昨日机の中に置き忘れた宿題をやろうと思って、いつもより早く家を出た。
教室のドアを開けると、そこには話したことのないクラスメイトがいて、わたしは声をかけた。
「おはよう。もしかして宿題忘れた?」
「忘れてないよ」
と彼女は真顔で言った。
「そうなんだ、早いんだね」
彼女は「あの……」と声を出して、それから「友だちになってくれない?」と続けた。
わたしは「そうだなあ」と空に目をやる。彼女に目をやると不安そうにしているのがわかる。
「明日もこの時間に会えたら」
友だちになるなら、少しずつ近づきたい。そう続けると、彼女は大きく何度も頷いた。
「明日も、明後日も、その次も、ずっとずっと来るから!」
もう友だちだな。とわたしは思っているが、なんとなく言わないでおいた。
職場でパソコンをカタカタと鳴らしていると、周りの景色が変わった。
そこは教室で、エンピツの音だけが聞こえる。
テスト中だとわたしは気付く。
エンピツのリズムは心地よく、しばらく目を閉じていると徐々に音が消えていった。
教室は静寂に包まれる。
わたしがいなくなった。
それがわかったとき目を開けた。
カタカタとまた音が聞こえた。
「あれ? なんか雰囲気変わった?」
と気になっていた同僚に声をかけられる。
「それはデートのお誘い?」
自分でも思っていない言葉が自然に出て、とっさに「あ、なんでもない」と否定する。
「なんでもなくなければよかったのに」と同僚は答えた。
また音が消えていく。
心だけがここにある。
この道を右に行けば彼女の家で、左に行けば私の家だ。
そこで彼女は別れ際、いつものように「じゃあ」と言ってさっさと帰ろうとする。
いやいや、じゃあ、じゃないでしょ。と慌てる私に彼女はきょとんとしている。卒業式の後なんだよ、もうちょっと余韻があってよくない?
「え、でも近所だし、明日も会う予定でしょ?」
なんて言われる始末。まあ、そうなんだけど、ゴニョゴニョと言う私。
「じゃあめんどくさいから」と言って彼女は私の頭を撫でた。そして「じゃあね」と足早に背を向けた。
ますます余韻が必要になってしまった。
ベランダでタバコをふかして見る空に、雨の境い目がはっきり映る。過ぎ去ったところには虹が出ている。おそらくここにも通り雨がきて、それから虹をかけるのかもしれない。
なんだそうか、世界はただそうやって今の景色を浮かべているだけか。
なんて美しいんだろう。
わたしは今、死ぬのをやめた。
「秋生まれの秋です」
と、そのアイドルは自己紹介している。
6歳のころから変わらない。
少し胸がぎゅっとなるのは、秋のせいだ。