「文章言語の抜け道が、まさしくコレよな。
『イントネーション、アクセントが欠落してる』」
つまりこういうことさ。「当然」と「ヒット前」。
某所在住物書きは「Expected(あたりまえ)」ではなく「Before hitting(あたりまえ)」の変わり種を書こうとして、苦悩し、葛藤している。
相変わらずお題の難易度が高いのだ。
「……私のガチャが『当たる』『前』、ってのもアリか?それとも方言に活路を求める?」
俺の固い頭じゃこの辺が限界かねぇ。物書きは首を傾け、ため息を吐き、首を振った。
ガチャの当たり前はSSRすり抜けネタ、
方言の当たり前はおそらく「何かが配られる・貰える前」、「特定の疾患、脳卒中等にかかる前」、「妙なものを食ってハラを壊す前」。
ところで、昔職場の親睦会で生牡蠣が出され、食して「当たった」連中が多発し、部署が酷い機能不全を起こしかけたハナシに需要はあるだろうか。
――――――
去年の夏のおはなし。
女性が神社で引いたおみくじの内容が当たる前と、
その先輩の顔に子狐のポンポンアタックな腹がダイレクトポフン、当たる前のこと。
「ここのおみくじ、ちょっとユニークでかわいくて、すごく当たるんだってさ」
7月も、もうすぐ中盤。相変わらず熱帯夜続く都内某所の某稲荷神社、薄暮れ時の頃。
「先月末に、ホタル見に来たじゃん。その時、買ってる人がチラホラいてさ。気になってたの」
諸事情により先日まで完全に体調を崩していた乙女が、なんとか調子を取り戻し、散歩に来ていた。
手には小さな白い巻き物。稲荷神社の授与所で購入した、その神社オリジナルのおみくじである。
赤紐の封を解き、縦に開く。
「ふーん。『電話』。でんわ……」
一番上は、デフォルメされたオレンジ色の、ユリに似た花に虫眼鏡を向ける狐のイラスト。
その下には大吉も小凶も、全体運の記載は無く、ただ花の名称と思しき「アキワスレグサ」、それから「電話してみたら」とだけ記されている。
「先週、イヤリング忘れたか、落としたかしたの。『届いてるから電話してみたら』ってことかな」
「どうだろうな?」
ポツリ言って、同じ物を購入したのは、長い付き合いであるところの職場の先輩。
代金を払い、ごろごろ百も二百も入っているだろう木箱の表層から、丁寧にひとつ巻き物をつまむ。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦。
何にでも当てはまりそうな文言を引っ掛けて、その人がその人自身の悩みに気付き、答えを自分のチカラで見つけ出すのを助ける。
それがこの手のくじ、だったりしないか?」
早速思い当たるカフェの番号を調べ、電話をかけ始めた女性、つまり己の後輩に視線をやって、
それから、ふと遠くを見た。
「?」
居たのは子狐を撫で抱える巫女装束。すなわち神社関係者。なお近場にある茶葉屋の店主でもある。
あらあら。稲荷神社のご利益ご縁を信じないのですか?狐にイタズラされても知りませんよ?
巫女装束は、それはそれは良い顔で微笑して、
抱えていた子狐を、地に下ろした。
「さて。私のは何が書かれているだろうな」
とたんとたんとたん。子狐が全速力で売り場の裏の影に消えていくのを、それとなく見送った後、
購入した巻き物の封を、くるくる解いて開く。
描かれていたのは、白いトリカブトに飛びかかる狐。
書かれていたのは「オクトリカブト」と「上見て」。
「ほらな。誰にでも当てはまる――」
上の地位を目指せ。うつむき下見るより顔を上げよ。まぁ色々な応援激励に利用できる言葉だな。
先輩は小さくため息を吐き、笑って上を見ると、
「……え?」
視界には、愛と幸福でぽってり膨れた子狐の腹。
数秒待たず己の顔面に当たるだろう直前の、前足後ろ足をパッと広げたモフモフであった。
「なかなかに、アレンジのムズいお題よな……」
街の明かりって。「ド田舎は街灯が少ないので夜暗い」とか、「店の明かりを見ると◯◯を思い出す」とか、そういう系想定のお題かな。
某所在住物書きはガリガリ頭をかきながら、天井を見上げ息を吐いた。
固い頭の物書きには、少々酷なネタであった。店の照明、車のハイビーム、日光の反射……他には?
「花火とか工事中の火花とか、今は法律等々が絡むだろうけど焚き火とかも、『街の明かり』、か?」
わぁ。考えろ考えろ。強敵だぞ。物書きはポテチをかじりながら、懸命に頭を働かせる。
――――――
最近街の明かりが、つまり東京の日光の反射とか横断歩道の白とかが痛い。暑いんじゃなくて痛い。
確実に猛暑だの体温超えだの、酷暑間近だのが関係してるんだろうけど、ともかく、焼ける。
朝の通勤の時間帯でもハンディーファン使ってる人いるし、首掛けの保冷剤してる人も多い。
今日なんか、車のサンシェードみたいな材質の日傘をさしてる人が見つかった。
多分壊れたビニール傘の骨組みを利用したハンドメイドだと思う。よくできてると思ったけど、日傘さしてる本人は少し微妙そうな表情をしてた。
多分想定通りの涼しさとか、遮光性とかを得られなかったんだと思う。
サンシェードな表面を少し輝かせながら、朝の街の明かりに紛れてった。
少しだけキレイだとは、思った。
でも「少しだけ」だ。あとはお察しだ。
完全に紛れて見えなくなる前に、サンシェード日傘の人が、寄ってきたオッサンに絡まれた。
見覚えある誰かが助け出してたように見えたけど、
通勤途中だったから、結末は分からなかった。
で、そんな街の反射が暑くてジメる東京の昼。
お客さんが少なくてチルい、職場のランチタイム。
「付け焼き刃付烏月の〜、付け焼き〜Tipsぅー!」
「エイプリルフール以来だね付烏月さん。あと『付け焼き刃附子山の』じゃないんだね」
「俺付烏月だもの後輩ちゃん」
「で、今回はなに?ツウキさん」
「アメリカ、フロリダ国際大学のひとが調べたハナシによると、ある一定の気温までは、暑くなればなるほど犯罪が増えたらしいよ。7月と9月に犯罪が増えて、8月には逆に少し減ったらしいよん」
「へー」
「まぁ、アメリカを対象にした分析だから、日本に全部当てはまるとは限らないけど、適度に暑いと、イライラしちゃうのかもね。分かんないけど」
「ふーん。勝手に信じとく」
「いや、そこは『信じないでおく』にしといてよ。ハナシ半分で聞き流してよ」
「文献か何かはあるんでしょ?なら信じとく」
「あぅ」
サンシェード日傘の一件を、今日の暑さとジメり具合に関連付けて雑談の話題に出したら、
同僚の付烏月さんがそこから、夏の暑さに関するトリビアを引っ張り出してきた。
『適度に暑いと、イライラしちゃう』。
付烏月さんの話とオッサンに絡まれた日傘さんが妙にピッタリして真面目に聞いちゃったけど、
付烏月さんとしては、それこそ「雑談」以上の何でもなかったらしくって、
もしゃもしゃ、もしゃもしゃ。ちょっと反省気味に黙々と、お弁当の塩ゆでコーンを食べてる。
「……いちおー、きょう、かえってから ぶんけん、ちゃんとカクニンしなおします」
もしゃもしゃもしゃ。
うつむく付烏月さんが、何か言ってる。
視線が下がって自分のお弁当見えてないみたいだったから、こっそり付烏月さんのコーン1個と私のミートボール2個をトレードしようとしたら、
「入り用かね?」
職場のガラスの大窓、日光反射してキラキラしてる昼の街の明かりを背に、通称「教授」支店長が、
水色の、『世界の研究が教える人間関係100選』って本を持ってきた。
「212ページだ」
教授支店長が言った。
「孫引きになるが、所詮雑談だ。問題あるまい。
ところでその日傘女史から、助けた礼に京都の老舗の美しい琥珀糖を頂いた。一緒にどうかね?」
「天の川、織女牽牛、織姫彦星、夏の大三角に笹の葉、短冊、願い事。あと何だ?」
そういや小学生の頃、七夕ゼリーみたいなの食ったような、虚偽記憶のような、気がするなぁ。某所在住物書きはソーダ味のアイスをかじり、冷えた黄金色を飲みながら、扇風機の快風に浸っていた。
久方ぶりの年中行事ネタだ。2月にバレンタインがあり、3月はひなまつり。5月5日の子どもの日は別のお題であった。
「『7月7日』という日付についてのハナシを書くか、七夕からイメージする単語の方を重点的に書くか。伝説系に天文学、欲望に恋愛。切り口は、まぁ、そこそこ複数、有るっちゃ有るのか」
ま、俺はぼっちだから、七夕に誰かと予定なんざねぇけど。物書きは小さく息を吐き、アイスをかじる。
――――――
7月7日だ。七夕だ。猛暑の日曜日だ。
天の川を見に行こうとか、七夕の天の川イベントに行こうとか、天の川な七夕そうめん食べに行こうとか。そんな提案が浮かばない程度には酷い熱帯夜だ。
それもその筈。今日は最高気温が35℃で夜の気温も29℃前後。あつい(ふぁっきん熱帯夜)
あつい(大事二度宣言)
7月8日の最高予報が39℃とか絶対虚偽(願望)
七夕がもうちょっと秋寄りとか、なんなら4月あたりの涼しい頃なら、天の川も見に行きやすかったのに。
「つまり、天の川が見たいんだな?」
穏やかな白さの甚平で、晩ごはんの準備をしながら、先輩が私に声をかけてきた。
私の部屋の上階さんが七夕パーティーか何かしてるらしくて、バチクソに酷い騒音と振動なもんで、
管理人さんに対応してもらってる間、長い付き合いな職場の先輩のアパートに避難中。
ただでさえ暑さと湿気でメンタルと自律神経やられてるのに。ガチで迷惑ハナハダシイ。
で、お金とちょっとの食材をリリースして、先輩に晩ごはんとお茶を召喚してもらってる。
エアコンの涼しさの中で飲む40〜50℃前後はお腹に優しい心地で、滋味滋養。
今日のお茶はハーブティー。先輩がわざわざ、いきつけの茶っ葉屋さんから、私の具合の悪さに合わせてブレンドしてもらってきてくれたらしい。
オマケにそこの看板子狐がセラピーフォックスとして、先輩の部屋、私の膝の上に、絶賛無償出張中。
こやーん(コンコンかわいいです)
「来年、2025年9月8日が狙い目だと思う」
で、その先輩が、来年の「七夕じゃない日の天の川」の見方を情報提供してくれた。
「どこか、街の光から遠い、暗い場所。可能であれば山の上が望ましい。皆既月食だ」
「月食?」
「天の川はとても光が弱い。街灯や、月の光でも、見えづらくなる。皆既月食は、月を光らせる太陽の光を、地球全体が遮ってくれるわけだ」
「織姫と彦星の通せんぼしてるのに、弱いんだね」
「私も不勉強だからよく理解してないが、この月食のときに、一緒に天の川が見られることがあるらしい。見頃は、午前2時半付近から3時50分頃までだな」
「ふーん」
天の川って七夕オンリーなイメージあったけど、別に、七夕じゃなくても見られるんだ。
へー、って思いながら、またハーブティーを飲む。
「織姫と彦星も、七夕以外の日にこっそり、実は会ってたりするのかな」
「なんだって?」
七夕と皆既月食が重なる日をスマホで調べたけど、
2047年らしいから、スン……てなってやめた。
「だって天の川だって七夕以外の日に出てくるんだもん。織姫彦星も七夕以外に会ってたり、って」
「天の川が見られるのは天文現象で、織姫と彦星が会うのは伝説だろう」
「民間信仰はたまに後世によって書き換えられるって昔授業で聞いた。今の二人実は時々会ってる説」
「随分、随分な新説だな……?」
「あのな。全員が全員、友人がいると、思うなよ」
ぼっち万歳。19時着の題目を確認した某所在住物書きは、開口一発、孤独への讃歌を呟いた。
「『自分の』、自分と友達との思い出。無い。
『友達の立場からの』、友達の思い出、
あるいはその友達が所有している思い出。知らん。
女友達だの男友達だの、『恋人未満』あるいは『フられて友達に戻った相手としての』、思い出。
……ぼっち万歳」
ところで、本来存在しない筈の「思い出」を、事実として存在したようにガチで錯覚させる、「虚偽記憶」を作成することは可能だそうだな。
物書きはハタと閃き、「友達に虚偽の思い出を植え込む」物語を考えて、結局諦めた。
――――――
最高気温が体温どころか、微熱レベルに到達する予報の都内某所、某アパートの一室、昼。
部屋の主を藤森といい、遠い雪国出身の上京者。
今日も明日も冷房きかせた室内で籠城の予定で、白い甚平に身を包み、室内にひとつ風鈴を飾っている。
チリン、 チリリン。 エアコンの首振り送風によって揺れるガラスは多分冷涼な響き。外は地獄。
ところで近所の稲荷神社在住の子狐が、藤森の部屋をクールスポットか何かと勘違いしている。
くわわ、くわぁ、くわうぅ。
某最高品質のヒンヤリN冷涼ベッドに陣取り、
それはそれは、もう、それは。幸福に寝言など鳴いて狐団子を形成し、時折寝ぼけてタオルケットを毛づくろいしようとペロペロ。
コンコン子狐は夢の中。涼しい朝霧の中で寝転がり遊んだ去年、友だちの思い出の中に居るのだ。
「そういや藤森。去年のアレ、まだ貰ってないぞ」
その涼しい室内へ遊びに来たのが藤森の親友。
宇曽野である。土産にコンビニアイスを持参した。
ニヤリイタズラ顔で、右手を差し出し、ちょいちょい人さし指を振って何かを催促している。
「『去年のアレ』?」
藤森は宇曽野の申し出に首を小さく傾けた。
世話好きな宇曽野からはよく助けられているので、藤森は彼との借りと貸しの収支が時折分からなくなる――心当たりがあり過ぎるし、返礼済と未済の時系列が記憶内メモを読み込まなければ迷子なのだ。
「去年のアレとは?」
「今頃の『賭け』のハナシだ。例の『星空』の」
「ほしぞら?」
「青い池。白い雨粒が水面に落ちて星空。その絶景の名前を言い当てられるかどうか」
「『それ』はお前との賭けではない」
「お前のとこの後輩とはしただろう。コーヒーとアイス代。チャンスは3回。思い出したか?」
「彼女は当てられなかった」
「俺は当てたぞ」
「当たり前だ。数年前にお前と行ったんだから」
「……懐かしいな。夏の雪国」
自分が買ってきたアイスのカップを、ポン。
ひとつ藤森に投げ渡して、宇曽野が言った。
「青い池と、デカい岩の海岸と。海は波が岩と岩の隙間を叩いて、間欠泉のようになってた」
「私が何度も『濡れるぞ』と忠告したのに、面白がって覗いて。間欠泉の直撃を食らったのがお前だ」
カップを受け取った藤森がチラリ冷涼ベッドを見ると、寝ていた筈の子狐の姿が無い。
それもそのはず。自慢の耳と鼻と本能とで、アイスの存在を感知したのだ。
藤森の足元で、行儀よく「おすわり」をして、尻尾をブンブンのビタンビタン。目をダイヤモンドレベルに輝かせている――「こぎつね。お前のじゃないぞ」
「俺だけ完全に、びしょ濡れになってな。お前が車にバスタオルと着替えを積んでいたから助かった」
「どうせやらかすだろうと思ったんだ」
「お前にはあの日、随分世話になったなぁ」
「行動的過ぎるお前をカバーする私の身にもなれ。
あの冬もそうだった。船の上で女の子の飛んだ帽子を取ろうとして海に落ちかけた。私の実家では庭の雪にダイブして、その雪の上に2階からも、」
「2階からのダイブはお前もガキの頃やったんだろ。俺はお前の思い出を真似しただけだ。『ここは冬ともかく大量に雪が積もるから』と教えてくれたのは」
「だ、ま、れ」
はっはっは!軽く笑い飛ばす宇曽野は、それから穏やかにひとつ、ため息を吐いてアイスを食う。
「藤森」
ぽつり、宇曽野が親友を呼んだ。
呼ばれた方は、「友だちの思い出」のドタバタ道中のアレやコレに言及しようと視線を合わせるが、
途端、視界から外れた己の膝に重量を感じた。
「藤森。あのな」
宇曽野が言った。
「早く食わないと、多分食われるぞ」
膝の上に居たのは藤森のアイスを狙い口をあんぐり開けて体と前足を伸ばす子狐で、
藤森は慌ててカップとスプーンを天井に掲げた。
「『星が溢れる』、『星空の下で』、『流れ星に願いを』。4度目の星ネタよな」
某所在住物書きは過去投稿分を辿りながらガリガリ首筋をかき、天井を見上げた。
そろそろ、ネタも枯渇する頃である。
「溢れる星は、『星みたいなフクジュソウ』が花畑に溢れてるってことにして、星空の下の話は桜の花を星に見立てて花見ネタ。流れ星は桜吹雪書いたわ」
王道の星空ネタに、星を別の物に例えた変化球。他に何を書けるやら。物書きは今日もため息を吐き、固い頭でうんうん悩んで物語を組む。
――――――
最近最近の都内某所、某職場某支店、朝。
ポケっと狐につままれたような、あるいは納得いかないものを抱えているような、ともかく複雑至極の寝不足顔が、ひとり、席につく。
「おはよー……」
ふわわ、わわぁ。大きなあくびをかみ殺し、ノートとタブレットの電源を入れてから、眠気覚ましをイッキ、刺激強めグミのサイダー味を数粒。
「頑張ってよ〜後輩ちゃん」
今日は土曜日、午前でお仕事終わりなんだから。
寝不足顔を「後輩」と呼ぶのは、「彼女の先輩と、先輩の前々職で一緒に仕事をした友人」。
名前を付烏月、ツウキという。
「昨日俺、藤森と一緒に深夜まで、猛暑吹き飛ばす系のポッピングぱちぱちアイス仕込んだから」
休憩室の冷凍庫に入れといたよ。あとで皆で食べようよ。付烏月がそう付け足して、「後輩」を見る。
「『昨日』、『深夜まで』?『藤森と』?」
後輩は一気に目が覚めた――悪い意味で。
藤森とは先輩の名前である。
「私、その先輩と『深夜に』稲荷神社で会った」
何故先輩が異なる場所で同時に存在しているのだ。
後輩はすっかり目が覚め、己の体験を話し始めた。
――「昨日の夜も、ほら、熱帯夜だったじゃん。私、ちょっとお酒飲んでお散歩してたの」
後輩の主張する、付烏月が昨晩一緒に居た筈の先輩と稲荷神社で会った筈の証言。
後輩は当時暑さのせいで寝付けず、一旦就寝を諦めて、低アルコール度数の缶チゥハイなどキメて夜風の散歩と洒落込んだ。午前2時頃のことだという。
『わぁ。涼しい。涼しい気がする』
酒が体にまわり、体温がそこそこ上がって、ゆえに外の微風を冷涼に感じる。
ほろり、ほろり。上機嫌で歩く後輩は上機嫌で、己の先輩がよく花の写真を撮りに行く稲荷神社まで歩いて歩いて、鳥居をくぐった。
「それ絶対、お酒に酔ってて別の誰かを藤森と見間違えたってオチじゃないの?」
「いや、ホントに藤森先輩に見えたんだって。声も似てたし。そもそも稲荷神社に居たし」
深めの森の中にある神社は涼しく、居心地が良い。後輩は軽快な足取りで、整備された参道を歩き、
木々の間から少し星空の見える気がする花畑で、何かの小さな石碑に腰掛け、胸に白い花を飾り、わずかな星空を見上げている「先輩」を発見した。
『あれ。先輩も寝苦しくて、散歩?』
『こんばんは』
「先輩」は少し首を傾け、他人行儀に挨拶を返した。
『少し酔っていらしゃるようだ。この時間帯にひとりで出歩いては危ないと思うけれど、大丈夫?』
石碑の下にはキンポウゲ科がさらさら揺れており、
神社在住の子狐が、ドッキリ企画風の横看板を、「過去投稿分6月16日」と書かれたそれを、前足で器用に掲げ持っている。
『悪いオバケに、心魂を食われてしまうよ』
ところで「先輩」は何故こうも他人行儀なのか。
「だから。酔っ払って見間違えたんでしょって」
「違うもん。絶対、声は似てたもん」
『最近どう?仕事押し付けられてない?』
『私個人としては、「仕事」はしょっちゅう押し付けられているけれど……多分いや確実に、あなたの知りたい方ではないなぁ』
『知りたい方って?前部署のクソ上司だけじゃなく、今の緒天戸からも仕事バチクソ押し付けられるようになったってハナシ?』
『あなたの先輩は随分苦労人のようだね』
『他人事じゃないでしょって。先輩自身のことでしょって。いっつも無理しちゃうんだから』
『そうなのか。大変だね』
話がかみ合わない。後輩も不思議に思い始めたが、ほろ酔い気分で推理してもロクに頭が回らない。
『あのね、』
いつもは花を愛でるのに、今日は星空で珍しいね。
後輩が話題を振ろうと「先輩」に視線を向けると、
『……せんぱい?』
午前2時半。「先輩」はいつの間にか姿を――
――「うん。ひとりで静かに星空見てたのに酔っぱらいに絡まれて、付き合いきれなくなったんだね」
はい、はい。 話を聞いた付烏月は大きく頷いた。
同情の表情は昨日星空を見上げていたであろう「先輩」もとい「誰か」への小さな謝罪。
ウチの後輩ちゃんが、ご迷惑をおかけしました。
「だって私、本当に、ホントに……」
本当に、私は「先輩」と星空を見ながら、話をしていたのだ。なおも反論したい後輩だが、段々自信が無くなって、声が小さくなっていく。
「……『誰』と星空見てたんだろ」
付烏月はただ、大きくため息を吐くだけ。
「だから藤森と見間違えた別の誰かでしょ」