「8月4日あたりのお題が少し似てた。たしか『つまらないことでも』だったかな」
それこそ、区切り線『――――――』の上の300字程度で、せめて些細なことでも誰かに執筆の種を提供できたらとは思ってるわな。
某所在住物書きは過去作を辿り、呟いた。
「些細なこと、事、古都、子と……琴は違うか」
些細な事でもなければ、私は動きません。
些細な事でも、話してください。
些細な事、でも私には重要だったんです。
「些細な子」、とでも思っていましたか。
些細な子とでも真剣に練習した結果、その「些細な子」が私の最大のライバルになりました。
あとは?他には? 物書きは今回も途方に暮れる。
――――――
去年の9月の第2週、最初の月曜日。
私の職場の先輩が、当分、約2週間程度、リモートワークで職場から離れてた。
理由は、私と、先輩の親友である宇曽野主任以外、誰も知らない。というか誰も気にしてない。
残暑残る東京で、コロナの静かに忍び寄る東京だ。
理由なんて、予想すればゴロゴロ出てくる。
些細なこと、大きな理由、何か壮大な裏が潜む陰謀。ありとあらゆる想像を、しようと思えば、できる。
でもきっと、全部不正解だ。
種明かしをすると、先輩は当時、親友の宇曽野主任の一軒家に絶賛避難中だった。
先輩の前に、8年前の恋人さんが今更現れて、その恋人さんがなんと、ほぼストーカー数歩手前。
加元っていう人で、去年の今頃突然職場に来た。
「この人に取り次いでください」って。
この加元さんから8年間、名字と名前の読み方と、職場と居住区を変えてまで、逃げ続けてきた先輩。
そんな先輩の、今の住所までバレないようにって、3人暮らしの宇曽野一家が避難場所を提供した。
それが去年の今頃。去年の9月。
メタいハナシをすると前回投稿分の裏話。
「嫁と娘には大好評だ。何せ、あいつの得意料理は低糖質低塩分の、ほぼダイエットメニューだからな」
先輩今頃どうしてますか。
去年の今頃、当時勤めてた本店で、隣部署勤務の宇曽野主任に近況聞いてみたら、なんか避難生活満喫してそうな回答が返ってきたのはよく覚えてる。
「レトルト使った雑炊だの、サバ缶でトマトリゾットだの、あいつの故郷の冷やし麺だの。
加元からは『低糖質メシ作るとか解釈違い』と不評だったのが、今は『美味しい』、『面白い』だ」
遠くでは、それこそ今話題に出してる元恋人さん、加元さんが、先週に引き続きその日もご来店。
先輩に関する些細な情報、些細な事でも収集しようと、躍起になってた。
「この名前の人物がここに居るのは調べが付いてるんです」からの「お調べしましたけど居ません」で、受け付け担当さんの営業スマイルが引きつってる。
だって先輩、加元さんから逃げるために「藤森 礼(ふじもり あき)」に改姓改名したから
もう加元さんの知ってる「附子山 礼(ぶしやま れい)」じゃないもん。 残念でした。
「解釈違いなんなら、早く次の恋に行けば良いのに」
「どうせ次を食って、食って、何度か繰り返して、一番まともだったのが実は、だったんだろう?」
「なら些細なことでいちいち『地雷』とか『解釈違い』とか言わなきゃ良かったのに」
「加元にそれができれば、あいつは今頃8年も逃げたりしちゃいないし、ここにも居ない」
結局収穫ナシでご退店の加元さん。
スマホ取り出して、何かいじって、帰ってった。
加元さんに対応してた受け付けさんは、相当疲れたらしくって、加元さんが見えなくなった途端大きなため息吐いて背伸びして。
丁度パッタリ、「さっきの人見てた?」ってカンジで私と目が合ったから、
私も、ねぎらいの心をこめて、「見てた。お疲れ様」ってカンジで、小さく頷いてみせた。
「そうそう。お前も用心しておけ」
「なんで私?」
「加元にお前の存在がバレてる。おととい『あの人誰』と、わざわざダイレクトメールを寄越してきた」
「まじ……?」
結末を話すと、加元さんと先輩はこの後、
11月に先輩側がキッパリ加元さんをフって
今年の3月加元さんがウチの職場に就職してきて、
そして5月24日、完全に加元さんが撤退した。
「元恋人の執着が酷い」って些細なことでも、先輩の親友である宇曽野主任と先輩の友人である付烏月さんとが結託して、加元さんを追っ払った格好。
「持つべきは有能な友人だよね」っていう、要するにこちらも、バチクソ単純で些細なハナシ。
「『心の火が燃え上がる』とか『恋心の火が消える』とかは、多分表現としてメジャーだろうな。
……で、それをどう物語に落とし込むって?」
かの有名な『四つの署名』に、「自分の中に秘め持つ小さな不滅の火花」といった趣旨のセリフがあった。
某所在住物書きは自室の本棚を行ったり来たり。
なんとか今回配信分のお題を書き上げようと、ネタ収集に躍起になっている。
きっと上記セリフは「心」そのものに関してのセリフではないだろう。なんなら「心の灯火」のお題にカスリもしていないだろう。
しかしネタとしては頼れるかもしれない。なにせこの物書き、エモいジャンルが不得意なのだ。
「で、そのエモ系お題で何書けって?」
親友と後輩を守るため、ひねくれ者は住み慣れた東京を離れ、ひとり去る決断をしましたとか?
大切なひとに危害は加えさせぬ、ひねくれ者の心の灯火は十数年ぶり、ごうと燃え盛りましたとか?
物書きは物語を仮組みし、その書きづらさに敗北して、ため息をひとつ。やはりエモはムズい。
――――――
童話風の神秘7割増しなおはなしです。トンデモ設定てんこ盛り、去年の今頃のおはなしです。
都内某所、某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が暮らしておりまして、
そのうち末っ子の子狐は、善き化け狐、偉大な御狐となるべく、稲荷神社のご利益豊かで不思議なお餅を作って売って、絶賛修行の真っ最中。
1週間に1〜2回の訪問販売。1個200円で高コスパ。ひとくち食べればストレスやら、疲れやらで溜まった汚毒にひっつき、落として、心の灯火の保守保全をしてくれます。
たったひとり、唯一の固定客、お得意様もできまして、3月3日のファーストコンタクトから2023年9月時点で早くも6ヶ月。
長く長く、お付き合いが続いておりました。
「おとくいさん、心のおかげん、わるい」
「何故そう思う」
「キツネわかる。キツネ、うそつかない」
「だから、何故私の精神状態が悪いと思う」
さて。
その日もやって来ました。不思議なお餅の訪問販売。
しっかり人間の子供に化けて、葛のカゴと透かしホオズキの明かりを担ぎ、
アパートの一室から親友の一軒家に諸事情でお引っ越し避難中の、唯一のお得意様のところへ向かいます。
避難理由は割愛です。なんせ去年の8月28日投稿分のハナシなのです。
要するにこのお得意様は去年のこの頃、昔々の初恋相手に付きまとわれ、大騒動勃発中だったのです。
人界のあれやこれや、常識や仕組みなんかは、まだまだ勉強中のコンコン子狐。おヨメかおムコか知らないけど、お得意様は結婚して、「家庭に入る」をしたに違いないと、トンデモ解釈をしております。
ゆえに神前結婚式のパンフレットを見せては、お得意様をチガウ・ソウジャナイさせておったのでした。
「おとくいさん、前のアパートに居たときと、『家庭に入る』した後で、ニオイちがう」
「何度も言っているが、親友の家に一時的に身を寄せることを『家庭に入る』とは言わない」
「おとくいさん、疲れちゃったんだ。おとくいさん、イロイロあって、心にススとか汚れとか付いちゃって、灯火がちゃんと燃えてないんだ」
「『灯火』?」
「だからおとくいさん、おもち、どうぞ。
スス落とし、汚れ落とし。心の灯火のホシュホゼン。ご利益ゆたかなおもちどうぞ」
「あのな子狐?」
「心の灯火」のお題に従い、問答無用で不思議なお餅を食わせにかかる子狐と、
子狐によって、そこそこのデカさのお餅を1個、口の中に押し込められるお得意様。
噛んで飲み込もうにも口内にスペースが足らぬ。
お茶淹れて、唇に両手を重ねて当てて、モゴモゴ、ちゃむちゃむ、もっちゃもっちゃ。
なんとかお得意様が不思議なお餅を食べ終わったのは、それから10分後のことでしたとさ。
「おとくいさん、まだ、魂が曇ってる。まだ心にススがついてる。稲荷のおもちどうぞ」
「もう十分だ。もういい。ありがとう子狐」
「ダメ!心の灯火のホシュホゼン、おもちどうぞ」
「子狐待て。よせ。ほんとうに、もういい。
子狐、こぎッ……ステイ!」
心の灯火を癒やす子狐のお餅と、そのお餅に四苦八苦させられる人間のおはなしでした。
おしまい、おしまい。
「『あけない』、『ひらけない』。
その後のアルファベット4文字はまぁ、ドチャクソ捻くれて読むなら、某アプリの名称以外だと回線・接続・釣り糸・方針・口癖等々の英単語よな」
今回配信分の題目をチラリ見て、某所在住物書きは相変わらず、ガリガリ頭をかいた。
開けない。 圏外か、意図的か、その他か。
「Line」に多々和訳が存在する。英単語1個を全部大文字表記するのは、一種の強調表現でもある。
よって「開けないLINE」を「ひらけない『その』接続」や「あけない『特定の』回線」と曲解することも、まぁまぁ、可能といえば可能と考えた。
問題はそれで実際物語が書けるかどうか。
「うん。俺にはムズいわな」
そもそもアプリを入れてないので「開けない」。いっそこれで書いてやろうか。物書きはまた頭をかく。
――――――
最近最近の都内某所、某職場の一室、早朝。
藤森という雪国出身者が、部屋の主より先に来て、掃除をしたり消耗品を補充したり、湯を沸かしたりアイスブロックの量を確認したり。
要するに、室内整備と清掃を、ひとりで。
観葉植物は調子が悪いのか、それとも秋を先取りしてか、一部だけ葉が黄色く褪せている。
それらを摘んで水やりのタイミングを見極めるのも、藤森の担当である。
ところで昨日補充したばかりの個包装菓子が、ガラスの器から随分消失している。
部屋の主の仕業である。彼は名前を緒天戸という。
給料が給料なので「良いモノ」を食っている筈なのに、彼はともかくチープな甘味と塩味を好む。
ゆえに藤森の基準で購入補充された「普通のモノ」、来客用である筈の菓子が大量に消える。
それはいつものハナシであった。
「おい藤森!」
「はい。おはようございます」
始業時刻30分前、緒天戸が出勤。
不機嫌そうな理由は、藤森がよく理解している。
今年の3月から諸事情により「ここ」に配属になって、はや半年。藤森は己の上司の性質をだいたい、6割程度、把握し始めていた。
「『はいおはようございます』じゃねぇ!
なんでお前、俺のグルチャ無視しやがった」
「『昨日の「ペットも食べられる自然の甘さの和菓子」と「自然のしょっぱさの和スナック」が美味かったから補充してくれ』、ですか?」
「それよ。例のあの、和菓子屋ポンポコ堂のやつ。あそこの見習い坊主の見習い新作」
「お忘れですか。時間外のメッセージでしたよ」
「あ。わり。すまね」
「時間外だったため、グループチャットアプリは開けていませんし、既読も付けていません。
ご要望の和菓子とスナックは購入してあります」
「さすが藤森信じてた」
はぁ。 藤森が静かで長いため息を吐く。
開けないグループチャット、聞かない時間外命令。
それらは公私双方に仕事が割り込みやすい緒天戸との「付き合い」において、不可欠な対応である。
他店他業界との会合を終業時刻の後にこなし、その延長線上でついつい、緒天戸はそのまま藤森に、業務上の指示を出すのだ。
『お前が買ってきたアレ美味かった補充してくれ』
『今日来た客がお前の淹れた茶っ葉の購入先と値段を聞きたいってよ。よこせ』
開けないグループチャット、聞かない時間外命令。
断じて即時返信が面倒だからではない。
業務時間外だからである――他意はない、ナイ。
「……私は一体いつからこのひとの女房だの専属秘書だのになったんだろう」
「なんか言ったか藤森」
「総務課から書類が届いています。9時頃回収に来るとのことなので、優先決裁お願いします」
開けない、あけない。
再度息を吐く藤森は、上司の緒天戸にひとまず礼をして、掃除用具を片付けるために部屋を出る。
数年前からSNS界隈において、「繋がらない権利」というものが叫ばれているそうである。
ウチの「あの上司」にそれを進言したら、どんな駄々っ子が返ってくるだろう。
(間違いなくあのひとの菓子事情は崩壊するな)
三度目のため息を吐いて、藤森は開けていなかったグループチャットのメッセージに既読をつけた。
「不完全な、ボク、しもべ、やつがれ。読み方が指定されてねぇから、下僕の話も書けるし一人称が『ぼく』な誰かの話も書けるワケだ」
下僕っつったら、猫飼ってるひとの、飼い主のことを「猫の下僕」って表現する場合があるわな。某所在住物書きは猫の画像を見ながら呟いた。
「不完全な猫の下僕」とは何だろう。猫に対する正しい知識と付き合い方を学習中の下僕のことか。
「不完全、ふかんぜん……
逆に『完全な僕』って、『何』についての『完全』なんだろうな。『不完全体僕』と『完全体僕』?」
何か複数の資格等を取る目標があって、道なかばの状態を言う、とかはアリなのかな。
物書きは考え、すぐ首を横に振る――書けない。
――――――
某ゴーグレレンズの画像検索の調子が悪くて、ぜーんぶ「該当する記事が見つかりませんでした」になる今日このごろの物書きです。
まさに不完全なしもべ、不完全なアプリですね。
といういわゆる「おま環」は置いといて、今回はこんなおはなしをご用意しました。
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。
都内某所、某アパートの一室、雨降りのお昼。
ここには部屋の主の、藤森という雪国出身者がおるのですが、時折子狐が侵入して来るのです。
「こんにちは、こんにちは!」
この子狐は稲荷の子狐。
稲荷神社の祭神・五穀豊穣の神様にして商売繁盛のご利益もあるウカノミタマのオオカミ様のシモベ、
一人前の神使となるべく、絶賛修行中。
「おとくいさん、新米おもち、どうぞ!」
まだまだシモベとしては不完全な子狐は、ご利益ゆたかで不思議なお餅を作って売って、人と触れ合って、人間の世界を勉強しておったのです。
藤森は子狐のたったひとりのお得意様。
はてさて子狐、今日はどんなお勉強をするやら。
「ご利益いっぱい、1個200円!おもちどうぞ!」
「おまえ、こんな雨の中歩いて来たのか」
防音防振行き届いたアパートにぼっちで住んでる藤森です。その日も静かな部屋で、拭き拭き。
何やら子狐の知らない、子狐のお家の蔵の匂いのようなサムシングの香る黒を拭いておりました。
「あーあー。そんなに濡れて」
ほら、お前も拭いてやるから。おいで。
毎度毎度セキュリティーもロックもお構いなしにやってくる子狐に、藤森、新しくてフワフワなタオルを用意して、雨に濡れた子狐をポンポン。
優しく、やわらかく、叩き拭いてやりました。
「おとくいさん、なにしてるの」
「え?」
「おとくいさん、黒いなにか拭いてた。キツネの知ってる匂いのなにか、拭いてた」
「昭和の学生カバンだ。『知ってる匂い』というのは、多分このバッグに少し付いてるカビかな」
「がくせーかばん、」
「私の職場の後輩がSNSで聞きつけたんだ。私の故郷でコレが激安で売られていると。
で、当初3個の予定が追加で2個、このとおり」
「昭和」を知らない子狐に、藤森、昭和レトロな黒い学生カバンをひとつ、近づけました。
狐は好奇心がとっても旺盛。フェイクレザー製の黒いカバンを、くんかくんか、くんくんくん。
ひとしきり嗅いで、くしゅん!くしゃみします。
綺麗なのに、汚れてないのに、傷も少ないのに昔の匂いが強いのです。どうにも狐には、強いのです。
くんくん、くしゅ! くんくんくん、くしゅん!
学生カバンの匂いを昭和の匂いと学習した子狐。
噛んで触って更に情報を得るべく、小ちゃな牙を光らせて、あーん。おくちを大きく、
「食い物ではない。噛まないでくれ」
大きく開けた瞬間、藤森に抱えられて、カバンから離されてしまいました。
「がくせーかばん、しょーわ。キツネおぼえた」
「そうか」
「しょーわ、キツネのおうちの、蔵のにおい」
「待て。多分それは違う」
「おとくいさん、しょーわ?」
「……よし分かったまず『昭和』を説明しよう」
昭和レトロなカバンのお手入れは一旦中止。
藤森は子狐が「しょーわ」をどう誤認したか不安になって、急きょ言葉の授業を開講。
不完全な僕(しもべ)の子狐と一緒に、新米お餅を食べながら、「昭和」をお勉強しましたとさ。
「練り香水、部屋の香水、犬猫にモテる香水。
他には香水の付け方とか付ける場所の意味とか?」
よほど日常的に愛用してるヤツでもなけりゃ、香水、意外と余りがちになっちまう説。
某所在住物書きは「香水」をネット検索しながら、アロマオイルやルームフレグランスとしての香水活用術を見つけ、軽く興味を示した。
コットンやティッシュに吹き付けるだけでも、部屋に香る芳香剤には丁度良いという。そのコットン等々をオシャレに置ける場所を整えれば十分か。
「個人的に、『この店の「この香り」を、香水でもルームフレグランスでも良いから、持ち帰りたい』って、たまにあるわ。例として無印良◯とか」
あと内容物要らないから、香水の容器だけ欲しいとかな。物書きは付け足し、未知のサプリに行き着いた。
「……『食べる香水』と『飲む香水』?」
――――――
最近最近の都内某所、某アパート、昼。
かつて物書き乙女であったところの現社会人が、己の職場の先輩の実家より届いた昭和レトロの学生カバンを部屋の証明に当てて、目を輝かせている。
「おぉ。これが」
スマホを取り出し、即座に撮影。
「これが、実際に昔々使われてた、学生カバン」
素材はフェイクレザーとも、人工皮革とも。
ランドセルと布製ショルダーバッグしか通学ツールを知らぬ乙女は名前を後輩、もとい高葉井といい、
鍵付き学生カバンの開け方も知らぬ世代にはシックでシンプルで洗練されたフォルムが美しく見える。
なにより彼女のかつて愛していたキャラクター、
カップリングの2名、
彼等がゲーム内で使用しているビジネスバッグの元ネタがまさに「この時代のコレ」であると
原作者から情報提供があったのだ。
しかも「その次代のソレ」を己の先輩の故郷で激安販売している店があったと聞いてしまっては。
「ちょっとカビくさいのは仕方無いか」
気にしない、気にしない。
本来1〜2万円近辺の値段であっただろう正規品。
それを10分の1未満で3個も譲って頂いたのだ。
「ひとまず、匂いを、なんとかしたい」
さらり、さらり。ふわり、ふわり。
ウェットティッシュで学生カバンを入念に拭いて、
柔らかなタオルで水気と汚れを丁寧に除いて、
それを何度か繰り返して、繰り返して。
ひとつには推しカプの左側、2個目には推しカプの右側の、イメージフレグランスを吹きかけて拭き付けて、一度拭き清めて、再度香水を吹いて拭いて。
「んんん、なんか、しあわせ」
少しずつ、少しずつ。カバンに負担をかけぬように香水の成分を染み込ませていく。
今こうして香りを移す作業を丹念に繰り返しても、いずれ香水は効能を失っていくだろう。
それでも良いのだ。構わないのだ。
『今自分は、推しが持っているカバンのルーツを推しのオフィシャル概念香水で拭いている』
その労力の浪費のなんと至福で幸福なことか。
『先輩 先輩の母殿から、カバン無事届いたよ』
先程撮った昭和レトロの画像とともに、かつて物書き乙女であった後輩たる高葉井がメッセージを送る。
返信はすぐ送られてきた。
『店主が「年代物だから必ず拭き掃除してから使って欲しい」と言っていたそうだ。状態はどうだ?』
状態、じょーたい?
高葉井は部屋に咲く香水の香りで夢心地。
『ツー様とルー部長のカバン持ちになった心状態』
『つ?』
なんだそれ。後輩から送られてきた文字に先輩は今頃クエスチョンマークを量産中。
『母殿に、後輩がバチクソ感謝して崇拝して五体投地してたってお伝えしといて』
高葉井は夢心地を自己翻訳して、再送信。カバンに鼻を近づけて、深く息を吸い込む。
香水をまとった昭和レトロのカバンは過去と現代を混ぜ合わせたアロマで、彼女をつかの間のフィクションとファンタジーに誘った。
「保存用の2個の他に実用1個頼んでて良かった」
かつての物書き乙女は早速、学生カバンをショルダーバッグに改造すべく、さっそく馴染みのリメイク・アップサイクル屋に向かったとさ。