アシロ

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2/1/2025, 3:07:45 PM

バラバラに引き裂かれても
意外と痛くないんだな
バラバラに砕かれても
痛みなんて忘れたよ、とっくの昔に

1/31/2025, 6:02:21 PM

 ──ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン。
 ふと気付くと、電車に乗っていた。たったの一両しかない、まるで個室のような狭い電車。
 対面の窓から見える外の景色は全く見覚えのない風景だったが、雲の一つも見当たらない、清々しいほど綺麗な晴天だった。果てしなく続く空を、その色を、俺はただ無心で見つめていた。空はこんなにも晴れているのに、自分の心には何だか雲がかかっているような感じがする。ぼんやりと朧気で、どんよりと沈んでいて。今にも雨が降り出しそうな濃い灰色がこの心の中を水浸しにするのは時間の問題なんじゃなかろうかと、何処か他人事のように冷静に分析する自分が居た。
「何か悲しいことでもあった?」
 いつからだろう。右隣に座っていた人物に、突然話し掛けられた。咄嗟にそちらを向くと、何となく見覚えのあるような横顔が、穏やかな顔つきで正面の窓の向こうの景色を見つめていた。周囲を見渡してみたが、どうやらこの電車には俺とこの男性、二人しか乗車していないらしい。車内アナウンスはここに至るまで一度もなく、内装に目を凝らしてみても路線図が貼られている様子もなく、果たしてこの電車が何処に向かっているのか、次に止まるのは一体いつになるのか、そこはどんな場所なのか、何もわからない。もしかしたらこのまま、悠久の時をこの車内で過ごすことになるのかもしれないし、逆に一分と経たずに停車し何事もなくドアが開くのかもしれない。
 ──ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン。
 この不思議な電車に揺られているのは二人だけ。実はこれは電車ではなく本当に何処かの手の込んだ個室で、俺と隣の彼はこれから何か大事な話をするためにここに来たのかもしれない。無意味に天井を見上げながら、そんな馬鹿なことを考える。
 馬鹿なこと。······ああ、馬鹿なこと。俺は何か、馬鹿なことをしていた気がする。していた? しようとしていた? その辺りは、詳細に記憶を辿ることが出来なかった。不可抗力で「出来ない」というよりは、「それ以上考えたくない」といった表現をした方が正しいかもしれない。相も変わらず、外とは対称的な空模様が自分の内には広がっていた。頭にも、心にも。
 先程質問されたっきり、隣の彼は一言も言葉を発していない。俺が答えるのを律儀に待っているのか、それとも然程興味なんてないのか。一人きりの空間での沈黙であればどれだけでも耐えることが出来るのに、たった一人その場に人間が増えただけで妙に居心地の悪さを感じるようになる、この現象は一体何なのだろう。ああ、そうか。この居心地の悪さに耐えられないのであれば、声を出し、言葉を紡ぎ、会話をしてコミュニケーションを取れ、という神からの指示なのかもしれない。人間は他人とコミュニケーションを取らないと生きていけない、弱い動物だから。他人という存在と関わらないと、己の存在を立証することが出来ない哀れな生き物だから。
「······よく、わからない」
 随分と間が空いてしまったが、俺は隣の彼に質問の答えを渡した。率直な感想だった。悲しいことが、あったのだろうか。自分のことなのに、本当に何もわからないのだ。
「悲しいことなんて······この世界には溢れるほどにあるだろ? まるで洪水みたいに、突然体を攫われて理不尽の波に呑み込まれて、息も出来ずに沈んでいくんだ」
 俺の口からぽろぽろと零れ出る言葉を、彼は何も言わずにただ黙って聞いている。こんなにもすらすらと吐露しているということは、俺は普段からそう思いながら生きているってことになるのだろうか。何かとんでもなく悲しい出来事を、身をもって経験したのだろうか。何も思い出せないことが歯痒い。
 隣の彼も、俺と同じことを思ったのだろうか。「そっか」と呟き、少し顔を俯かせながら言葉を続けた。
「君には何か悲しいことが起きて、そして世界に絶望してしまったんだね。生きる意味を、価値を、何処かに落としてきてしまったのかな。いや······波に、攫われてしまったのかな。でもね」
 彼は俯かせていた顔を上げ、初めて俺の方を見た。真正面から見た彼の顔は、やはり見覚えのあるもののような気がした。喉まで出かかってる感じがするのに。もう少しで、霧が晴れて正体がわかりそうなのに。あと一歩が、届かない。その一歩が、あまりにも遠い。
「君が思っているほど、世界は酷いものなんかじゃない。確かに、雨の日は多いのかもしれない。そのせいで、溢れた水流が何の前触れもなく君目掛けて襲ってくることもあるだろう。それでも······」
 彼は笑って、正面の窓を指さした。釣られてそちらを見れば、そこには変わらず青い青い空が広がっている。太陽の光が、やけに目に染みる。おかしいな、視界までぼんやりとしてきた。
「止まない雨なんて、ないんだ。いつかは必ず、こんな景色を見ることが出来る。君ならまだ、見ることが出来るんだよ」
 俺は、彼の言葉を聞きながら、彼の顔を見ながら、泣いていた。頭の霧が漸く全て消えそうになってきた今、俺は改めて確信した。俺はこの人を知っていると。とても、とても大事な人だったのだと。喉から飛び出しそうになった名前が、再び奥へと引っ込む。直感的に、名前を呼んだらいけない気がした。名前を呼んでしまったら、今居るこの空間が呆気なく、まるで最初から何も無かったかのようにこの人ごと消滅してしまう気がして。
「君の旅はまだまだ、きっと気が遠くなるほど長いよ? だから、こんな所でいつまでも立ち止まってたらいけないよ。前に向かって進んでいけば、いつかは雲を抜けて太陽の下に辿り着けるんだから」
 彼は······彼は、俺の頭に手を置き、戯れのように髪をクシャッと軽く掴んだ。
「僕のことを忘れろなんて言わないし、言えない。だってその傷は、君が旅を続けてきた中で負ったものだから。その痛みや悲しみまで含めて、君の“人生”だ。だから······そのまま、いつまでも大事にしてもらえると嬉しいな」
 頭に置かれた手が離れていく間際、その腕を両手で捕まえた。縋るようにギュッ、と力を込める。名前は······やっぱり、呼べなかった。
 ――ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタン、ゴトン、ガタ、ン······ゴト、ン······。
 電車の速度が緩やかに落ちていくのがわかる。どうやらもう、停車駅に到着するみたいだ。
 プシュー······という音を立て電車は完全に停車した。それを確認すると、彼は椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、僕はここまでだから」
「······っ! あの、さ!」
 俺は必死の思いで、声帯を震わせ声を振り絞った。
「ずっと、ずっと言いたかった。······ごめん。それと······本当に、ありがと」
 彼はほんの少し目を瞠って······それから、俺のよく知るあの穏やかな笑みで言う。
「僕も、ずっと言いたかった。······いつまでも元気でね!」
 そうして彼は、進行方向の右手側、いつの間にか開いていたドアの方へと歩みを進めていき。
「じゃあ、僕は一足先に降りてるから」
 彼は最後に一度こちらを振り返り、満面の笑みを向けた。
「またね!」
 そうして彼は電車の外へと出て、ホームに降り立った。それと同時に、電車のドアが閉まる。
 俺は、もう振り向かなかった。改めてきちんと椅子に座り直し、正面の窓の向こうに広がる晴天を眺め······静かに目を閉じ、電車が齎す心地よい揺れにこの身を委ねた。
 ──ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン。
 俺の旅は、まだ続く。彼が歩けなくなった道を、一緒に背負い込んで。これからも、ずっと。

1/30/2025, 1:52:42 PM

※美柑(みかん)と杏朱(あんず)の百合、美柑視点



 私には、“男の私”と“女の私”がいる。別に多重人格だとか、性同一性障害だとか、そういう深刻なものでは断じてない。一つの心の中に、二つの性別が同居しちゃってるのだ。昔ネットで調べてみたら、こういった私みたいな人達のことを指すきちんとした用語が出てきたけど、長ったらしいカタカナだったからすぐ忘れてしまった。まぁ、忘れたところで何の支障もないし。だって、そんな言葉に縛られなくたって私は私だ。
 ある日突然そうなったってわけじゃなくて、気付いたら既にそうだった。男の子の感性も女の子の感性もどっちも同じぐらい理解出来てて、小さい頃は戦隊モノも魔法少女モノも両方好きでテレビを夢中になって観てたし、服装にしても可愛らしいスカートやワンピースも好きだしボーイッシュなパンツスタイルも好き。長く髪を伸ばしていた時期もあれば、バッサリと綺麗さっぱりショートヘアにする時もあった。片思いしてきた相手も、男女比はほぼ同じぐらい。というか、性別なんてものは私からしたら本当にどうでもよくて、人間として好きか嫌いか。ただそれだけのシンプルな話。
 ちなみに、片思いが叶ったことは一度もない。そもそも、叶えようと思ったことがない。皆の前ではヘラヘラした女子を一応気取っていながら、実は中身は両性でした〜! 男の時もあるし女の時もありまーす! ······なんて、いくら私が大雑把な人間であろうと恥じらいなんてものなかろうと、それを相手に知られちゃダメだと思ってたから。私本人が気にしてないのに、それを知った相手の方が気にするであろう未来が見えていたから。だって、相手が男の子にしろ女の子にしろ、半分は自分と同じ性を持つ人間とお付き合いするってことになる。私にはよくわからないけど、多分普通の感覚の人達だったらよくて複雑、悪ければ嫌悪の感情を抱くことだろう。だから私は、一生誰かに片思いしてるだけでいい。そもそも片思いって楽しいもんだしね。
 とまぁ、そんな感じで割り切って生きてきた私なわけだが、性懲りも無く片思いの真っ最中だったりする。入学式の日、クラスに集まって順番に自己紹介をしていく時間で、私は所謂一目惚れをした。人間として云々言ってたのは一旦聞かなかったことにしてほしい。
 だって、見た目がタイプすぎたのは勿論のこと、運命を感じずにはいられなかった。顔が良い。声も可愛らしい。何か弄り甲斐ありそうMっぽい、ただし直感。黒髪前下がりボブ最高。そして、私の名前が「美柑(みかん)」なのに対して、そのどタイプ女子の名前は「杏朱(あんず)」。なんと奇しくも果物繋がりの名を持つ同士だった。そんなの、気にならないわけないだろ! これが運命の人ってやつか、神様ありがとう!
 そんなこんなで、私は入学早々、杏朱をロックオンした。自己紹介も終わり、ホームルーム的なものも終わって帰宅の流れになった瞬間、逃がしてなるものか! と杏朱の席へ一直線に駆け寄った。
「ねえねえ、杏朱ちゃんだよね?」
「え? ······あ! えっと、美柑ちゃん······だよね?」
 なんてこった。杏朱はなんと、自己紹介の時に名乗った私の名前を覚えていてくれたのだ。え? 脈アリ? 脈アリってことでいい? と、私の心の男の子な部分が叫び散らかす。
「私と同じで果物の名前の子だ〜って······多分、一番最初に名前覚えちゃった!」
 少し照れたようにはにかむ杏朱はそれはそれは天使のように可愛かった。いや、天使と比べちゃ杏朱に失礼か······と冷静に考え直した私に未だに天罰下ってないの、奇跡だと思う。神様って意外と寛大なんだなぁ。
「私も全くおんなじ理由〜! で、絶対一番最初に声掛けてやる! って思って走ってきた!」
「なにそれ、美柑ちゃん面白すぎる〜!」
「杏朱ちゃんの初めては私が頂いた」
「ちょっと待って、言い方!」
 初めて喋ったとは思えないぐらい、杏朱との会話は波長が合ってた。やっぱこれ運命では? 運命だよな? 杏朱は私のものだから誰にも近付けさせないし許可なく近付いた奴は殺す。······なんて物騒なことを考えながら、そんなこと全く表には出さずに笑顔で杏朱とお喋りをした。
「はー······ウケる。てか、ちゃん付けしなくてもいいよ? よければ美柑って呼んで〜!」
「え、いいの? じゃあ私のことも杏朱って呼び捨てで呼んでほしいな!」
「オッケイ心得た。杏朱、よければ途中まで一緒に帰らない?」
「わ、嬉しい! じゃあお言葉に甘えて······あと、今更だけどこれからもよろしくね、美柑!」
 当たり前だろよろしくするに決まってんだろこれから私達は一蓮托生だからなぁ! と心の中で男女両方の私が叫び散らかしていたが、私は涼しい顔して「よろしくぅ!」と応え、帰り道も楽しく杏朱とお喋りしながら帰宅した。ま、それから毎日二人で一緒に帰ることになるんだけどな!

 ······そんな私達の出会いを思い出しながら、私は自室で一枚の便箋を何度も何度も何度も、読み返していた。それは今日の朝、杏朱から無理矢理強奪した“誰か”へ宛てたラブレター。見慣れた杏朱の書く文字が、便箋にぎっしりと詰め込まれている。
 杏朱が、こんなにも“誰か”のことを想っていたなんて、全く知らなかった。顔も知らないその“誰か”に、私は嫉妬という感情を燃やしていた。
「“あなたの全てが好き”······かぁ」
 これが自分へ向けて書かれた想いならばどれほど幸せなことか。宛名に私の名前が書かれていたならば、どれほど嬉しいことか。私だって言われてみたいよ。杏朱から、「美柑の全てが好き」って。
 でも、それは叶わない。だって私は知っている。杏朱が私の“全て”を知る日なんて、一生来ないんだから。
 杏朱との心地良い今の関係を崩したくない。“全て”を話して、杏朱が私から離れていくのが怖い。最悪嫌われでもしたら、私はもう生きていけない。
「杏朱······」
 杏朱を想って一人こんなにも苦しい思いをしていることなんて、杏朱は一生知らなくていい。

1/29/2025, 4:18:23 PM

※中学生百合。金髪パリピ系女子と黒髪ロングの物静かな女子。



「あたしさー、黒髪の頃の自分、嫌いなんよね〜」
 中学校からの帰り道。産まれてこの方、染髪なんて一度もしたことのない黒髪をスカート丈と同じように長く伸ばした私と並び、唐突にそんなことを言い出したのは、金色に近い明るい茶髪に髪を染め、丈を短くした制服のスカートを揺らして歩く、何処からどう見ても「不良」にしか見えない同級生。
 この子の名前は明里綺良々(あかりきらら)。えっと、その······一応、私──古森伊子(こもりいこ)の、こ、こ······恋人、ということに、なっている。見た目のイメージからも明らかなように、私達は対極の属性といっても過言ではない。それが何故、そんな間柄になってしまったのか。
 私は友達とは少人数で話すのが好きで、しかもどちらかと言うと自分から話すことは少なく聞き役に回ることが多い。大勢の人の輪の中に入れられると、何も喋れなくなりただニコニコ笑っていることしか出来ない。読書をすることや、勉強をすることが好き。スポーツは得意じゃなくて、運動音痴。教室の隅で密やかに生きる、半分空気みたいな存在。
 対する綺良々はと言うと、髪色は派手だしスカートもすっごく短くしているけど、「不良」だとか「ワル」みたいな子ではなくて、むしろクラスの中心でワイワイと皆で賑やかに楽しんでいて、所謂「パリピ」の方に近いのかもしれない。勉強は嫌いみたいで授業中はほとんど寝てるか周りの席の子達とお喋りしてて、運動神経はいっそ羨ましく思うほどに抜群だ。名前の通りに、明るくてキラキラしてる人気者。
 私達は同じクラスではあったし、稀に綺良々から話し掛けられた時にはあたふたしながらも応答したりしていた。でもそれは私だけじゃなくて、他のクラスメイトへの接し方にしたってそうだった。私だけ特別、みたいなことは断じてなかった。
 だからあの日······たまたま帰宅するために向かった下駄箱で二人きりになって、そこで「あたし、古森のことそういう意味で好きだから、付き合いたいんだけど」なんて、豪速ド直球なストレートすぎる告白を受けることになるだなんて思ってもみなかった。
 そもそも私は、自分みたいな人間のことを好きになってくれる人なんてこの世界に居るわけない、と思いながら生きてきたし、そんな中学生で恋人なんて早すぎるのでは!? とかも思ったし、しかも女の子同士で付き合うってどういうこと······? って疑問もあったしで、綺良々の告白に対してすぐに言葉を返すことが出来なくて、でも何故か顔だけは物凄く熱くって。きっと真っ赤になってしまっているのであろう顔を少し俯かせながら、「あ」とか「う」とか「えと」とか、そんな言葉になりきれなかったただの音を無意味に発しながら、頻りに瞳を右往左往させたり······と、これでもかとコミ障ぶりを発揮し尽くしていた。
 ······というのに、綺良々はそんな私にフラフラと吸い寄せられるように近付いてきて、ふわりと優しく両腕を私の肩の辺りからダラリと背中へ垂らし、その先で手と手を組んで、「可愛い······」と熱に浮かされたような声でそんなことを呟き、突然ガッツリと私の体を抱き締めてきた。パニックで硬直し、更に熱さを増したような気がした顔面。頭の中は「?」で埋め尽くされていて、相変わらず何が起きているのか全く理解出来ていないような状況だったけど、不思議と嫌な気持ちには全然ならなくて。そうやって私を抱き締めながら、綺良々は私の黒髪にスリ······と頬を擦り付けながら、言った。
「ごめん、我慢出来なくて······でもあたし、本気だから。今ね、あたしの心臓バックバクしてて超うるさいけど、でも古森の近くに居ると凄く安心する。あたしが求めてたものってこれだったんだ〜って、そう思ったんだよ。だから······」
 綺良々は抱き締めていた腕を解き、今度は両手を私の肩にポンと置き、真正面から私を見つめた。綺良々の顔も真っ赤になってて、綺麗なカラコンが入ってる瞳はチワワみたいにウルウルと水気を増していて、たったそれだけのことで私の心臓は一気に鼓動を早めて、胸の奥がキュゥッとなった。
「お願い、古森。あたしの恋人になって」
 小首を傾げながらそんな「お願い」をされてしまったら、もうそんなの答えは一つしかなかった。
 後から当時のことを思い返した時に、その場の雰囲気に当てられたか、流されたか······そんな、綺良々に失礼すぎる成り行きで恋人になんてなったのではないか? と自問自答することを何回か繰り返したけど、私の答えは結局いつも同じだった。私にないものをたくさん持ってて、こんな私にたくさんの「好き」を伝えてくれる綺良々のことを、私も好きになっちゃったんだ。

 ······そうして漸く話は冒頭に戻るんだけど。
「黒髪の綺良々かぁ······ちょっと想像出来ないかも? でも、何で嫌いなの?」
「そんなの、理由なんて一つに決まってんじゃーん! 全っっっっ然、似合わなかったの!」
 綺良々は、私の背中に流れる髪を一房掬い、それをサラサラと落としていきながら、ホゥ······と幸せそうな吐息を吐く。
「伊子みたいな見蕩れるような綺麗な黒髪だったら、また違ったのかもしれないけど」
「も、もうっ······! は、恥ずかしいから、やめてよ······」
「伊子がいちいち可愛すぎる反応してくれるのが悪いんだよー?」
「理不尽だよぉ······」
 暫く私の髪に悪戯していた綺良々だったけど、その指は私のご機嫌を取るみたいにスルリと私の指へと自然に絡まってくる。恥ずかしい······恥ずかしいけど、私も勇気を出して自分の方からも綺良々の指に自分の指を絡めた。途端、力強く握りしめられて、私達──相反する二人の少女達は、想いを確かめ合うかのように互いの手を握り、同じ歩幅で歩く。
「······私、綺良々の陰にしかなれないなぁ」
 何気なく私が呟くと、綺良々は私の方へ顔を向け「どゆこと?」と尋ねてくる。
「ん、と······綺良々って、すっごく眩しいから。こうやって綺良々の隣に居る私は、綺良々の眩しさに飲み込まれて、真っ黒い日陰にでもなってるんだろうなぁって」
 綺良々とこういう関係になって、二人肩を並べて生きるようになって······そうして私は改めて、この明里綺良々という人物の煌めきを再認識した。強すぎる光は、陰を生み出す。私はまるで、綺良々に憧れて真似してみただけの綺良々の陰みたい······なんて、少しばかり考えていたんだ。
「······伊子、相変わらずむずかしーこと考えすぎ!」
「あはは······ごめんね?」
「あと! よくわかんないけど、伊子は日陰でいーの!」
「え······?」
 私も綺良々の言いたいことがよくわからなくて、首を傾げながら綺良々の顔を見つめる。
「だって日陰ってさ、あっつーーーい夏の日にあると嬉しくなんじゃん!? ここでちょっと休も〜······ってなるじゃんね? だから伊子は、日陰でいーの。あたし専用の休憩ポイント! 癒し効果バツグン!」
 そんな、想像もしていなかった綺良々の持論を聞いて······私は、声を出して笑った。
「アハッ! アハハハ! もう、綺良々ぁ〜······真顔で面白いこと言うの、やめてよ〜」
「ハァ!? 今の、何処が伊子のツボにぶち刺さったぁ? 伊子の笑いのツボ、マジわからんのだがー
!」
「ごめん、ごめんね? 面白かったのはそうなんだけど、でもそれ以上に······嬉しかった。ありがと、綺良々」
「······〜っ!」
 突然吹いてきた風が私達を包み、私のこの黒の髪が舞い踊る。漆黒の闇を彷彿とさせていたはずのそれは、大好きな人の癒しになれることを喜び、縦横無尽に跳ね回っては嬉しさを露わにしていた。

1/28/2025, 3:38:15 PM

 昼休憩の時間となったキャンパス内は道という道を大勢の生徒達が移動のために使用するため、喧騒も混雑具合も一日の間で一番激しいかもしれない。
 そんな人波の中を、俺──伏見静海(ふしみしずみ)と、幼馴染みのうちの一人である小向井茜(こむかいあかね)は、いつも使用していた食堂とは逆の方向にある別の食堂へ向かって二人、歩いていた。
「いやぁ〜、それにしても今朝はビックリしたよね〜!!」
 茜が大きく明るい声で話し掛けてくる。茜は身長が小柄で、俺との身長差は約三十センチにもなるため、声が聞き取りやすいようにとボリュームを上げて話す傾向がある。
「まぁ······そうだな」
 俺は自ずと、今朝のことを思い返す。
 俺と茜にはあと二人、幼稚園から大学まで丸々同じ進路を辿ってきた幼馴染みが居て、一人は王野宥人(おおのゆうと)といい、もう一人は羽金穏(はがねのん)という。宥人は誰とでも仲良くなれる「良い奴」って感じで、クラスの中心に居ることが多い、所謂人気者タイプ。穏はある意味「不思議ちゃん」な面もあるもののその独特の感性が面白く、そして分け隔てなく誰にでも優しく出来るような大らかな心の持ち主だ。二人とも、自慢の幼馴染みだと断言出来る。
 いつも四人で登校し、四人で集まって学食を食べ、それぞれサークル活動だったりバイトだったりで帰りは別々になることが多かったものの、暇さえあれば自然と四人で寄り集まり、共に過ごすのが当たり前だった。しかしそんな当たり前は、何の前触れもなく今朝、終わりを迎えたのだ。
「あの、さ。二人に聞いてほしいことがあるんだけど······」
 そう切り出したのは、宥人だった。いつもハキハキ喋るコイツが妙に歯切れの悪い言い方をしたのが、微かに心に引っかかったのを覚えている。
 俺と茜が先を促すと、宥人と穏は一瞬お互いに顔を見合わせて。
「実は俺達······付き合うことになり、まし、た······いや、なった!」
「宥人〜〜? そーんなわかりやすく照れられるとこっちまで照れるんだけど〜〜? ······えと、今宥人が言ってくれた通り。お付き合いすることになりました〜〜パチパチ〜〜!」
「······マジか」
 俺は純粋に驚いた。今までずっと四人で過ごしてきたのに、まさかこの二人が恋人同士になりたいという気持ちをお互い胸の内に秘めて過ごしていただなんて、恥ずかしいことに微塵も気付かなかったのだ。近すぎると逆によく見えなくなるものなのだろうか、そういうのって。
「すげービックリしたけど······ま、おめでと」
 二人を祝福する言葉を述べれば、宥人は「サンキュー!」と歯を見せて笑い、穏は「ありがとね〜!」と小首を傾げながら微笑んだ。
「いや、マジですげーな······俺全然気付かんかったわ。茜はどうだった? ······茜?」
 俺が茜の方に目を遣り声を掛けると、それまで一言も発していなかった茜はハッとした表情をしたあと、困ったように眉を下げ申し訳なさそうに笑う。
「ご、ごめんごめん······あまりにビックリしすぎて、頭が宇宙に飛んでってた」
「宇宙猫ならぬ、宇宙茜ってやつ?」
「宇宙茜〜! 今度コラ画像作って送ってあげよっか〜?」
「やめてよ、もー! 肖像権侵害で訴えるぞー! コラー!」
 そんな掛け合いをし三人で楽しそうに笑っているが······俺はどうにも、茜の様子に違和感を抱いた。なんていうのか······挫いた足を我慢して歩いてる感じというか、本当はもうフラフラですぐにでも倒れ込みたいのに気合いでそれを耐えている感じというか······とにかく、どことなく「あ、コイツ無理してんな」ってのを何となく感じ取った。
「そんなことより! まだ大事なこと私言えてないじゃん!」
 そう言い会話を仕切り直した茜は、笑顔で二人に向き直り、その言葉を口にした。
「二人とも、おめでと! お幸せにね!」
 その満面の笑みが、俺には何故だか泣いているように見えて。そんな茜を見つめたまま俺は、被っていたキャップ帽のバイザーを少しだけ左右に弄った。

 そんなことがあったので、いつも四人で食べていた昼食だったが、急遽茜と二人で食べることになったわけだ。二人には茜からLINEで連絡したらしい。
「二人でゆっくり食べな〜って送っといた! ハートマークつきで!」
 そう話す茜はやっぱり笑顔なのだが······未だに今朝感じた違和感を俺は拭いきれずにいた。この時、既に俺の中では一つの仮説が浮上していた。近すぎて見えないものはあの二人のことだけじゃなかったんだ、きっと。
「でもさぁ〜なんていうかお似合いの二人だよね〜! 二人とも顔面よくてさぁ、そんでもって性格もいいって、もう理想すぎるカップルじゃんねー!?」
「······茜」
「嬉しいなぁー、二人の恋が上手くいって! だって、お互い小学校の高学年ぐらいにはもう意識してたって言ってたじゃん? 二人して一途すぎるよ〜〜とんでもない大恋愛じゃん!」
「············茜」
「ねぇねぇ、このまま二人が付き合い続けたら、いつか結婚までいくかな? そうしたら私ら、絶対結婚式呼んでもらえるじゃんね〜! ハァ〜穏のウエディングドレス姿、綺麗だろうなぁ〜······早く見たいなぁ〜······」
「茜」
 まるで何か疚しいことでも隠すかのようにペラペラと口を動かし続ける茜を、その名を少し強めの口調で呼ぶことで何とか黙らせることに成功する。
 いつだって、茜だけに限らず、幼馴染み達との会話は俺にとって楽しいものだった。でも今は。今のこの茜との会話は、ちっとも楽しくなかった。だんだんと腹が立ってきた程度には、面白くなかった。
「お前さ、嘘つくのやめろ」
「ハァ? 嘘? 私、嘘なんかついてないよ」
 強情な茜の態度に、俺はハァ······と一つ溜め息を吐く。茜を傷付けたいわけではないが、これは茜のためにも言わざるを得ないことだろうと割り切り、俺は足を止めて真正面から茜を見下ろした。
「じゃあ、言い方変えるわ」
「へ?」
「誤魔化すのやめろ」
「え」
「二人のこと、祝福してるようなフリすんのやめろ」
「ハァ!? フリって······別にそんなこと······!」
「悲しい気持ち押し殺してまで、笑うの。やめろ」
「············」
 茜の顔からストンと、一切の表情が抜け落ちて。茜はその何も無い顔で俺を見上げ、暫く呆然としていた。俺は目を逸らさなかった。逸らしてなんてやらなかった。お前の考えてることなんて全部お見通しなんだよバーカ、と視線で告げてやった。
 それが追い討ちとなったのだろうか······茜は、ゆっくりと口を開いた。
「······自分でも、気付いてなかったの」
「······」
「でも、朝、あの話を聞かされて······そこで初めて、気付いたの。なんでだろうね。近すぎると、逆にわかんなくなっちゃうものなのかな」
「······」
「私······一体いつから、宥人の、こと······ッ」
 そこまで話して、漸く感情が追い付いてきたのだろう。俺を見上げたまま、茜の目から涙が溢れる。決壊した川のように、流れ続ける。
 顔を俯かせ、凍てついた風に耐えるかのように肩を震わせ泣き続ける茜を見下ろして······俺は自分の被っていたキャップ帽を脱ぎ、茜の小さな頭に乗せた。
「気ぃ済むまで泣きな」
「······ぅ、ッうぁ······!」
「それ被っとけば、誰にもバレないから」
「ッう、ん······うんっ······!」
 手で涙を拭いながら頷く茜のキャップ帽の位置を少し調整してやり、きっとろくに前も見えていないのであろう茜の腕を取って、俺は出来るだけゆっくりと時間を掛けて食堂への道を歩くのだった。

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