「『間違いだったとしても』。誤認逮捕とか?料理の注文の間違いとか?マークシートテストの回答がズレたりとかも、アリっちゃアリか?」
去年は二次創作の解釈がどうとかでハナシを書いた。
某所在住物書きは「間違い」のシチュエーションを探しながら、しかし意外と自分ひとりでは思いつかず、結局ネットにヒントを求めている。
加齢のせいでネタの引き出しが少ないのだ。
「一人旅で、道間違えたことはあったわ」
エモネタを不得意とする物書き。最終的にたどり着いたのは己の経験談である。
「間違ったけど、穴場な公園にブチ当たってさ。なかなかキレイだったし満足だったよ。ぼっちだけど」
別に寂しくない――さびしくない。
――――――
前回の投稿の続きモドキ、最近最近の都内某所、某稲荷神社近くの「稲荷の茶っ葉屋さん」、お得意様専用の完全個室な飲食スペース。
夜である。看板猫ならぬ看板子狐が、狐型の配膳ロボットを背後に1台オトモにつけて、トッテッテ、チッテッテ。ゴキゲンに廊下を歩いている。
通路最奥の部屋に着いた。
コンコン子狐は器用に前足で、個室のふすまを開け、座っている客の膝に突撃し、秒でその上に乗っかって尻尾をブンブン。腹を見せた。
個室に居る人間は2人。
子狐にコンコンアタックされている方を藤森、
そうでない方を付烏月、ツウキという。
「あるぇ。料理、間違ってる」
くぁー、くわぁー!カカカッ、くわぅぅ!
甘え鳴きまくる子狐の相手をしている藤森の代わりに配膳ロボットからトレーを受け取る付烏月。
己の頼んだ方ではない料理が届いたため、店員呼び出しボタンを探している。
「多分、あなたが迷った方、食べたかった方だ」
どうせ金銭面を理由に諦めたんだろう。藤森は淡々と付け足して、箸入れのフタを開けた。
「この店の店主のイタズラさ。あなたが注文で迷って、『こっちの方が安いから』とかで妥協すると、たまにそれに、店主が気付くんだ。
届いた料理がたとえ間違いだったとしても、多分それは、あなたが実際に食べたかった方だ」
「部屋に監視カメラ?注文パネルにAIとか?」
「いいや。何も。一切」
「子狐ちゃんがリーク?」
「子狐が来るのは配膳の時だ。注文前ではない」
「藤森と店主さんがグル」
「私もイタズラされる側だ」
「ちなみに、何と何で、」
「春の豪華山菜御膳5550円と茶漬け580円」
「……加元がウチの支店に来たよ」
コンコンコン、こやーん。
料理も飲み物も届いたところで、付烏月が話を切り出し、スマホをテーブルの上へ。
加元は藤森の元恋人。
去年藤森からやんわり縁を切られ、しかしヨリを戻したくて、先月藤森の勤務先に就職してきた。
「俺のデスクに、ペットカメラ、仕掛けといたの」
付烏月は言った。スマホのディスプレイの中では、中性的な細身が支店長と談笑している。
「昼休みに寄ったみたい。お前の後輩ちゃんは俺が昼飯で外に連れ出してたから、会ってないよ」
座席表を確認して、二度見して、小さく首を振りため息を吐く中性の唇が、「ぶしやまさん」、と動く。
附子山は藤森の旧姓。
どの店、どの部署に居るか、探しているのだ。
「間違いだっただろうか」
今度は藤森がため息を吐く番。
「加元さんにもっと、キッパリ、『もう愛していない』と言っていれば。『後輩や親友に迷惑がかかるから、会わないでほしい』と伝えていれば」
そうすれば、今こうやって、あなたや後輩に苦労をかけることも、なかったのに。
再度息を吐く藤森は、視線を落とし、ゆえに子狐と目が合って、べろんべろんべろん。鼻を舐められる。
「間違いだとしても、必要なことだとは思うよん」
応じる付烏月はべろんべろんを面白がって、藤森の困り顔を見ながら、手毬稲荷をつまむ。
「ああいうタイプのひとって、他人から何言われようと、自分で納得しなきゃ引き下がらないから」
お前が「去年」の「11月13日」に何と言っていようと、何を拒絶しようと、結果は一緒になってたよ。
そう付け足して、ただ穏やかに笑った。
「……ところで藤森」
「なんだ」
「俺、これ、どっちで支払うの?俺自身が注文した方の額?店主さんが意図的に『間違えた』方の額?」
「注文履歴を見れば分かるだろう」
「おっふ、……はい、………はい……」
「月の雫は露の別名、またはブドウを使ったお菓子。雫酒はその名のとおり雫の一滴一滴を集めた酒。
雫石は地名でアマゾンの雫はピーマンで露草は草」
意外と色々あるのな。某所在住物書きは「の雫 酒」で検索をかけながら、これは高いが美味そう、これは手頃だからすぐ買える等々、検索結果を眺めていた。
「雨系のネタと親和性高いのは、去年も考えてた」
というのも、このアプリにおいて「雨」や「空」に関するお題は比較的多く遭遇するのだ。
「空系、雨系で何かハナシのストック作っておいて、いざというときにそこから引っ張ってきて」
まぁ、ひとつの手よな。物書きはメモアプリを開き、書きかけの200字をスワイプでコピペして、
そこから物語を繋げられず、結局新規作成に戻った。
――――――
今日も雨、明後日も雨予報。今週の東京の前半は、どうやら天気があまり良くないらしい。
ともかく髪のセットが面倒。
同じ支店勤務で、1週間だけウチの支店に体験勤務の新卒ちゃんは、申し訳無さそうに寝癖直しスプレーで、広がる癖っ毛を抑え込もうとしてる。
私愛用の流さない多機能ヘアトリートメント塗ってあげたら、「この人は神か」って顔された。
学生時代は親の支援で、ずっとずっと、縮毛矯正でなんとかしてたんだってさ。
わかる(フォロワーさんにも苦労してる人がいる)
わかる(湿気に負けるな新卒ちゃん)
「ただいま戻りましたぁー!」
外回りの野暮用から帰ってきた付烏月さん、ツウキさんは、タイミング悪く雨に当たっちゃったらしい。
「うへぇ、水もしたたる、……へっッくしょい!!」
すいません、ちょっと、タオルタイム貰います。
髪から雫をポツポツ床に落としながら、こっちもこっちで、申し訳無さそうに。
「あ、後輩ちゃん、丁度良いところにヘアオイル持ってるじゃん。ゴメンあとで貸して」
「1回500円。多機能ヘアトリートメントね」
「物々交換オッケー?クッキー焼いたの」
「あざます!」
「あと新卒ちゃんの顔真っ青、どしたの」
「大丈夫多分『500円』を真に受けてるだけ」
ぽたぽた、ポツポツ。
制服の上着を軽く乾燥機にかけて、タオルで頭の水分を飛ばして。床に落ちた雫はそのままにしておけないから、モップで拭いて。
「そういえば、」
で、付烏月さんが、私に言った。
「珍しく雨の日に加元を見たよん」
加元。かもと。今どこに住んでて、どの部署で仕事してるとも知れない先輩の元恋人。
雨も自然も田舎も嫌いで、厳選厨の理想押しつけ厨で、恋に恋したいだけで、わざわざ先輩を探し出してヨリを戻すためにウチの本店に就職してきた。
「まじ?」
「うん。俺のこと見た途端逃げてった」
「ナンデ?」
「知らな〜い。4月12日付近にアパートでバッタリして、声かけてから、まるで俺が天敵みたいにさ」
「ふーん」
私も先輩の居場所は確証が持ててない状態だけど、
加元さんも同じく、あるいは私より全然、先輩の3月からの異動先は掴めてないらしい。
「後輩ちゃん、お昼だけど、一緒に外行かない?」
遠くを見て、何か考え事をして、それからそのまま視線を移さず、付烏月さんが私に言った。
「なんとなくね、俺の勘が、今日のお昼休みは支店から離れた方が良いような気がするって。囁いてるの」
付烏月さんが見つめてる「遠く」には、支店の窓。
ガラスに小さな雫が付いて、落ちて。 外は加元さんが嫌いで先輩が大好きな、雨が降ってる。
「何も、要らない、炒らない、入らない、射らない。一応、4個くらいは候補があるのか」
ひらがなのお題は漢字変換による「変わり玉」がはかどる。某所在住物書きはスマホの予測変換を見ながら、今回のハナシをどうするか思考していた。
「いらない何も」だと某歌になる。「何も射らない」は弓道やアーチェリーの青春かもしれない。
「入らない」は少々強引か。物書きは首を傾けた。
「19年前だってよ」
何がとは、敢えて、何も言わない。
「そら歳食うわな。もう何歳たりとも要らんけど」
――――――
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。
某森深めの稲荷神社に住む子狐は、不思議なお餅を売り歩き、郵便屋さんごっこなんかもする、不思議な子狐。たまに「誰か」の夢を見ます。
それは神社にお参りに来た誰かの祈り。お賽銭を投げ入れた誰かの願い。お餅を買った誰かの嘆き。
実在した過去の場合もあれば、いつか来てほしい未来のときもあります。
誰かの夢にお邪魔して、お散歩して、別の誰かの夢の中へ。そのお散歩を、少しだけ覗いてみましょう。
――『今年度で、辞めようと考えています』
子狐がその夜最初に訪れたのは、餅売り子狐のたったひとりのお得意様、大好きな参拝者さんの夢の中。
『付烏月さんには本当に、お世話になりました』
どうやら舞台は実際にあった過去の様子。前々職の図書館、夜の事務室で、今より少し若いお得意様が、
疲れたような、やさぐれてるような、ともかく今より暗い目をして、誰かに話をしています。
お得意様は名前を、藤森、といいました。
『契約満了オツカレサマーみたいなの、要る?』
「ツウキさん」と呼ばれた男性は、小さなメモパッドから1枚弾いて、サラリサラリ。
だけど藤森、疲れた目のまま言いました。
『何も。要りません』
ところでツウキさんのデスク、美味しそうなキューブケーキが上がっています。しめしめ。
コンコン子狐は夢の中で、ケーキを賞味しました。
とてとて、ちてちて。次の夢へ行きましょう。
――『緑茶の茶っ葉で焙じ茶?』
子狐がその夜2番目に訪れたのは、最初の夢に出てきた「ツウキ」、付烏月という男の夢でした。
『なんか、フライパンとかで、茶っ葉を炒るとか?』
舞台は実際にあった過去やら、あるいはこれから起こり得る未来やら。ともかく某アパートの一室です。
『炒らない炒らない。フライパンも要らない』
部屋には1名、お客様。こちらはお得意様である藤森の後輩。子狐をよくナデナデしてくれます。
『何もいらないの。コレにブチ込むだけ』
茶っ葉を入れて火を灯せば、勝手に焙じ茶になるの。
藤森の後輩は部屋の真ん中で、香炉にティーキャンドルを入れ、その上のお皿に茶葉を落としました。
『キャンドルの熱で炒るワケだ』
『だから、炒ってないって。ちょっと違うの』
炒る炒らない、要る要らない。問答はもう少し続く模様。コンコン子狐はどさくさに、テーブルの上の塩あられを賞味しました。
とてとて、ちてちて。最後の夢へ行きましょう。
――『8年前もこうして、終電乗って逃げたんだね』
子狐がその日最後に訪れたのは……ハテ、これは誰の夢でしょう。誰かの過去でも未来でもなく、どうやら夢の主の「ナニカ」のようです。
『やっと会えた。附子山さん』
舞台は都内某地下鉄の某ホーム。夢の主から少し離れた所で、大きめのキャリートランクひとつを道連れに、なんと、子狐のお得意様が列車を待っています。
あれれ。でもおかしいな。
お得意様は名前を、藤森、といった筈なのに。
『私はあなたの、解釈違いなのだろう』
附子山と呼ばれた藤森、暗い目をして言いました。
『どこも何も、気にいらない筈だ。そんな私と今更ヨリを戻そうなど、ワケが分からないが、』
額と、鼻筋にシワを寄せて、まるで子狐のお父さんが威嚇するような、強い拒絶の顔をしています。
『そんなに欲しいなら、私など、くれてやる。その代わり今後、私の親友と後輩に、一切手を出すな』
『やっぱり附子山さんは、その顔でなくちゃ』
夢の主が、静かに威嚇する藤森に言いました。
『やっと戻ってきた。私の解釈一致の附子山さん』
うーん、この夢に、美味しいものは無いようです。
この夢の物は、コンコン子狐、何も要りません。
とてとて、ちてちて。最後は空振り。ちょっとしょんぼりして、子狐、帰ってゆきましたとさ。
「過去と現在を記録することで、未来が見えてくる、ってのが、天気予報の降水確率だっけ?」
「もしも」どころか実際に「未来を見れる」、予測できているから、お題とは少々違うかもしれんが。
まぁ未来の天気を見れるから、明日は家でゴロ寝よ。
某所在住物書きはスマホの天気予報を確認しながら、ポテチなどカリカリかじっている。
確率として、事実未来を見れるから、後日の予測が可能。これは今日のハナシに丁度良いと考えた。
「他に未来を見る方法っていえば……なんだろな」
次回日本で見られる皆既日食や皆既月食の日付とか?物書きは呟いた。 ネット検索によると、前者が見られるのは2035年9月2日の能登半島から北関東にかけて、後者に関しては来年の9月8日だという。
――――――
例年の「4月」が何℃前後で推移していたか、感覚が麻痺する程度には夏日の頻出する東京である。
都内某所、某比較的閑静な住宅街の一軒家では、
諸事情で3月から居候している雪国出身者が、スマホの天気予報、特に来週の木曜日の最高気温に絶望して、開いた口が塞がらない。
25℃である。夏である。
故郷の6〜7月相当の最高気温に多大な衝撃を受けているこの雪の人は、名前を藤森といった。
『生きてるか?来週の木金もリモートにするか?』
直属の上司の緒天戸からは、藤森宛てのショートメッセージがピロンピロン。
彼もニュースか何かで、天気予報を見たのだろう。
あるいは彼の孫、藤森の居候先の一軒家の家主、親友の宇曽野からのリークを受け取ったか。
高温により宇曽野邸で今日も藤森が溶けていると。
『お気遣いありがとうございます』
なかば定型文的、自動回答的に、メッセージを返す。
『生きています。木金、問題ありません
暑くなる前に出勤して涼しくなってから帰ります』
未来を直視した影響により、藤森の思考は過負荷で一部思考が重くなっている。
おのれエルニーニョ。おのれ季節外れの高温。
頭がサッパリ働かない藤森は、宇曽野から恵んでもらったガリガリアイスをかじり、口に含み、脳のクールダウンを試みて、結局失敗しているようであった。
要するに藤森にとって未来と現在が双方暑いのだ。
スワイプスワイプ、更新。「実は木曜日の25℃予報、予報アルゴリズムのバグでして、本当はもう少し涼しいです」の都合良い未来を見れやしないかと、
スマホに指を滑らせていた藤森。
「11時だ。 そろそろ、メシの準備をしないと」
再度明記するが、未来の最高気温を見てしまったために、藤森の思考は過負荷状態である。
なかば本能的、なかば義務か責任か使命近辺のそれで、藤森はフラフラ、キッチンに向かった。
その義務か責任か使命近辺の行動にヒヤリハットの未来しか見えないのが家主の宇曽野である。
「おい藤森。ふじもり」
「なんだ、うその。メニューのリクエストか」
「そうじゃなくて」
「申し訳ないが、きょうは、つめたい食い物でカンベンしてくれ。わたしがとけてしまう」
「そうじゃなくてだな。 俺がお前に部屋を貸してやって、お前がそれに恩を感じてくれてるのは構わんし、毎日飯の用意だの家事の手伝いだのをしてくれるのも助かるが、そのフラフラで料理されても」
「ひやしめんはキライか?」
「麺の前に頭冷やせ。な」
ふわふわふわ、フラフラフラ。
雪の人藤森は綿雪のように、ガリガリアイスを咥えさせられ宇曽野に背中を押されて、軽く軽くソファーまで運ばれていく。
「うその、おまえ、料理できるのか」
「今の状態のお前よりは、俺がざる蕎麦なり冷やしパスタなり作った方が何百倍も安全だ」
「ひやしパスタにするか?」
「座ってろ。今日はキッチンに立つな」
あーあー。こいつは。この義理堅い真面目な親友は。
大きく長いため息ひとつ吐いて、今日の25℃と来週木曜の25℃予報に溶け気味の親友をソファーに座らせた宇曽野は、髪をかき上げ手を洗い、厨房に立つ。
もしも未来を見れるなら、数十分後のそれには、
室温が上がって更にデロンデロンに溶けた藤森と、
ツナと塩レモンのクリームパスタを手に二度目のため息を吐く宇曽野が映っていることだろう。
「個人的には無色透明、色彩学的には色の偏りが無いこと、仏教としては色欲が無いこと。『無色』つっても、色々あるのな……」
俺エモネタ不得意だから、「あなたが居なくなった世界には色彩が無い」とかそういうの難しいんだわ。
某所在住物書きは「無色」の検索結果を辿り、ポツリ。今回のお題で採用すべき定義を探している。
色彩学のそれは、物語に取り入れるのは簡単であろう。つまり無色イコール完全な単色なのだから。
「……でも赤一色、青一色を『無色』とは、なかなか言いづらいような、気がするわな」
では仏教いくか?物書きは首を傾ける。
「無色の世界、無色界……?」
――――――
無色界【む-しき-かい】
物質的・物質そのものに起因する欲から完全に離れ、精神のみが存在する世界のこと。
仏語で三界のひとつ。一切の衆生は下記三界、欲界・色界・無色界の中で、生死流転を繰り返す。
人間の三大欲求など、本能的な欲求に強く囚われている「欲界」の、その上に食欲や淫欲から離脱した「色界」がある。「無色界」は色界でも残っていた色欲、美しさへの執着からも離脱して、物質的な欲望から完全に開放されている。
要するに三大欲求も精神的執着も無い世界である。
「――ってことは、マッケのチキンタッター食べられないし、鶴カプに悶えることもできないの?」
「ツルカプは知らんが、チキンタッターは『不殺生』に引っかかって、そもそも食えんな」
桜の見頃が終わって、ほんの少しだけ観光客が減った気がしないでもなくて、
東京は、今日も20℃超えの4月だ。
昼休憩少し前に、珍しくウチの支店に来た「常連さんじゃないお客さん」が、なんとも「春らしい人」で、
要するにちょっとヘンで、妙な宗教の信者さんで、
殺生ヤメロだの暴食反対だの、お前たちはイロの無いムシキカイに落ちるだの、言いたい放題に言って帰ってった――数百枚の宗教勧誘のチラシ置いて。
3月にこの支店に移動してきて、初めてのヘンなお客さんだった。本店ではもっとヘンなオキャクサマと、1週間に1回くらいはエンカウントしてたのに。
……ムシキカイに落ちる、ねぇ(厨二臭を察知)
『仏教をベースにした、トンデモ新興宗教だな』
通称「教授」、昔民俗学の先生か何かをしてたっていう支店長が、チベットスナギツネの嘲笑みたいな顔して宗教勧誘のチラシをつまんだ。
『無色界は「色彩が存在しない地獄」ではない。「色欲から離脱した衆生の世界」なのだよ』
もう少しあのトンデモカスタマーが居座ってくれれば、■■年ぶりに私の特別講義が開講されたのだが。
世の中は無情、と言うほかあるまい。
ぺちん。つまんでたチラシを弾いて、午前の仕事のラストスパートをかけてた私の方を見て、
ゆらぁり、支店長は視線と顔を傾けた。
『君、「無色界」の本当の意味を知っているかね』
で、ハナシは冒頭に戻る。
つまり無色の世界はチキン食べられない、推しCPに悶えられない世界だと。
「無色界かぁ」
私と同じく3月にこの支店に来た付烏月さん、ツウキさんが、支店長に言われて例の膨大な量のチラシをばりばりシュレッダーしながら言った。
「多分、さっき来たオキャクサマーは、ガッツリ精神的執着に囚われちゃってるんだろうね〜」
どっちが「色界に落ちる」、「欲界に落ちる」やら。
付烏月さんはのんびりコーヒーを飲みながら、ばりばり、ばりばり。シュレッダーにチラシを食わせて補充して補充して、また補充してた。
教授支店長は付烏月さんの発言にも民俗学的豆知識を追加しようとしてたみたいだけど、
その前に電話が鳴って、付烏月さんが取って、すぐ保留押して支店長に回しちゃったせいで、
結局、口を塞がれた格好になっちゃった。
「ところで後輩ちゃん」
「なぁに付烏月さん」
「あの、俺附子山だよ後輩ちゃん。ブシヤマ」
「どしたのツウキさん」
「本日の自家製スイーツ、いかがなさいますか」
「また作ってきたの?」
「いわゆる『無色』、白〜いふわふわプチパンを使って、白〜いホイップクリームとバナナとリンゴとイチゴ等々を挟んだフルーツサンドの世界」
「イチゴは白じゃなくないですか附子山さん」
「白いイチゴ、あるんだよ、アルンダヨ……」