昼休憩の時間となったキャンパス内は道という道を大勢の生徒達が移動のために使用するため、喧騒も混雑具合も一日の間で一番激しいかもしれない。
そんな人波の中を、俺──伏見静海(ふしみしずみ)と、幼馴染みのうちの一人である小向井茜(こむかいあかね)は、いつも使用していた食堂とは逆の方向にある別の食堂へ向かって二人、歩いていた。
「いやぁ〜、それにしても今朝はビックリしたよね〜!!」
茜が大きく明るい声で話し掛けてくる。茜は身長が小柄で、俺との身長差は約三十センチにもなるため、声が聞き取りやすいようにとボリュームを上げて話す傾向がある。
「まぁ······そうだな」
俺は自ずと、今朝のことを思い返す。
俺と茜にはあと二人、幼稚園から大学まで丸々同じ進路を辿ってきた幼馴染みが居て、一人は王野宥人(おおのゆうと)といい、もう一人は羽金穏(はがねのん)という。宥人は誰とでも仲良くなれる「良い奴」って感じで、クラスの中心に居ることが多い、所謂人気者タイプ。穏はある意味「不思議ちゃん」な面もあるもののその独特の感性が面白く、そして分け隔てなく誰にでも優しく出来るような大らかな心の持ち主だ。二人とも、自慢の幼馴染みだと断言出来る。
いつも四人で登校し、四人で集まって学食を食べ、それぞれサークル活動だったりバイトだったりで帰りは別々になることが多かったものの、暇さえあれば自然と四人で寄り集まり、共に過ごすのが当たり前だった。しかしそんな当たり前は、何の前触れもなく今朝、終わりを迎えたのだ。
「あの、さ。二人に聞いてほしいことがあるんだけど······」
そう切り出したのは、宥人だった。いつもハキハキ喋るコイツが妙に歯切れの悪い言い方をしたのが、微かに心に引っかかったのを覚えている。
俺と茜が先を促すと、宥人と穏は一瞬お互いに顔を見合わせて。
「実は俺達······付き合うことになり、まし、た······いや、なった!」
「宥人〜〜? そーんなわかりやすく照れられるとこっちまで照れるんだけど〜〜? ······えと、今宥人が言ってくれた通り。お付き合いすることになりました〜〜パチパチ〜〜!」
「······マジか」
俺は純粋に驚いた。今までずっと四人で過ごしてきたのに、まさかこの二人が恋人同士になりたいという気持ちをお互い胸の内に秘めて過ごしていただなんて、恥ずかしいことに微塵も気付かなかったのだ。近すぎると逆によく見えなくなるものなのだろうか、そういうのって。
「すげービックリしたけど······ま、おめでと」
二人を祝福する言葉を述べれば、宥人は「サンキュー!」と歯を見せて笑い、穏は「ありがとね〜!」と小首を傾げながら微笑んだ。
「いや、マジですげーな······俺全然気付かんかったわ。茜はどうだった? ······茜?」
俺が茜の方に目を遣り声を掛けると、それまで一言も発していなかった茜はハッとした表情をしたあと、困ったように眉を下げ申し訳なさそうに笑う。
「ご、ごめんごめん······あまりにビックリしすぎて、頭が宇宙に飛んでってた」
「宇宙猫ならぬ、宇宙茜ってやつ?」
「宇宙茜〜! 今度コラ画像作って送ってあげよっか〜?」
「やめてよ、もー! 肖像権侵害で訴えるぞー! コラー!」
そんな掛け合いをし三人で楽しそうに笑っているが······俺はどうにも、茜の様子に違和感を抱いた。なんていうのか······挫いた足を我慢して歩いてる感じというか、本当はもうフラフラですぐにでも倒れ込みたいのに気合いでそれを耐えている感じというか······とにかく、どことなく「あ、コイツ無理してんな」ってのを何となく感じ取った。
「そんなことより! まだ大事なこと私言えてないじゃん!」
そう言い会話を仕切り直した茜は、笑顔で二人に向き直り、その言葉を口にした。
「二人とも、おめでと! お幸せにね!」
その満面の笑みが、俺には何故だか泣いているように見えて。そんな茜を見つめたまま俺は、被っていたキャップ帽のバイザーを少しだけ左右に弄った。
そんなことがあったので、いつも四人で食べていた昼食だったが、急遽茜と二人で食べることになったわけだ。二人には茜からLINEで連絡したらしい。
「二人でゆっくり食べな〜って送っといた! ハートマークつきで!」
そう話す茜はやっぱり笑顔なのだが······未だに今朝感じた違和感を俺は拭いきれずにいた。この時、既に俺の中では一つの仮説が浮上していた。近すぎて見えないものはあの二人のことだけじゃなかったんだ、きっと。
「でもさぁ〜なんていうかお似合いの二人だよね〜! 二人とも顔面よくてさぁ、そんでもって性格もいいって、もう理想すぎるカップルじゃんねー!?」
「······茜」
「嬉しいなぁー、二人の恋が上手くいって! だって、お互い小学校の高学年ぐらいにはもう意識してたって言ってたじゃん? 二人して一途すぎるよ〜〜とんでもない大恋愛じゃん!」
「············茜」
「ねぇねぇ、このまま二人が付き合い続けたら、いつか結婚までいくかな? そうしたら私ら、絶対結婚式呼んでもらえるじゃんね〜! ハァ〜穏のウエディングドレス姿、綺麗だろうなぁ〜······早く見たいなぁ〜······」
「茜」
まるで何か疚しいことでも隠すかのようにペラペラと口を動かし続ける茜を、その名を少し強めの口調で呼ぶことで何とか黙らせることに成功する。
いつだって、茜だけに限らず、幼馴染み達との会話は俺にとって楽しいものだった。でも今は。今のこの茜との会話は、ちっとも楽しくなかった。だんだんと腹が立ってきた程度には、面白くなかった。
「お前さ、嘘つくのやめろ」
「ハァ? 嘘? 私、嘘なんかついてないよ」
強情な茜の態度に、俺はハァ······と一つ溜め息を吐く。茜を傷付けたいわけではないが、これは茜のためにも言わざるを得ないことだろうと割り切り、俺は足を止めて真正面から茜を見下ろした。
「じゃあ、言い方変えるわ」
「へ?」
「誤魔化すのやめろ」
「え」
「二人のこと、祝福してるようなフリすんのやめろ」
「ハァ!? フリって······別にそんなこと······!」
「悲しい気持ち押し殺してまで、笑うの。やめろ」
「············」
茜の顔からストンと、一切の表情が抜け落ちて。茜はその何も無い顔で俺を見上げ、暫く呆然としていた。俺は目を逸らさなかった。逸らしてなんてやらなかった。お前の考えてることなんて全部お見通しなんだよバーカ、と視線で告げてやった。
それが追い討ちとなったのだろうか······茜は、ゆっくりと口を開いた。
「······自分でも、気付いてなかったの」
「······」
「でも、朝、あの話を聞かされて······そこで初めて、気付いたの。なんでだろうね。近すぎると、逆にわかんなくなっちゃうものなのかな」
「······」
「私······一体いつから、宥人の、こと······ッ」
そこまで話して、漸く感情が追い付いてきたのだろう。俺を見上げたまま、茜の目から涙が溢れる。決壊した川のように、流れ続ける。
顔を俯かせ、凍てついた風に耐えるかのように肩を震わせ泣き続ける茜を見下ろして······俺は自分の被っていたキャップ帽を脱ぎ、茜の小さな頭に乗せた。
「気ぃ済むまで泣きな」
「······ぅ、ッうぁ······!」
「それ被っとけば、誰にもバレないから」
「ッう、ん······うんっ······!」
手で涙を拭いながら頷く茜のキャップ帽の位置を少し調整してやり、きっとろくに前も見えていないのであろう茜の腕を取って、俺は出来るだけゆっくりと時間を掛けて食堂への道を歩くのだった。
1/28/2025, 3:38:15 PM