秘密の箱
車から降りて2車線の広い道路に出る。
ガードレールを越えて崖が作る階段を降りたら
そこは僕だけの海だ。
いつも僕はひとり、ここで放課後を満喫していた。
ゴーグルつけて、泳ぐ魚を見たり。
岩場にいるカニや虫を眺めたり。
波音を聴きながら眠ったり。
貝殻を拾って絵の具で色を付けたり。
海はいつも新しい発見があって楽しい。
いつしか僕はその発見を誰かに共有したくなっていた。
ある秋の終わりごろ、僕はその僕だけの海に女の子を見つけた。
その女の子は、深緑の髪の毛を腰まで伸ばして、クラゲのようなジェル状の物を上半身に纏っている。
触れたら手が切れそうで、空を反射する海面のような鱗と、
つやつやでエメラルドグリーンの魚のヒレを
波のようにゆらゆらと動かしていた。
人魚の女の子だ。
僕の秘密の場所に人魚の女の子がよく現れるようになった。
僕は海で見たもの、岩場にあったことをその子に話すとその子は、海の深くはもっと不思議で綺麗なものがあると話をしてくれた。
僕たちはその小さな小さな海で大きく優しい時間を過ごした。
ある日、人魚の女の子は僕に別れを告げてきた。
もう、海面に近ずいてはいけないと怒られてしまったらしい。
女の子は僕に手のひらに収まるくらいの箱をくれた。
わたしときみの秘密の箱だよ
こう、仕事に疲れている時はその箱を優しく振っている。
中身は何の変哲もない、貝殻や砂や石、乾燥した海藻。
-それとあの子の鱗。
秘密の箱を振ると出会ったあの時の波音、あの子の声、僕の心臓の音が蘇る。潮風が顔を撫で、鼻を通る。
海に浸かっているかのように全身が冷える。
身体が波で揺れる。
僕を誘うように、冷たい手が触れる。
僕だけの海と僕はこの、秘密の箱に閉じ込められた。
無人島に行くならば
あの無人島に行くならば、幸せに暮らせただろうか。
島流しの刑。
死刑の次に重いとされる刑罰。
冷たい風が吹き寒さを感じる季節になってきた頃、
父上が縁談を持ってきた。
娘は目鼻立ちがはっきりしていて、猫のように鋭い目、凛と済ました表情、真っ直ぐで揺れることの無い姿勢で、とても十七には見えなかった。
それに比べ齢二十六の私は武家で育ったとは思えない、ひょろひょろの体に、周りから恵比寿顔だと言われる武家らしい引き締まりなどはない顔である。
武家の結婚は見合い結婚、政略結婚だ。
だからなぜ、こんな私がこの娘と結婚しなければならないのか、考える必要がない。私はそう思い…そう思うようにして娘が他に向けていた好意を見て見ぬふりしていた。
彼は突然現れた。
いや、というより、鉢合わせたと言った方が正しい。
暗夜。
二つの輪郭を追う。
二人の息のあった走りに私は追いつけない。
武家のくせに体を動かすことが苦手な私だ、すぐ足がもつれ転ける。体勢を立て直す頃にはもう、二人は橋の上だった。
二人は身を寄せ今朝の豪雨で荒れた川に向う。
やめろ!などと荒らげた声をあげたが、届くはずもなく輪郭は消えた。
運がいいのか悪いのか、二人とも助かった。
私は証人だ。
二人の生死を握っている。
そして、自分の本当の気持ちにも向き合うことになった。
私は妻を生かした。
好いていたのか?
だが、本当に好いているなら想い人の幸せを選ぶはずだ。
私は二人を引き剥がした。
そして彼は島流しの刑に処された。
妻はもう、会った時のような真っ直ぐな強さは無く、魂の抜けた抜け殻のように表情がなくなり、死を待つのみと言わんばかりの日々を過ごしていた。
あの時私が二人を突き落としたと、嘘をついていたならば。
無人の島に流されるのは私だっただろうか?
武士として、切腹をする事になるだろうか?
この娘があの島に行くならば、彼と幸せに最後を迎えられたのだろうか。
静かなる森へ
痛いほど生を感じたい時、僕は静かなる森へ行く。
これだけ大きく、存在感があり、さまざまな生き物の居住地だと言うのに、なぜ静かに感じるのか。
目を前を流れる澄んだ川に、人工物を全て剥いだら、浸かる。
力を抜いてふわっと浮かぶ。
流れ流され揺れるこの心地は羊水のようで、僕は僕を忘れる。
次第に音が無くなって、目も見えなくなって、キラキラと葉と葉の間から降り注ぐ優しい日差しが目にかかる。
感覚も無くなってきたころ、僕はどんどん元に戻る。
手足が無くなり、人の形は崩れる。
静かなる森へ。
人間は大地の養分になれるのかな?
毒ではないのだろうか?
静かなる森は僕に応えない。
静かなる森へ。
さまざまな生を受け止めている貴方は
僕を受け止めてくれるのか?
静かなる森は僕に応えない。
夢を描け
覚めてしまうならいっその事描かなければ良い。
夢なんて嫌いだ。
見たくもない。
ぐっすりと寝ていたい。
目を瞑っていたい。
夢を描け。
夢などない。夢など見れない。
夢を描け。
描けない。描き方など知らない。
夢を描け。
そんな夢をまた今夜も脳は描いていた。
届かない…
あ…届かない。
届かないから諦めれない。
届かないから諦めきれない。
わざわざ僕を届かない場所に置いたんでしょ?
そう伝えたい貴方にも届かない。
何にも届かないし、届けれない僕。
物理的な距離も、心でも、全部届かない。
ただ手元にあるのは、ほつれたロープだけ。
何にも届かない僕だから、きっと。
天井に届いても天国には届かないだろうなぁ。
届かないなぁ。