かたいなか

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「喪失とは直接関係無いだろうけど、6月3日4日頃のお題が『失恋』で、4月18日19日あたりが『無色の世界』だったわ」
「失恋」は新札で「諭吉さんに失恋して渋沢さんに乗り換え」ってハナシ、「無色」は「むしき」って仏教用語があったから、それに絡めたわ。
某所在住物書きは過去作を辿り、他に喪失系のネタを探し回ったが、その努力は徒労のようであった。

「『喪失感とは』でネット検索すると、誰か亡くなった前提の記事が上位に来るの。
『喪失感 脳科学』で検索すると失恋が上位よ。哀悼全然関係ねぇの。あとはガチャとか……?」
うん。ガチャの満たされない感は、バチクソ分かる。
物書きは己の過去の過去を想起し、ため息を吐く。

――――――

最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。
某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が家族で仲良く暮らしており、
そのうち末っ子の子狐は善き化け狐、偉大な御狐となるべく、絶賛修行中。
稲荷のご利益ゆたかなお餅を作って売って、時折お母さん狐が店主をしているお茶っ葉屋さんの看板子狐なんかもして、人間を学んでいる最中。
去年ようやく1人だけ、お得意様が付きました。
名前を藤森といい、雪国の出身でした。

その日の子狐は尻尾をビタビタ振り倒し、台所へ。
ランチ準備中のおばあちゃん狐から、「最後の茹でモロコシ」を貰いました。
狐は肉食寄りの雑食性。お肉は勿論、野菜も山菜も果物も食べます。実は意外とグルメなのです。
熟して落ちた柿、みっちり実ったトウモロコシは、稲荷の狐だけでなく、野生の狐も大好き。
それらの美味しさを狐はよく知っているのです。

で、神社へのお供え物としてどっさり貰った筈の雪国産トウモロコシが、野菜置き場にもう無いと。

「おいしい、おいしい。でもさびしい」
しゃくしゃくしゃく、ちゃむちゃむちゃむ。
コンコン子狐、野菜置き場最後のトウモロコシを食べながら、ちょっと喪失感。
これを食べ終えたら、雪のトウモロコシは終わり。
ひょっとしたらもうオフシーズンで、次の新鮮かつ美味な湯でモロコシは来年かもしれません。
「さびしいな。さびしいなぁ」
しゃくしゃくしゃく、ちゃむちゃむちゃむ。
子狐は尻尾を振って、でも今年はもう茹でモロコシが食べられないかもと思うと寂しくて寂しくて、
喪失感に、それこそ今回のお題のそれに、心を打ちのめされそうになっておったのでした。

それを子狐の成長と学習のチャンスと捉えたのが、賢くて美しいおばあちゃん狐。

「おつかいに行っておいで」
新千円札の柴さん2枚に、白銅貨の100円玉をコンコン5枚。おばあちゃん狐が子狐に渡しました。
「美味しい野菜を、たっぷり買ってきておくれ。
買い方が分からなかったり、ひとりぼっちで寂しかったりしたら、いいかい。善良な心魂の匂いの人間に、よくよく助けてもらうんだよ」

「自分の好きな野菜」の美味しい見分け方と、美味しい買い方を、人間から勉強してきなさい。
おばあちゃん狐はそう言って、コンコン子狐を近所の馴染みの八百屋さんに、送り出しました。
「おつかい!トウモロコシ、買ってくる!」
ちょっと喪失感が薄れた子狐です。
2匹の柴三郎さんと5枚の白銅貨を、がま口ポーチにしっかり入れて、ちゃんと人間に化けまして、

おつかいに、行く前に、とっても心細いので、
善良な心魂を持つ人間を同行させましょう。
あの雪国出身の、藤森というお得意様、子狐のお餅を買ってくれる優しい人間を同行させましょう。

「何故私なんだ」
「おとくいさん、トウモロコシ、おそなえした」
「そうだな」
「おとくいさん、おいしいトウモロコシ知ってる」
「そういうワケではない」

「おとくいさん、行ってらっしゃい」
「お前も来るんじゃなかったのか子狐」

すべての田舎出身者が野菜の見分け方を熟知していると思うなよ。すまないが私も知らないぞ。
狐の不思議な不思議なチカラで、強制的におつかいに同行させられた藤森が、静かにため息ひとつ。
とはいえ藤森、お人好しなので、ちゃんと子狐の買い物についてってやるのです。

「ねぇおとくいさん、トウモロコシ、まだあるかなぁ。茹でモロコシ、まだあるかなぁ」
「今なら多分北日本産が主流だ。問題無いよ」
「やっぱりおとくいさん、トウモロコシ詳しい」
「だから。そういうワケではない」

コンコンコン。こら待ちなさい。
腹ぺこ子狐と雪の人は、ふたりして近所の八百屋さんへ。この頃には「最後のトウモロコシ」への喪失感なんてどこにもありません。
八百屋さんから美味しい美味しい晩夏の野菜と、美味しい美味しいトウモロコシを購入する方法を、
コンコン子狐、しっかり学んで帰りましたとさ。

9/11/2024, 2:58:29 AM