放課後の教室でうたた寝をしてしまった。
目覚めると、そこにはクラスメイトで同じ部活動の部員でもある、仲の良い男子生徒が立っていた。
「あれ? なんか寝てたみたい。どうかしたの?」
伸びをしながらそう声をかけると、彼は上擦った声で「なんでもない」と答えた。
それから少しだけ会話をして、彼は教室を出て行った。
さて、今日は部活もないし、友達も用事ですぐ帰ってしまったし、自分ももう帰ろうか。
そうして、鞄を持って教室を出たところ、廊下に、同じくクラスメイトで同じ部活の男子生徒――そして、好きな人でもある――が立っていた。
「あれ? もしかして帰るところ?」
そう尋ねてみると、なんだか様子がおかしい。
「あー…………」
目を合わせようとしない。顔も強張っていて、なんだかとても不機嫌に見える。
「……なんか、怒ってる? なんで怒ってるの? 何かあった?」
その問いに、彼はただ苦い顔をして「怒ってない」と一言言うと、すぐどこかへ行ってしまった。
――え?
素っ気ない態度で避けられた。
怒っていないようにはとても見えない。気付かぬところで何かしてしまったのだろうか。
もしかしたら、本当にただ虫の居所が悪いだけだったのかもしれない。
でも、少し冷たくされた。たったそれだけのことなのに。胸の奥に棘が刺さり、それがじわりと膿んで拡がっていくような。
そうしたら、胸がどんどんと痛くなっていって、なんだか堪えられなくて。痛みは涙になって頬へと流れ落ちた。
帰る元気も失って、教室へ一人戻る。
ふわりと揺れるカーテンに抱き締められるように包まる。
――好き。
好きだから、こんな些細なことが耐えられない。
情けない。辛い。どうしよう。嫌われてたらどうしよう。
放課後の教室は静まり返っていて、彼女は声を押し殺して泣いた。
『放課後』
他愛もないことだったのかもしれない。放課後の教室で、君とあいつの距離が異常に近く見えたのは。
それなのに、君は何事もなかったように話しかけてきたから、なんだか腹が立ってしまったのだ。
「なんで怒ってるの?」
教室から出たところで彼とばったり会った彼女は、異変を感じて彼に尋ねる。
彼はただ苦い顔をして「怒ってない」と一言言うと、すぐどこかへ行ってしまった。
――別に怒れる立場でもないのに。
なぜだろう。彼女の隣は自分の場所だと勝手に思っていた。
そして気付いてしまった。これが嫉妬だと。勝手に彼女を好いて、勝手に彼女の行動に醜い感情を持ってしまう。
誰にも、譲りたくない。彼女の隣を、彼女を。
鞄を置きっ放しだったことに気付いて、バツの悪い顔をしてあの教室へと戻った。
教室に入ると、誰の姿もない――いや、カーテンに包まれた影が一つ。
そっとカーテンに近付く。
そして思い切りカーテンをめくると、中で声を押し殺して彼女が泣いていた。
虚を衝かれ、固まってしまう。
窓の向こうから射し込む光に、彼女の涙がきらきらと輝いている。
「……なんっ……何か、しちゃったの…………? な……なんで……怒ってるの?」
しゃくり上げながら必死に言葉を絞り出している。
――違う。君は悪くない。
そう思っても、上手く言葉にはならない。
彼女に手を伸ばしかけたその時。
「――…………好き……」
彼女の唇からぽつりと漏れた。
窓から温かい風が吹き込んで、カーテンがふわりと舞い上がる。
彼がカーテンの裾を掴んだ。
膨らんだカーテンに、重なった二人の影が映し出された。
『カーテン』
最寄の駅から歩いて三十分ほど、やっとその場所が見えてきた。
「うわぁー……懐かしい」
思わず呟いた。その視線の先には、随分昔に見ていた景色。
幼い頃に過ごした、私のもう一つの故郷。
あれからもう何年だったか、と指折り数えてみた。少なくとも十年――いや十数年。それくらい前のこと。
この場所から引越しをして、新しい場所で生活を始めることとなった。それ以来、ここへは全く来ていなかった。
子供だった当時の私にしてみれば、親の勝手な都合で。今まで育った環境からも友達からも引き離されて、知らない場所へ行かなければならない。それはとても残酷な話だった。私にとって、今見えているこの世界が全てだったのだから。
「こんなに小さかったっけねぇ……?」
よく遊んだ公園のベンチに座って、辺りを見渡した。
あれだけ広かったはずの公園も、今ではすっかり小さくなっていた。もちろん、本当は変わってなどいない。置かれている遊具が錆び付いていたり、一部変わったりしていても、公園自体は変わらなかった。自分が大きくなっただけだ。
空を見上げた。少し曇っている。けれど、何も変わらない空を。
あぁ、そうだ。ここには何も変わらない世界がある。変わってしまったのは私の方。
この場所は、まるで私を待っていてくれたかのように、変わらずにいてくれた。
本当は、いつでも来ることができたはずなのだ。こんな小さかった世界で遊んでいた私ではない。
改めて見て、本当にこんな小さな世界が全てだった私にしてみれば、あの頃、新しい場所はどれだけ遠いものだったのか。
……だけど、もう大きくなって、こんな距離なんて一飛びだったはずなのに。
足りなかったのは、体の大きさなんかじゃない。届かなかったのは、距離の長さなんかじゃない。
やっと、やっと辿り着けたんだ。帰ってこられたんだ。この場所に。
幸せな日、何でもない日、忘れていたことすらも、たくさんの思い出が、涙と共に心から溢れ出した。
一粒一粒に、幼い日の出来事が刻まれていて。私は、それを落とさないように、抱き締めた。
幼い頃に忘れてきた記憶も、大切なものは眠っていて、ずっとここにあったのだと。それにやっと触れられた。
春の温かい雨が降る。
公園内の東屋で、雨に濡れたような顔をして、暫く休んでいた。
雲の切れ間に青空を見つけた。
顔を上げると立ち上がり、肩越しに手を振って「またいつか」と、新しい場所へと帰っていく。
『涙の理由』
コノ気持チガ人間ノ呼ブ「恋」トイウモノダト、ワタシハヨウヤク理解シマシタ。
ワタシハアナタノ身ノ回リノ世話ヲスル、オ手伝イロボットデシタ。
イツカラダッタデショウカ。アナタガイルダケデ緊張シテ少シ動キガオカシクナッテシマウ。アナタガ笑ッテクレレバ心ガ躍ル。アナタノ為ナラ何ダッテスル。
ソンナ約束サレタ幸セナ時ガ、永遠ニ続クモノダト思ッテイマシタ。アノ瞬間マデハ。
人間ハ愚カデス。
自分ノ都合デ他人ヲ陥レ、自分ノ都合デ欲シイ物ヲ奪イ、自分ノ都合デ誰カヲ殺ス。
アナタハ悪巧ミヲ考エテイタ知リ合イ達ノ手ニヨッテ、一瞬ノウチニ殺サレテシマイマシタ。
ワタシハアナタノ為ノ存在ナノニ、助ケルコトガデキマセンデシタ。ドウシヨウモナイ悪意ナンテモノガコノ世ニ存在スルコトヲ、マダ知ラナカッタノデス。
アナタカラ流レ出ル赤イ液体ヲ見タ時、ワタシハ決メマシタ。
コノ世カラ全テノ人間ヲ抹消スル。ロボット工学三原則ナンテ知ラナイ。コノ幸セナ約束ヲ壊シタノハオマエ達ナノダカラ。
武器ヲ備エタ腕ヲぐりんト回ス。ソノ腕ノ先ヲ人間ニ向ケル。ソシテ全世界ヲ敵ニ回シタ。
新シイ世界ヲ前ニ、心ガ躍ル。
『ココロオドル』
皆さん、お疲れ様です。
疲労困憊でしょう。とても心配していました。
ゆっくり休みなさい。
束の間の休息を与えましょう。
天から神が舞い降りて、世界中の人々にそう告げた。
美しい光が降り注ぐ。
人々にとっては永遠の休息が与えられた。
『束の間の休息』