおりの結末を歩んだ加元の本気の恋は結局、瓦解・崩壊・大失敗です。
一方、附子山は加元の執着から逃げるべく、合法的に名前を「附子山 礼(ぶしやま れい)」から「藤森 礼(ふじもり あき)」へ。
連絡経路を全部絶ち、就職場所も居住区も全部ぜんぶ変えて夜逃げを敢行。
スッパリ縁切りして、新天地で親友に助けられ後輩に恵まれて、友人とも再会して、
そこそこ幸せに、穏やかに、暮らしましたとさ。
「カレンダーっつーか、スケジュール帳ってさ、
アレよく後半にフリーメモ用のページあるじゃん。
昨日からそのフリーページに、アプリの投稿のネタになりそうな出来事書き溜めてみてるんだわ。
っていうのも、そのスケジュール帳のカレンダー部分に、去年から『その日どんなお題が配信されたか』ってのを記録し続けててよ」
書く習慣のアプリ入れてから、もう561日だとさ。1年と半分とっくに過ぎたのな。
ポツリ言う某所在住物書きは、記念日アプリ内のカレンダーを見詰めながら、感慨深く息を吐いた。
約560回、現代風の連載モドキを書き続けて、分かったことがあった。
すなわち「このアプリで連載の物書きを続けるにはネタを収集し続けるのが大事」という基本である。
「だって、特定のジャンルが重複しやすいんよ」
物書きは言う。
「エモネタ、雨系、年中行事ネタだろ、あと恋愛。
特に雨よ。だって下手すりゃ今週の日曜……」
――――――
最近、ちょっとだけアナログを取り入れてる。
というのも先日、ビジネスバッグを昭和レトロな学生カバンのリメイク品、すなわち学生カバンに金具を取り付けてショルダーバッグにしたやつに変えまして。
しかもこれが、
私が好きなゲームの登場キャラが、所属してる組織のビジネスバッグの、
コミカライズ版バージョンにほぼほぼそのまんま登場してる「現実のモチーフ」でして。
日頃カレンダーアプリっていうか、スケジュールアプリしか使ってない私は、
バチクソ、どちゃくそ久しぶりに、紙のカレンダーなスケジュール帳を持ち歩くようになった。
……「紙の」スケジュール帳。『紙の』だって。
すごいよね。私が子供の頃は、それこそ日記帳あたりとか、普通に紙製がまだメジャーだったのに。
「どこのスケジュール帳?」
「セレクトショップ。『今月のチェッキー』とか『本日のプリクーラ』とか貼るスペースがあるの」
「カレンダーアプリでよくない?」
「付烏月さん。ツウキさん」
「なーに」
「『今月のベストよく作れたクッキー』」
「はぅっ!」
「『本日のカップケーキ試作品』」
「うあぅぅッ!」
「付烏月さんの趣味のお菓子作り、楽しくなる」
「たのしくなる!」
週の真ん中が過ぎて、あとは今日と明日と、土曜日の午前営業だけっていう私の職場のお昼休憩。
まだまだ書き始めたばっかりのせいで真っ白が多いスケジュール帳を見てたら、
今年の3月から一緒に仕事してる付烏月さんが、アナログ久しぶりって寄ってきた。
「今じゃお財布もカレンダーも、写真のアルバムだって、スマホで完結しちゃうもんね」
「ねー。便利な世の中になったよね」
ぱらり、パラリ。白いスケジュール帳をめくる。
横7枠、縦4〜6枠に区切られた見開きには、
その日その日それぞれに、思い出の画像なりプリクーラなりを貼れる小さなスペースが設けられてる。
昨日の私は昨日の枠に、すっッごく美味しくて感動したチョコクリームフラッペを貼った。
「あのね。この店のフラッペ、」
この店のフラッペ、すごく美味しかったの。
そう言いたくて、なによりその店を付烏月さんと共有したくて、 もう、無意識だ。
私は紙のスケジュール帳に貼った、チョコクリームフラッペの小さな画像を、
人さし指と親指で、ピンチアウトしてた。
「……」
「後輩ちゃん。それ、スマホじゃないよ」
「あっ。……やだ。クセで」
「わかる。俺もやっちゃう。てか先週やった」
「便利な世の中になったよね」
「ねー。ホントに便利になったよね」
いつかガチで、拡大縮小できるデジタルを、ぺたぺた紙に貼っ付けられる日が来たりするのかな。
私と付烏月さんは「やぁね、」「やーねぇ」して、
それから、私は紙のカレンダーなスケジュール帳を自分のバッグに戻す。
その後はいつもと同じお昼休憩、お昼ごはん。
スマホいじって皆でダベって、コーヒー少し。
アナログのカレンダーは検索も拡大縮小もできなくて、今となっちゃ少し使いづらく感じるけど、
それでも楽しいから、もう少し続けることにした。
「喪失とは直接関係無いだろうけど、6月3日4日頃のお題が『失恋』で、4月18日19日あたりが『無色の世界』だったわ」
「失恋」は新札で「諭吉さんに失恋して渋沢さんに乗り換え」ってハナシ、「無色」は「むしき」って仏教用語があったから、それに絡めたわ。
某所在住物書きは過去作を辿り、他に喪失系のネタを探し回ったが、その努力は徒労のようであった。
「『喪失感とは』でネット検索すると、誰か亡くなった前提の記事が上位に来るの。
『喪失感 脳科学』で検索すると失恋が上位よ。哀悼全然関係ねぇの。あとはガチャとか……?」
うん。ガチャの満たされない感は、バチクソ分かる。
物書きは己の過去の過去を想起し、ため息を吐く。
――――――
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。
某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が家族で仲良く暮らしており、
そのうち末っ子の子狐は善き化け狐、偉大な御狐となるべく、絶賛修行中。
稲荷のご利益ゆたかなお餅を作って売って、時折お母さん狐が店主をしているお茶っ葉屋さんの看板子狐なんかもして、人間を学んでいる最中。
去年ようやく1人だけ、お得意様が付きました。
名前を藤森といい、雪国の出身でした。
その日の子狐は尻尾をビタビタ振り倒し、台所へ。
ランチ準備中のおばあちゃん狐から、「最後の茹でモロコシ」を貰いました。
狐は肉食寄りの雑食性。お肉は勿論、野菜も山菜も果物も食べます。実は意外とグルメなのです。
熟して落ちた柿、みっちり実ったトウモロコシは、稲荷の狐だけでなく、野生の狐も大好き。
それらの美味しさを狐はよく知っているのです。
で、神社へのお供え物としてどっさり貰った筈の雪国産トウモロコシが、野菜置き場にもう無いと。
「おいしい、おいしい。でもさびしい」
しゃくしゃくしゃく、ちゃむちゃむちゃむ。
コンコン子狐、野菜置き場最後のトウモロコシを食べながら、ちょっと喪失感。
これを食べ終えたら、雪のトウモロコシは終わり。
ひょっとしたらもうオフシーズンで、次の新鮮かつ美味な湯でモロコシは来年かもしれません。
「さびしいな。さびしいなぁ」
しゃくしゃくしゃく、ちゃむちゃむちゃむ。
子狐は尻尾を振って、でも今年はもう茹でモロコシが食べられないかもと思うと寂しくて寂しくて、
喪失感に、それこそ今回のお題のそれに、心を打ちのめされそうになっておったのでした。
それを子狐の成長と学習のチャンスと捉えたのが、賢くて美しいおばあちゃん狐。
「おつかいに行っておいで」
新千円札の柴さん2枚に、白銅貨の100円玉をコンコン5枚。おばあちゃん狐が子狐に渡しました。
「美味しい野菜を、たっぷり買ってきておくれ。
買い方が分からなかったり、ひとりぼっちで寂しかったりしたら、いいかい。善良な心魂の匂いの人間に、よくよく助けてもらうんだよ」
「自分の好きな野菜」の美味しい見分け方と、美味しい買い方を、人間から勉強してきなさい。
おばあちゃん狐はそう言って、コンコン子狐を近所の馴染みの八百屋さんに、送り出しました。
「おつかい!トウモロコシ、買ってくる!」
ちょっと喪失感が薄れた子狐です。
2匹の柴三郎さんと5枚の白銅貨を、がま口ポーチにしっかり入れて、ちゃんと人間に化けまして、
おつかいに、行く前に、とっても心細いので、
善良な心魂を持つ人間を同行させましょう。
あの雪国出身の、藤森というお得意様、子狐のお餅を買ってくれる優しい人間を同行させましょう。
「何故私なんだ」
「おとくいさん、トウモロコシ、おそなえした」
「そうだな」
「おとくいさん、おいしいトウモロコシ知ってる」
「そういうワケではない」
「おとくいさん、行ってらっしゃい」
「お前も来るんじゃなかったのか子狐」
すべての田舎出身者が野菜の見分け方を熟知していると思うなよ。すまないが私も知らないぞ。
狐の不思議な不思議なチカラで、強制的におつかいに同行させられた藤森が、静かにため息ひとつ。
とはいえ藤森、お人好しなので、ちゃんと子狐の買い物についてってやるのです。
「ねぇおとくいさん、トウモロコシ、まだあるかなぁ。茹でモロコシ、まだあるかなぁ」
「今なら多分北日本産が主流だ。問題無いよ」
「やっぱりおとくいさん、トウモロコシ詳しい」
「だから。そういうワケではない」
コンコンコン。こら待ちなさい。
腹ぺこ子狐と雪の人は、ふたりして近所の八百屋さんへ。この頃には「最後のトウモロコシ」への喪失感なんてどこにもありません。
八百屋さんから美味しい美味しい晩夏の野菜と、美味しい美味しいトウモロコシを購入する方法を、
コンコン子狐、しっかり学んで帰りましたとさ。
「お題の後ろに言葉を補えば、世界に一つだけ『地軸があります』とか『間違いがあります』とか。
前の方なら『商業の』世界に一つだけ、『表の』世界に一つだけ、なんてハナシも書けそうだが、
商業の世界に一つだけ存在するタブーとか……?」
去年は「初めてのお得意様から貰った、世界で一つだけの500円玉」みたいな物語を書いた。
某所在住物書きはネットで「世界に一つだけ」をうたう記事をスワイプスワイプ。
ジュエリー、街づくり、スイーツに花に伝統工芸品。世界の一部界隈は「一つだけ」に溢れている。
たしかにハンドメイド業界は作家の手と目と感性と、それから心魂によって作られる一点物が多い。
それは物書きの世界も同様であろう。
「……俺の他にもこのアプリの中で、投稿を前半と後半に区切ってる仲間って居るんかな」
居なければ「これ」もいわゆる「一つ」である
――ただ希少性や意外性はどうだろう?
――――――
先日、私の部屋の冷蔵庫(として使ってたポータブル保冷庫)が壊れた。
安いし一人暮らしだから丁度良いやって買ったものだけど、ネットの一部さんによれば、
このポータブル保冷庫、「ポータブル」であることが前提で、冷蔵庫みたいに常時ずーっと通電し続けるようには、あんまり想定されてないらしい。
ホントかどうかは分かんない。
ただ私の「保冷庫壊れた」ってポスに返信してきた人は、「ポータブルをノンポータブルで冷蔵庫にしてるのはお前だけだ」って言ってた。
つまりこの人の返信が本当に事実なら、
私の壊れた保冷庫は、世界に一つだけの保冷庫だ。
世界に一つだけの、冷蔵庫に使われた保冷庫だ。
なお私の職場の先輩が以前ポータブルを冷蔵庫にしてたから、この返信は普通に間違いだったりする。
なお即座に小型冷蔵庫をネットでポチったけど
発送は今週末だそうです。
「で、後輩ちゃん、本日の愛妻弁当は?」
「いや先輩、私のお嫁さんじゃないし。そもそも先輩と私、食材のシェアとか生活費節約術とか普通にしょっちゅうやってるし」
「お嫁さんじゃなきゃ、おかん?」
「おかん。先輩がオカン……ちょっと分かる」
で、職場の先輩に私の保冷庫の中身を大量レスキューしてもらって、2日目のお昼。
昭和レトロな学生カバンのリメイク品、ショルダーバッグから、先輩が詰めてくれたお弁当を出す。
私は小学校も中学校も、ランドセルとかスクールバッグとかだったから全然世代じゃないけど、
なんとなく、それでも、学生に戻った気分。
支店長は私のショルダー見て、すぐ「本物の学生カバンにショルダーの金具を付けたもの」だって気付いた。ギリっギリそれを使ってた世代らしい。
「それこそ、保冷庫以上の『一つ』ではないのか」
って、支店長が言った。
本物かつ十分キレイなままの学生カバンにショルダーの金具を付けるなんて、あまり、誰も考え付かないのではないかね、って。
これが考えつくんだなぁ
(理由:私が好きなゲーム→そのコミカライズ版→
推しキャラの所属組織のビジネスバッグ
→まさに「これ」がモチーフだとゲームの原作者)
「先輩が言うには、今日の晩ごはんで、私の保冷庫の食材全部使い切れるって言ってた」
先輩が作ってくれたお弁当、スープジャーのフタを開けると、中は野菜とお肉たっぷりなオートミール雑炊。先輩お得意の低塩分低糖質ランチだ。
「保冷庫、冷蔵庫、ポータブル。食材に関わる電化製品って、安さだけで買っちゃダメだね……」
スプーンですくって、ふーふーして、はふはふ。
オカン先輩が諸事情で作ってくれた「おふくろの味」を食べる――とり塩雑炊だ。
「ところで後輩ちゃん、冷蔵庫来るの、たしか今週末か来週なんでしょ?」
「うん」
「藤森は、今日の晩ごはんまで、とりあずメシ作ってくれるんでしょ?」
「うん」
「明日以降どうすんの?」
「……うん」
オートミールうまい。お弁当をひとすくい、ふたすくい。ふーふーして食べる。
「大丈夫だよ。多分」
自分に言い聞かせた。
「コンビニ行けばお弁当変えるし。スーパーに惣菜もあるし。別に1週間くらい、冷蔵庫無くたって」
大丈夫、だいじょうぶ。
繰り返しながら食べた、一部私が食材提供して先輩が料理してくれた特製の「一つだけ弁当」は、
すぐ食べちゃって、お弁当づつみで結ばれて、学生カバンなショルダーにしまわれた。